絶望の結末
別離8
心配していたが、あの後目覚めたライルは綺麗さっぱり全て忘れていた。それはライルの防衛本能のな
せる業なのか、判断は難しい。反対に心配する刹那やマリナの顔を見て、首を傾げたのだった。
「どうしたの・・・?」
話し方は前よりも流暢になっていた。だが前にも増して一人を嫌がるようになった。不安がって刹那は
ともかくマリナにまで抱きついたりするのだから、その無意識の心の傷はけして小さくはないだろう。
まるで加護を失った子供のようだ。
「いや・・・ライル、引越しをする事になったんだ」
刹那はライルに話しかける。
「引越し・・・?どうして?」
「ライルは此処が気に入っているのか?」
「うん、俺は此処にいたいな」
無邪気に言い放つライル。だがどうしても此処を離れなければならない。あの後、何回かニールにも会
う機会があったが、彼の反応からは此処の場所が特定されているとは考えにくい。それでも刹那は心の
中から溢れ出す焦りを自覚していた。良く分からない、だがそれはイノベイターとしての勘なのか。
「ライル、残念だが一週間後には引越さなければならないんだ」
そう言うと、ライルはむくれた。
「此処、好きなのに」
「それは知っている。だが少しの間だけでいいから、我慢してくれ」
刹那の様子に、流石に何かを感じたのだろうか。ライルは渋々同意を示した。
「でも俺だけ引越しなのか?」
「ん?」
「ソランは・・・?」
その問いかけが、素直に嬉しい。
「前にも言ったな、俺はお前の傍を離れる気はないと」
「じゃあ、一緒に引越し?」
「ああ、当たり前だ」
「そっか・・・・良かった」
嬉しそうに笑うライルに、刹那は心洗われる。きっと前のライルではこんなにも刹那を必要としてはく
れないだろう。実際に拒絶を受けた。小型艇で去っていかれた時の事を思い出して、刹那は切なくなる。
あの時、もっと強引に連れ戻せばよかったと思う。確かに今のライルは刹那を必要としてくれているが
その前には目を覆わんばかりの、悲惨な体験がある。
すぐ近くの町に仕事で出ていた刹那は、非常事態が発生したという事で慌てて戻った。異常が発生した
のはライルの部屋だったからだ。嫌な予感がする。刹那は足早に、部屋にむかう。
「これは・・・・・・」
絶句する。いつもこの時間になら暖かい陽だまりがこの部屋を満たし、ライルを優しく包んでいたのに。
倒れた、ライルの好む椅子。
そこかしこで、乱雑に床に転がっている食器や装飾物。
そこには激しい・・・言ってしまえば乱闘の後が残っていた。
「ライル・・・・・・ライルはどこだ!」
スタッフに問うと、刹那の剣幕に恐れをなしたのだろう。ひっ、と小さく悲鳴を上げて、縮こまる。
「い・・・いないんです。どうも侵入者の目的が、彼だったようで・・・」
「侵入者だと?何故セキュリティーが作動しなかった!?」
「外部からの干渉を受けて、秘密裏に無効になっていたようです」
「外部・・・・?」
「は、はい」
「だがここのセキュリティーはレベルが高い。おいそれと手出しできるわけがない。しかもこの短時間
に・・・・」
刹那は部屋の中を歩き回りながら、考える。
「侵入者の姿も、映ってはいないんだな・・・?」
確認すると、肯定を返してくる。
「信じられません、ここのセキュリティーを突破できるなんて・・・」
スタッフは困惑を滲ませて、呟いている。だが刹那には心当たりがあった。
(あと二日で此処を移動しようと思っていたのに、先手を打たれたか)
偶然か、それともその移動を察知したのか、それは分からない。分かっているのはライルが侵入者に連
れ去られた事。しかもごく短時間にだ。そんな芸当が可能で、且つライルのみを欲しているのは一人し
かいない。
(ロックオン!)
ライルの、双子の兄しか。
可能性としては考えてはいた。だからこそライルを移動させようとしていたのだ。だがライルを彼は連
れ去った。強引にだ。あれだけの拒絶を受けながら、何故そんな行動ができるのか。刹那の知っている
ニールはそんな事はしない男だった。拒絶されれば素直に引いた。だが家族に執着し、唯一の生き残り
であるライルを生きがいとしていた。彼としては譲れないものだったのだろう。
あの時。
ライルに会わせろと言って、自分のこめかみに銃を当てた時は本気だった。
そこまでできるのだ、ライルとの絆の為なら。
(だがどこに連れ去った?)
