優しい庭
ダーナの示す先2
おやっさんに言われて、ライルは『彼』を探す。目的の人物はすぐに見つかった。見事な花や葉の間で
小さな背中が見えた。
「ソラン」
名前を呼ぶと、のそりとその背中が動き少年の中東的な浅黒い顔がのぞく。
ソラン・イブラヒムもとい、ソラン・ヴァスティ。
何年か前、この国で大規模な人身売買を生業とする組織が明るみにでた。警察を始めとする関係者の地
道な努力の元、見事せん滅できた。『商品』として売られていたのは、主に発展途上国の子供達。その
子供達を救済し出身国へ帰国させたのだが、少数とはいえ出身国へ帰れない子供達も存在したのだ。こ
の目の前にいる少年もその1人だった。誘拐された時、彼の村は全滅させられており、両親も殺されて
いた。だからかソランは国へ帰るのを拒んだ。すったもんだの挙句、色々な縁でイアンが養子として引
き取り育てているのだ。
過酷な経験をしたせいか、ソランは滅多に表情を崩さない。ヴァスティ夫妻はそれを気にしているのだ
が、心の傷というものはなかなかに癒えないものなのだ。イアンに紹介されてもっと小さかった頃のソ
ランと対面した事はあるが、睨みつけられるような赤い瞳に戸惑ったものだ。今はその頃に比べればま
だマシな反応を見せてくれるが、なんというか敬遠されているように見えるのだ。イアンはソランがラ
イルを気に入っているというが、なんとも現実味のない話のように思う。今も無表情のままライルの前
にぬぼーっと立っているだけだ。
ここでメゲたらダメだ。
ライルは己を叱咤して勤めて明るい声を出した。
「ソラン、これおやっさんから」
缶ジュースを目の前に差し出す。
「そろそろ休憩しろってさ」
「そうか」
「アップルとオレンジ、どっちがいい?」
「アップル」
「ほい」
「有難う」
缶ジュースを手にしたソランがライルを見つめてくる。どうも缶ジュースが2本あった事が意外だった
らしい。なのでライルは拒否されるかも、と思いつつ苦笑した。
「おやっさんが、俺も一緒に休憩したらどうだって言うからさ」
「そうか」
即答だった。そのままライルに背を向けてスタスタと使用人用のベンチへと向かう。その背中を見なが
ら「俺、本当に嫌われてないのかよ、おやっさん」と呟く。ソランはベンチの前に来ると、こちらを見
ているので、ライルはなんとなくおずおずとベンチに向かった。
「今日も良い天気だなぁ」
「ああ」
「調子はどうだ?」
「問題ない」
「世話している花とかは?」
「問題ない」
「そっか」
万事こんな調子。素っ気ないものの昔に比べればマシになった。前はライルがどんなに話しかけても、
返事すらなかったのだから。マシになったものの、会話が弾むわけでもない。ライルが話題に困った時
だった。
「あー!お兄ちゃんとアークラインさんですぅ!」
という元気な女の子の声がしたのだ。見るとそこには髪をツインテールにした可愛い女の子が両手に何
か持って、瞳をきらきらさせて立っていた。
ミレイナ・ヴァスティ
ヴァスティ夫妻の血の繋がった、娘だ。父親よりも才色兼備な母親の血を濃く受け継いでいると思う。
にっこり笑ったミレイナはとととと、とライル達の方へ走り寄った時、何かに躓いた。咄嗟に彼女を受
け止めようとしたのだが、ソランの方が早かった。転ぶ前にミレイナを支えている。出遅れたライルは
歳を感じつつ、宙を舞った何らかの包みをキャッチする。
「危ないだろう」
「うん、有難うです!お兄ちゃん!・・・・あっ、クッキー!」
「あ、コレの事かい?」
「アークラインさん、有難うですぅ!」
ミレイナに包みを戻すと、大事そうに受け取る。そのままミレイナは当然のようにソランとライルの間
に座った。
「今日、ミレイナがママに手伝ってもらって作ったクッキーです!お兄ちゃんもアークラインさんも食
べて下さいです!」
ミレイナの年齢から母であるリンダ・ヴァスティがほとんど作っただろうと推測できたが、それを指摘
する無粋な奴は此処にはいなかった。
「はい!」
元気にクッキーを差し出されたのは、なんとライルの方。
「いや、先にお兄ちゃんに上げなよミレイナ」
「そうですか?」
「そうだよ」
そう言うと納得したのかくるりとソランの方を向き
「はい!お兄ちゃんにはお星さまです!」
と若干いびつな星型クッキーを差し出した。
「有難う」
ライルといる時よりも若干優しい表情で(とはいっても慣れてない者だとわからない)ソランはミレイ
ナの小さな手からクッキーを受け取り、さくりと齧った。
「どうですか、美味しい?」
「ああ。旨い」
「良かったです!」
そう言うとミレイナはくるりとライルに向き直った。がさごそと包みの中をかき混ぜて(なにか探して
いるらしい)ようやく手にしたのは、ハート型のクッキーだった。
「アークラインさんのはこっちです!」
「有難う」
礼を言って手で取ろうとしたのだが、それを拒絶される。なにごとかと目を丸くすると、にっこりと笑
ってこう仰ったのだ。
「ミレイナが食べさせてあげるです!」
「えっ!?」
思いもしない展開であった。再びライルに向かって差し出されたハート型のクッキー。ミレイナの顔を
見つめるが、どうもなんとも誤魔化せないようだ。ライルは早々と白旗を上げて、クッキーに顔を近づ
