壊れていく心

       別離7

          ニールは目の前で刹那に縋って号泣するライルを、どうする事もできずただ見つめていた。ライルの反
          応は尋常ではない。ふとその肩に誰かの手が触れた。驚いて振り向けば、そこにいたのは・・・・
          「マリナ・・・姫」
          「刹那から話は聞いています。どうぞ、こちらに」
          部屋の外に案内されそうになって、ニールは慌てる。
          「ま、待ってくれ。俺はライルと話を・・・・・」
          マリナは悲しそうに瞳を揺らし、首を横に振った。
          「今は我慢して下さい。申し訳ありませんが、貴方が此処にいてはライルが落ち着くことが出来ません。
           事情はそこでお話します」
          そう言われてしまえば、ニールも従うしかない。後ろ髪を引かれる思いで、彼らは部屋を後にした。


          「どうぞ、お口に合えば良いのですが・・・・」
          良い香りのする紅茶を出される。それを心ここにあらずという顔で飲むニールに、マリナは苦笑した。
          カップを置き、ニールは彼女を見つめた。
          「事情を・・・話してもらえるのか?」
          そう問えば、頷く。
          「あのライルの反応を見たでしょう?あれがライルの生存を、刹那が貴方に告げられなかった原因です。」
          「・・・・・・・・・・・・・」
          「もう二年になります。地下施設でライルが発見されてから」
          「そんなに前の話だったのか」
          「はい。アロウズはライルの肉親が、ガンダムマイスターだと知っていました。なので彼を貴方達にぶ
           つける、最適の人材として扱いました」
          「!」
          アロウズはヴェーダのバックアップを受けている。そのぐらいの情報は、漏れていても不思議ではない。
          「その方法・・・・私には良く分かりませんが、彼の負の感情を増大させて常に脳にストレスとプレッ
           シャーを与えていたようです」
          「あいつの・・・・・負の感情・・・」
          「ええ、ライルが激しく抵抗したらしく、何度も処置が繰り返されていたようです。で、とうとう彼は
           耐え切れず、精神崩壊を起こしてしまったのです」
          ニールは絶句した。自分がガンダムに乗って戦っている間、弟は非人道的な扱いを受けていた事を。固
          まる彼を、マリナは辛そうに目をそむける。
          「最初は自分の意志で動く事もなかった。されるがまま。それを刹那は必死で支えていたんです。でも
           ライルは刹那にまったく反応を示さなかった・・・・。絶望し、嘆く刹那を私は何度も見ました」
          その時を思い出すかのように、マリナは上を向いた。
          「彼は・・・ライルは私の歌に反応してくれたのです。それはとても嬉しい事でした。時々、唇が小さ
           く動いていたので、彼なりに歌っていたのかもしれません」
          「マリナ・・・・姫。ライルの負の感情って・・・」
          そうニールが問えば、マリナは眉を顰める。
          「あなたには残酷でしょうが、あなたへのコンプレックスが最大のものだと刹那は言っていました」
          そこでニールは思い出した。ライルの言葉を。

          『俺はニールの弟じゃなくて、ライルなんだよ』
          『嫌だ、皆いなくなる!俺から全てを持っていってしまう!』
          『いなくなる・・・・ソランも。きっと兄さんが良くなる。そうやって皆いなくなった。俺が悪いの?
           俺はそんなに嫌われ者なのか・・・?』

          そして頭に響くのは、アレルヤの言葉。
          『優位に立っている人間は 劣勢の方の存在には鈍感だ。』

          それは自分にはピンと来なかったが、正しい事だったのだろう。ライルのあの取り乱しようを見てしま
          えば。自分の中でなにかがガラガラと崩れていくのを、ニールは自覚した。自分の心の中には、結局の
          ところ死んだ家族とライルしかいなかった。そしてその想いは、唯一生き残ったライルに注がれた。た
          とえエイミーが生きていたとしても、ライルは自分にとって大切な存在だった。必要な存在だった。だ
          がライルには、それが重荷だったのだろうか。忌むべきものだったのだろうか・・・?一体どこで、擦
          れ違ってしまったのだろう。
          「ロックオンさん」
          目を上げれば、悲しそうな表情でこちらを見つめるマリナの姿。
          「すまない・・・・少し考え事をしていた・・・」
          「いいえ。・・・・あの」
          「ん?」
          「誤解をしないで下さい。ライルのあの状態は、貴方のせいではありません」
          マリナはニールの目を見つめて、そう言いきった。
          「刹那はそう言っていました。きっとライルもそう思っているはずです」
          「・・・・・だと良いんだがな」
          溜息を零しながら、ニールは立ち上がった。マリナが慌てたように腰を浮かす。
          「心配しなくて良い。今日はこれで帰るよ。ライルの奴が落ち着いたら、また会いに来るさ」
          そう言うと、マリナはほっとしたような顔をした。守ろうとしている、刹那と同じように。ライルを。
          それは自分だけの役割だったはずなのに。ニールは苦笑を零した。
          「そうですか。でしたら申し訳ありませんが、また目隠しをさせていただきます」
          「エ、マジで?」
          「刹那にそう言われていますので・・・・」
          刹那の警戒心を丸出しにしたその指示に、ニールは驚いた。だがライルを守る為になら、仕方がないの
          かもしれないと無理矢理自分を納得させる。
          「・・・・そうか、分かった」
          素直に目隠しをされて、ニールは帰って行った。その心の中に気づいたものは、誰もいない。