刹那は繋がらないかもしれない、と思いながらフェルトに連絡を取った。その回線はあっさりと繋がる。
「久しぶりね、刹那」
前にも増して、大人びたフェルトが画面に映る。
「ああ。ところでそこにロックオンはいるか?」
挨拶もそこそこにそう訊ねると、フェルトは目をぱちくりさせた。
「いないわよ?」
「何処に行った?」
「休暇だって言ってたから、何処に行ったかは私には分からない」
「そうか・・・」
「どうかしたの?」
「いいや、ちょっと確かめたい事があっただけだ」
「そう・・・?」
「ああ、有難う。またな」
「ええ、刹那も元気でね」
回線は切れた。フェルトの所には戻っていない。確かにライルを知らないのなら大丈夫だが、生憎とフ
ェルトはライルを知っている。彼女もライルは死んだと思っているだろうから(ニールが話すとは思え
ない)そこに連れ込めば驚くだろう。それにライルの居場所が分かれば、ニールとしても困るはずだ。
刹那が奪い返しにくるから。そして今のライルでは刹那・・・いやソランに着いて行こうとするだろう。
(落ち着け)
そうだ頭をクリアにして、辿ってみろ。ニールの行動を。あまり刹那には知られていない場所。そして
多分、ニールやライルにとっての大事な場所。
(家族の眠る墓か?)
いや違う。あそこは刹那だけでなく、ティエリアなども知っている。テロがあった現場もそうだ。なら
一体何処に?
(俺なら・・・・ロックオンの立場だったら、何処に行く?)
人はなにかあれば、どんな思い出があったとしてもなじみのある場所へ行くものだ。なじみのある場所
・・・それは刹那にとってはクルジスだ。嫌な思い出も多い場所だが、自分の故郷だ。
(そうか!)
閃いた。
(アイルランドの・・・ディランディ家!)
本来ならば壊される予定だったその生家を、ニールは買い取って丁寧に保存していたという話を大分前
に本人から聞いた覚えがある。
『あそこは俺にとっての、出発点だ。だから残しておきたい』
そんな事を言っていた。彼らにとっての故郷。間違いない、そこへ連れて行った。そう見当がつくと、
刹那は素早く行動を開始した。
「よう・・・思ったより、早かったな」
そうはいっても、事件発生よりニ日程かかってしまった。刹那はやっとディランディ家にたどり着いた
のだ。だが家の中のそこかしこが、酷い散乱振りだった事に目を見張る。多分ライルがニールを拒絶し
て暴れたのだろう。・・・きっと自分を・・・ソランを呼んで。
寝室と思われるドアを開けると、ライルを抱き締めベットに座るニールがいた。ライルは目を閉じ、ニ
ールの肩に顔を乗せている。眠っているのだろうか?
「ロックオン、なんて事を・・・。ライルは今は未だお前に会える状態じゃないと、身をもって知った
のではなかったのか?」
静かに問うが、心の中には激情が渦巻いていた。そんな刹那の心を知っているのかいないのか、ニール
えらく上機嫌で笑った。その笑い声が、いつもよりもどこかおかしい事に刹那は気がつく。
「ああ。かなり抵抗されたさ。ソラン、ソラン助けてって叫んでいたよ」
その光景を思い出したのか、ニールが顔を歪める。
「返してくれ、ライルを。彼は俺と一緒にいる事を望んでくれている」
「俺だけだったんだがな、ライルを守れるのは。そうさ、ライルを守るのは俺だけで良いんだ。刹那、
お前じゃない。俺はどうしてお前にライルの事を話ちまったんだろうな。失敗したよ」
やはりどこかおかしい、刹那は眉を寄せた。ニールはこんな事を言う人ではない。しかも目つきが剣呑
としている。あからさまに敵視されている、この男に。だが刹那にも引く事は出来ない。二年もかけて
苦労して、ようやくライルの信頼を勝ち取ったのだ。諦められるはずがない。
「もう一度言う。ロックオン、ライルを俺に返してくれ」
「嫌だね」
「ロックオン!お前の存在が今のライルには酷だという事を、何故理解しようとしない!?」
「何度でも言うぞ、刹那。断る」
「ロックオン!」
埒が明かない。刹那は思い切って力を使って、ライルの目を覚まさせようとした。刹那の瞳が黄金に光
始める。
だが
「!?」
感覚が擦り抜けた。ライルの心の前に立ったはずなのに、その扉の感覚すら感じられない。信じられな