け1口齧った。素朴な、でも暖かい味がする。
(あの人はこういう味を知らないっていうのも、気の毒だな)
ディランディ家では当たり前だが専属のシェフがいる。当然スイーツ等も、一流のパテェシエが作る。
確かに見た目にも美しく美味しいのだが、こういう素朴な暖かみはない。ただ繊細な味に慣れている次
期当主の口に合うかどうか分からないが、ライルはこういう味は大好きだ。
「アークラインさん!美味しいですか?」
「ああ、美味しいよ。凄いな、ミレイナは良いお嫁さんになるよ」
そう告げるとミレイナの目が更に嬉しそうにキラキラと光る。女の子って本当にお嫁さんが好きだなー
とライルは微笑ましく思う。奇妙な話、実際血の繋がっている妹よりもミレイナの方がよっぽど近く感
じる。
「あ、でもミレイナのお婿さんになる奴は大変だな」
「どうしてですか?」
「だってイアンや・・・ソランだって生半可な相手だったら、結婚とか許さないだろうから」
「当然だ」
たとえ血が繋がっていなくても、ソランにとっては唯一の大事な妹なのである。早々簡単に認めるわけ
もないだろう。ところがそれを聞いたミレイナがパン、と両手を合わせてにっこりと笑った。
「大丈夫です!ミレイナはアークラインさんのお嫁さんになるです!」
「え、俺ぇ!?」
ライルの声がひっくり返った。ソランも驚きのあまりか、固まっている。ミレイナは自分が落とした爆
弾発言をものともせずに、こっくりと頷いた。その動作を受けてライルはぽりぽりと頭をかく。
「あー、それは凄く嬉しい事だけど、無理だよ」
途端に曇るミレイナの表情。
「だってミレイナが20歳の綺麗な女性になっている頃、俺は35歳のおじさんだぞ。もったいないっ
て」
「でもパパとママはもっと年が離れてるです!」
「あー確かに・・・それは・・・・」
ミレイナの父であるイアンは57歳だが母のリンダは32歳である。その差なんと25歳。確かにこの
2人に比べれば15歳違いのライルとミレイナはまだ年が近い方だ。それを例に出されると、ライルと
してもなんともいえない。ミレイナは学校に通っている為(庭師とはいえヴァスティ一家はインテリ系
なのだ)お婿さん候補もクラスメイトだと思って口にしたのだが、とんでもない方向へ飛んでしまった
ようだった。因みにソランも引き取られた後に学校に通っていたのだが、肌の色や考え方の違い、そし
てどこから知ったのかソランの過去を口実にイジメられた為に、通学を断念していた。子供の差別は大
人以上に残酷だ。学校に行かなかったものの、ヴァスティ夫妻の英才教育を受けているのでソランはそ
の年の子供達と比べても優秀だ。将来は大学に行って欲しいようだが、本人はイアンの後を継げれば良
いぐらいにしか思っていないようだった。
「ミレイナはアークラインさんのお嫁さんになれないですか?」
しゅん、と可哀そうな程に落ち込んだミレイナを見てライルは慌てる。ツインテールも心なしかしゅん
としているように見えた。
「ミレイナ、ライルを困らせるな」
意外な事にソランが割って入って来た。
「でも、お兄ちゃん・・・・」
ぽんぽんとミレイナの頭を軽く叩き、ソランは困ったような表情をした。
「ミレイナなら大きくなれば、もっと良い人が見つかる」
取りあえずソランなりにライルのフォローをしてくれているらしい。
「・・・・・・・・」
「ありがとな、ミレイナ。そんな風に思っていてくれたなんて、本当に嬉しいよ。それは本当だから」
ライルがそう言えば、うん、とミレイナが頷く。ライルは早々に話題を切り替えた。
「そういえばこの前・・・・・・・」
なんとか和気あいあいの雰囲気になった時に、ライルはふと気がついた。ミレイナの持って来たクッキ
ーを3人でぽりぽり食べて談笑いたのだが、その量がほとんどなくなっているのを。
「どしたですか、アークラインさん」
「これパパの分も入ってたんだろ?・・・・食い過ぎちまったなぁ」
「あ、ほんとだ。気がつきませんでした」
素朴な味というものは案外、味に飽きにくい。セーブしたつもりではあったが、少々食べ過ぎたようだ。
「パパの分が無くならない内に、そこへ行くか。俺が食い過ぎたって謝るから、一緒に行こう」
ライルはそう言って立ちあがった。ミレイナもぴょんとベンチから飛び降りる。
「さて行こうか・・・・・って、どうした?ソラン?」
気がつけばソランがどこかを凝視して微動だにしないのだ。
「ん?」
その視線の先を辿ってみるが、別に何もない。綺麗に管理された植樹がそこに並んでいるだけ。
「ソラン?」
「お兄ちゃん?」
2人の問いかけにソランはようやく我に帰ったようだった。
「なんだ、なにかいるのか?」
首を傾げるとソランは元の無表情で
「なんでもない」
と返して立ちあがった。
「ほら、イアンの処へ行くんだろう?」
と言って2人の背を押して、自らも歩きだす。
「変な奴」
ライルはぽそり、と呟きソランの眉を寄せさせた。
★せっちゃんご登場です。ヴァスティ一家なら複雑な過去を持った刹那も受け入れてくれるだろーなー
と思いまして。無表情ながら実はミレイナの事が可愛くて仕方が無いせっちゃん。
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