俺の世界






 
ダーナの示す先1



「おはようございます」
銀に光るトレイを片手に、ノックもなしに主の部屋へ入る。豪勢なベットの中に埋もれていた塊がもぞ
もぞと動く。その動きに苦笑しながらベットの横にあるテーブルへトレイを置き、窓に近づく。大きく
やはり豪勢な作りのカーテンを横に思いっきり引いて、朝日を部屋に入れた。
「起きて下さい、もう朝なんですから」
カーテンを開けきると再びテーブルへ戻りトレイの上に乗っているものを取ろうとした時、ベットから
伸びて来た手に手首を掴まれる。のそり、と起きたのはまだ若い青年だった。どことなく不満気な顔に
苦笑を浮かべる。
「おはようございます。ニール様」
そう声をかければ、完全に不機嫌な顔になる。
「俺言わなかったけか?2人きりの時は様をつけるなって」
「そう言われましても私は貴方の執事ですから、たとえ2人きりとはいえ呼び捨てになどできません」
そう答えれば手首を掴む手に力が増した。
「ライル」
縋るように名前を呼ばれても、呼び捨てにできるはずもない。
「紅茶を入れますから、手を離して下さい」
「・・・・・・・・・・・・・」
「ニール様」
少し語尾を強めて言えば、力が弱まる。それをそっと外して彼・・・・ライルは溜息をついた。長く伸
ばした髪を後ろで1つに纏め、黒ぶちの眼鏡をかけて黒のスーツを身にまとう彼をニールと呼ばれた青
年は切なそうに見つめる。
(諦めが悪い人だ)
そう思う。最早、2人だけでどうこうできる問題ではないのだ。ライルはとっくに諦めた。差し出した
紅茶をニールは実に美味しそうに飲む。
「さあ、早く着替えて下さい。朝食に遅れると私が大旦那様に怒られます」
切り札を早々に切る。いつもの朝にいつも切る切り札。そう言われれば効果テキメン。ニールは渋々と
いった感じでベットから起き上がった。


ライルのフルネームは『ライル・アークライン』という。もっと昔は『ライル・ディランディ』と名乗
っていた。ディランディ家はこの国では由緒ある家柄である。そこにライルは双子の弟として生を受け
た。一緒に生まれたのは渋い顔をして着替えている青年・・・・本来は血の繋がった双子の兄である
『ニール・ディランディ』である。
幼少の頃は仲が良くいつも一緒にいたのだが、ある時突然家族から離されて遠くの学校に行かされる事
になった。そこは執事を養成する学校だった。同時に『ディランディ』の姓を名乗る事は許されなくな
り、その代わりとして『アークライン』という姓を与えられたのだ。

ライルは幼いなりに悟った。

自分はディランディ家から追い出されたのだと。ディランディ家は代々長男がその家を継いで来た。男
が生まれればその時点で子作りは止めさせられる。同じ男の兄弟がいれば後々争いが起こるからだ。だ
がニールとライルは双子として生まれてきてしまった。生まれた時点で兄と自分とは違う人生を歩む事
となった。恨みもしたし、憎んだりもした。大旦那様と呼ばれる未だに絶大な権力を握る祖父はライル
にニールの執事になるよう定めたのだ。それが更にライルに惨めさを感じさせた。時を同じくして生ま
れたというのに、兄は主人として自分は使用人として接しなければならない。

だがある時ライルの葛藤を知る真面目な寮長がライルにこう言ったのだ。
「だが君の家は色々と面倒くさいシキタリが沢山あるんだろう?だったらこう考えてみてはどうだろう
 か?君の兄はその面倒くさい事を全て引き受けてくれたのだと。そして使用人だとしてもライルはそ
 のシキタリから自由になれる。重荷を全て兄に押し付けたというのは」
ハッとした。確かにディランディ家は古くからの家柄なので、なんだか面倒くさいシキタリが存分にあ
った気がする。兄はそのシキタリから外れて生きる事は許されない。一生ディランディ家に縛られて生
きていくのだ。そして何かの間違いがあったのか知らないが、ひょっこり生まれて来た妹は自由な恋愛
も許されず、家に有利な由緒ある家柄に嫁ぐ事になる。それに比べればライルは自由であるといえる。
そう、自分がディランディ家に縁があると知られない限りは。