い思いで、刹那はもう一度試してみる。・・・・・・やはり擦り抜けた。生きている以上、心は存在す
る。たとえ修復不可能なまでに心を壊したところで、心そのものが消える事はない。
考えられる事は一つだ。
ニールは既に刹那など目に入らないような状態で、ライルの頭を引き寄せ楽しそうにその頬を撫でてい
る。
「まさか・・・・殺したのか?」
ニールが刹那をむいて、ニヤリと笑った。
「殺したのか、ライルを!ロックオン、お前がっ!」
激情にかられて、刹那は怒鳴った。信じられない、誰よりもライルを愛し、その未来を望んでいたニー
ルが、ライルに手をかけるとは。
「俺は、ライルが苦しむのが許せないんだよ。此処に来ても、こいつはソラン、ソランと呼び続けて、
泣いて苦しがっていた。だったらその苦しみから開放してやるのも、一つの方法だろう?ああ、心配
するな。苦しめてないさ、ライルが苦しがる事を俺がするわけないだろう?」
ニールの瞳と合った途端、刹那に彼の感情が強制的に流れてきた。それは・・・・狂気。刹那が思って
いたよりも、ニールは自分の精神の大半をライルで支えていたのだ。その支えは失われてしまった。自
分ではなく、刹那に寄り添おうとするライルにニール自身の精神も傷ついていたのだ。もしかしたら双
子にあるという、なんらかの心の繋がりによってライルの精神不安がニールに流れ込んだ可能性も否定
できない。
「なら・・・・ライルの遺体を俺に渡してくれ、ロックオン。せめて家族の墓に入れてやりたい」
だが刹那の申し出は、ニールが向けた銃口で答えられた。
「お前に・・・・ライルは渡さない。ライルは俺と一緒にいるべきだったんだ。なんで俺はこいつを追
う事をしなかったんだろうな?寄宿舎付の学校に行った時なんかにさ」
「ロックオン」
思わず一歩踏み出した途端、ニールの銃が火を噴いた。
「!」
咄嗟に何とかかわす。だがその時に隙ができた。
「悪いな、刹那」
パシュ
ニールは刹那に撃った後、自分のこめかみにその銃を当て戸惑い無く引き金を引いた。
「ロックオン!」
刹那の悲痛な叫びが、響く。ニールの右手から銃が滑り落ちたが、左手はライルから離さなかった。呆
然とした刹那の目に、火がうつる。ニールの身体から発せられているようだった。ニールは自分が死亡
した時、発火するような仕掛けを施しているのだろう。
「ラ・・・ライルっ!ロックオン!」
火はベットに燃え移り、二人の遺体を包み込んだ。ドン、ドンと他でも何かが爆発するような音が聞こ
える。なんとか遺体に近寄ろうとするが、火が激しくて近づけない。
「っ!」
意を決して廊下へ飛び出すと、他の部屋からも炎が上がっている。
(駄目か・・・?)
それもいいか、と刹那は投げやりに思う。守りたかったライルは自身の実兄に殺され、実兄はライルが
自分を完全に拒絶した事に絶望し心を壊した。どちらも刹那にとっては、大事な存在だった。その彼ら
と一緒に逝く事になるのも良いか。だったら部屋に戻ろう、そう思って気がついた。廊下はまだ火に包
まれていない。それはとても不自然な光景だった。
「・・・・・俺に生きろというのか、ロックオン」
狂気に支配されてもなお残ったニールの最後の理性が、この脱出経路を作ってくれたのだろう。
火事だ、と騒ぐ者達を余所に、刹那は激しく燃え上がるディランディ家を見つめていた。あの炎の中で
ディランディ兄弟は、家族の元に旅立ったのだ。自分を置いて。
どうしてこうなってしまったのだろう?
自分達のせいで強制的に心を壊されたライルを守りたかっただけなのに。
その原因がニールでなかったら、会わせられたのに。
崩れていく家を見つめていた刹那から、静かに涙が零れ落ちた。
★後味の悪いラストで本当に申し訳ありません。特に兄さんの扱いが(汗)多分、一番暗い話になりま
す、これ。009にこんな台詞があります「はかない希望は絶望よりたちが悪い。残酷になりえる」
これが兄さんのこの行動の原因です。ライルに持っていたはかない希望が打ち砕かれてしまい、最後
の一線を越えてしまった。刹那、ごめんね。
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