          「落ち着いた?」
          声に振り向けば、マリナが顔を覗かせていた。
          「ああ・・・薬を使った。今は良く寝ている」
          錯乱し続けるライルに、刹那はやむを得ず精神安定剤を使った。即効性の高いそれは、あっという間に
          ライルを落ち着かせ、眠りへと導いた。マリナがベットで眠るライルを見る。
          「刹那・・・・ごめんなさい」
          「?何故謝る?」
          マリナの突然の謝罪に、刹那は目を丸くした。彼女に謝られる事など、何もないのだが。
          「私がロックオンさんに驚かなければ、こんな事にはならなかったでしょう?」
          「アンタはロックオンを知らないから、驚いても仕方がないだろう。それにロックオン自身が言ってい
           たが、知っている人に似ていただけとしか言わなかったんだろう」
          「でもそれで・・・ロックオンさんもライルも傷つけてしまった」
          確かに結果としてはそうだ。だがこの件でマリナが責められる事は何もない。似ている人という言葉で
          ピンとくるのは、ライルを必死で探していたニールだからだ。これが普通の人間なら単なる人違い、で
          終わらせられる。そしてニールのライルへの痛烈な思いも知らないのだから、それだけで頑張ったマリ
          ナの態度には頭が下がる。
          「マリナは、ライルを守ろうとしてくれた。俺は少なくともそう思っている。きっとライルもそう思っ
           ているだろう」
          言葉をかければ、マリナは複雑そうに微笑んだ。真面目な彼女の事だ、本心からそう言っているのだが
          暫くはこの事で悩むのだろう。
          「そういえば、ロックオンは?」
          「事情は話したわ・・・とはいっても私に話せる事なんて、少しだけだったけど」
          「そうか、反応は?」
          「落ち込んでいるように見えたわ。でも当たり前よね、たった一人の肉親がこんな事になってしまった
           のだから」
          「そうだな・・・・」
          「刹那に言われた通り、目隠しをしてもらって帰ったわ。散々遠回りさせられるんでしょうけど」
          心底気の毒そうにマリナは言うが、それでもこの場所を覚えられている可能性はある。なんといっても
          元ガンダムマイスターだ。油断は出来ないし、フェルトという情報には優秀すぎる相棒がニールにはい
          る。此処はライルにとって居心地のいい場所だったようだが、近いうちに別の場所へ移動させる必要は
          あると刹那は思った。それにニールと遭遇した場所になってしまっただけに、ライルがこの部屋を拒否
          する可能性もある。近々クラウス・グラードと連絡を取った方が良さそうだ。クラウスは今は別の場所
          で指揮を取っている。かなり忙しいようだがそれでも暇を見つけては帰って来て、ライルと何か話して
          いる。彼も気の長い方なので、ゆったりとしたライルの言葉を辛抱強く聞いている。その二人の姿を見
          て、情けなくも嫉妬を覚えたのは一度や二度じゃない。出来ればライルに近づかないで欲しいとも思う。
          クラウスがいるとライルは彼に向いてしまって、刹那の存在を忘れてしまうからだ。
          (そういえば・・・話し方・・・)
          恐怖の感情が後押ししたのだろうか、ニールを認識して錯乱するライルの言葉は普通の速度だったと今
          更ながら気がつく。自分でもじれったそうに言葉を紡いだライルが、あの時はすらすらと喋っていた。
          それは今迄上手く入っていなかったスイッチが、ニールという存在によって『恐怖』という感情によっ
          て入れられたのだろう。だが目が覚めれば、元の木阿弥になっている可能性もある。また呼んでも自分
          には振り向きもしないライルになってしまうのは、御免被りたい。やっとここまで来たのだ。きっと後
          少しで想いを打ち明けられる。そう思いながらライルの傍にいた。
          (ロックオン、たとえ相手がお前でも譲れないんだ)
          「お医者様に、診ていただかなくて良いの?」
          マリナが遠慮がちに訊いてくる。
          「今は良く眠っているからな。ただ目覚めた後にどういう状態であっても、診せる必要はあるが」
          「そうね、そうよね」
          知っているかライル?こうやってお前を心配していてくれる人が、俺以外にもいるんだぞ。だから・・
          帰って来てくれ、此処に、俺達の所に。俺はお前を置いて行きはしない、だから俺の所に戻ってきてく
          れ。刹那は願う。その肩にマリナが優しく、手を置く。
          「大丈夫よ、きっと帰ってくれる。たとえまた時間がかかっても、貴方は諦めないのでしょう?」
          その笑顔に、刹那は救われる。まるで母のようだ。お互いに恋愛感情などないが、刹那にとってライル
          とは別の意味で大切な存在なのだ。
          「ああ・・・・マリナ。その通りだ」


          そして幕が開ける。
          最期の。
          幕が。
          慟哭と共に。


          幸せになりたかった。
          それだけだった。



     

          ★ライルを守るのは自分だけ、と思い込んでいたニールは他にもライルを守る存在がいた事にショック            を受けています。刹那に依存し、マリナに守られるライル。誰も悪いわけではありませんが、事態は            最悪になっていきます。あと一回ですが、救いがまったくありませんのでご注意下さい。        戻る