世界が変わった。

学校を卒業し、執事として兄に仕える事になった時の騒動は凄かった。ニールは激高し何度も祖父と衝
突を繰り返したのだ。納得できない、と。父も母も沈黙を守った。元より守ってもらえるとは思っても
いない。自分が追い出された時も、異議を唱えることすらできなかったのだから。必死で抗議を続ける
兄に昔自分が寮長に言われた事を伝えて、これで自分は納得しているから良いんだと説得しても、兄は
まだ怒りが治まらなかった。このままでは何も知らない、知らせてはいけないエイミーにも真相がバレ
てしまう。それは避けたかった。彼女の兄はたった1人で良いのだから。
「そうやってニール様が大旦那様に抗議をすれば、それだけ私の立場が無くなります。どうか納得して
 下さい」
最後にはそう言って説得をした。実際、兄が祖父に抗議する度に祖父に呼び出されてお説教を食らって
いたのだ。それを知らない兄ではない。渋々という形で黙り込んだ。


食堂までニールに付き添った後、普段であればライルはニールの仕事に必要な書類等を準備しているの
だが、今日はニールの休日だ。なので自分の部屋に戻って暫くした後、ライルはおもむろに庭へと足を
運んだ。日課でもある。庭の中で目的の人物を探す。その人物はバラの世話をしている処だった。
「おはよう、おやっさん」
「おぅ、ライルか」
おやっさんことイアン・ヴァスティは腕ききの庭師だ。ライルは兄とは違い、昔から土の感触が好きで
良く彼の仕事を手伝っていた。
「このバラ、凄く良い感じだね。この前部屋に飾ったら、凄く喜ばれたよ」
ニールの部屋にバラを飾ったら、綺麗だと言ってとても喜んでいた事を思い出す。そう言うとイアンは
嬉しそうに笑った。
「そうやってワシらの仕事を分かってもらえるのは嬉しいよ」
「バラって良い香りするしさ」
「そうだな、この品種は香りが他のより強いから、そう思うのかもな」
「へぇ〜」
此処は落ち着く。屋敷内とは違い、素の自分が出せるからだ。イアンはライルの辿った人生を知ってい
るから、無理に繕う事も無い。ありのままの自分を受け入れてくれる、貴重な人物だ。彼らに心理的に
救われた事も多い。
「おお、そうだ」
イアンは思い出したかのように、ポンと手を打ってから少し離れた袋へと向かう。
「?」
戻って来たイアンの手には2本の缶ジュースが握られていた。
「もう少し離れた処にアイツがいるから、これ持って行ってやってくれんか。そろそろ一旦休憩を取れ
 とな」
「え、でもこれ2本あるぞ、おやっさん。1本で良いんじゃねぇ?」
そう言うとイアンはニヤリと笑って、ライルの肩をぽんぽんと叩いた。
「あいつな、お前が来るのを楽しみにしとるんだよ。だからあいつの休憩に付き合ってやってくれ」
「・・・・・・そうなのか?」
困惑を隠しきれずにライルは呟く。今迄の反応を見るに、どうも好かれているとは到底思えないのだが。
「ま、あいつは表情がなかなか表に出んから分かりにくいだろうがなぁ。ワシの目に狂いはないぞ」
自信満々に言われて、そうなのか?と首を傾げる。だがイアンの言うとおり、ライルを彼が待っていて
くれるのなら、行くのはやぶさかじゃない。ライルは分かった、と返事をして彼のいる場所に向かった。

★というわけで、執事のライルのお話です。ダーナはケルト神話のダーナ神族の最高神。女神が示す先  は・・・・・というオチの話です。 戻る