葛藤と思慕と






 
ダーナの示す先3


その場所へ足が向いたのは、ほんの偶然だった。


今日はオフの日だったが、友人が遊びに来る予定だった。しかしそれは午後からなので、ニールは中途
半端に残った時間を持て余し、天気も良いので久し振りに庭へ足を向けた。暖かい日差しを受けながら
ぶらぶらと歩く。優秀な庭師のおかげで整然と管理された木々や花がニールを迎えてくれていた。普段
仕事に忙殺されてこんな風に庭を巡る事も無い。実に新鮮な気分だった。


ふと、今迄行った事のない場所へ行ってみる気になった。それは正面からやや外れた場所。しかしそこ
にも見事な庭が広がっている。それを楽しみながら歩いていると、どこからか楽しそうな声が聞こえて
来る。どうやら誰かがここで休憩しているらしい。なんとなしにそちらに足を向ける気分になった。段
々聞こえてくるその声の中に、ニールは聞き覚えのある声が混ざっている事に気がついた。心臓が高鳴
り自然に足が早くなる。見つかったらいけないと思い、木々の後ろに隠れつつ声の場所に急ぐ。


ようやく辿り着いた場所で、木に隠れながらニールは慎重に覗き込む。最初に目に入ったのは髪をツイ
ンテールにした可愛らしい女の子だった。妹のエイミーより少し下だろう。その少女は右に左にと忙し
く顔を動かしていた。反対の方向から覗いてみると、先程の少女の隣に1人の少年が座っている。明ら
かに異国の風貌だ。ニールは次期当主ではあるが使用人の顔や履歴を全員覚えているわけではない。当
然ニールはソランを知らない。

そして

元の方向から更に覗いてみると・・・・そこには屈託のない笑顔を浮かべたライルがいたのだ。少女が
何か言うと困ったように笑って、頭をかく。いつもニールに対して浮かべている笑顔とは雲泥の差だっ
た。呆然をしていた時に隙があったらしい。気がつくと異国の風貌を持つ少年が視線をこちらに向けて
いた。幸い少年からは見えない場所だった為に自分がいたという事はバレなかったようだが、違和感を
感じるらしく。時々軽く首を傾げて此方を見ていた。咄嗟に顔を出す事を止め、木の後ろに完全に隠れ
るが、少年はまだなにか感じるらしくその視線が外される事はない。
(一体、なんなんだ、あいつ)
思わず心の中で毒づいた。だがふとその視線を感じなくなった。そっと覗いてみるとライルが少女と微
笑ましい事に手を繋いで歩いて行く背中が見える。その後を追った少年が再び違和感を感じたらしく、
またしてもこちらを振り返った。だが前を行く2人に呼ばれたのだろう。背を向けた少年はもう振り返
る事はしなかった。


少しの間其処に佇んだ後、ニールはよろよろと木の陰から出る。頭に残るのはライルのあの笑顔。
(俺も欲しい・・・・・。あの笑顔が)
最後にライルの屈託のない笑顔を見たのはいつだっただろうか?ニールは俯いて考える。


いつも一緒だったライルの姿が見えなくなり、ニールはライルを探し回った。両親に訊いても祖父に訊
いても、使用人に訊いても誰も言葉を濁すばかり。自分の片割れ。最愛の弟はある日突然ニールの前か
ら姿を消した。それから何年か経った時、偶然ニールはライルを見かけた。弟は何故か正門からではな
く、使用人達が使う裏門から入って来たのだ。
「ライル!」
叫んだがライルには聞こえなかったらしい。そのままスタスタと使用人達の出入り口へと向かっている。
おかしな事だと思った。ライルはディランディ家の息子なのだ、何故そんな処を使うのか理解できない。
ニールは走ってライルを追いかけた。ライルの姿はそのまま使用人用の出入口へと消えていく。必死で
その後を追いかけた。
「ニール様!こんな処に来てはだめでしょう!?」
という使用人の声もニールには届かない。やっとライルに追いつく。
「ライル!」
嬉しくて弾んだ声でライルを呼ぶと、弟はゆっくりと振り返った。そのままニールはライルに抱きつく。
大事なそして最愛の弟が自分の元に帰って来たと、ニールは喜んでライルを抱きしめた。
だが
その腕は半ば強引に外された。
「初めまして、ニール様ですね?私はライル・アークラインと言います」
「え?」
「誰かとお間違えになったようですね。次期当主ともあろう方がこんな使用人の使う処へ来てはダメで
 すよ」
ライルから吐き出される他人行儀の言葉を、ニールは呆然として聞いていた。なんだ、これは?どうし
てライルからこんなにも冷たい反応が返って来るんだ、とニールの頭の中はぐるぐると回る。立ちつく
すニールをどう思ったのか、ライルは冷たい視線でニールを見つめ、一礼をしてそのまま背を向ける。
完全にニールを拒絶した背中。咄嗟に伸びた腕はライルに届かないまま、下に落ちた。


母親を問い詰めると、驚愕の言葉が飛び出した。
「何を言ってるの、ニール。貴方に弟なんていないでしょ?」
「なに・・・言ってるんだよ、母さん。ライルは俺の双子の弟だよ?」
「貴方は双子に生まれてなどいないわよ。おかしなニール」
「おかしい・・?俺が?違う、おかしいのは母さんだよ。どうして?」
「良い?良くお聞きなさい、ニール」
母親は厳しい顔つきでニールの顔を覗き込んだ。
「貴方に弟なんていない。いないのよ」
絶句した。ライルの存在・・・・ライル・ディランディの存在は母親の言葉通り、戸籍からも消えてい
た。そう、最初からニール・ディランディと共に産まれたライル・ディランディはいなかった事になっ
ていたのだ。ニールは母親が止めるのも聞かずに、祖父の元へ真相を聞きに行った。厳しいながらも、
優しい祖父はニールの疑問に冷たく答えた。
「お前に弟などいない。そんな事を夢想するぐらいなら、もっと次期当主に相応しい知識を学ぶ事に専
 念しろ」

ライルは捨てられたのだ。

祖父に、父に母に・・・・そしてディランディ家に。

それからはニールは再びライルに会えないかと裏口辺りをぶらぶらしていたのだが、結局会う事はでき
なかった。後で知った事だが、ライルは祖父に呼ばれてニールの前に姿を現した事を咎められたらしい。
そしてライルは学校から帰って来る事すら出来なくなっていたのだ。そうとも知らず、ニールは待ち続
けた。ずっと、諦めきれずに。


大学を首席で卒業した後、ニールは当然の様にディランディ家の次期当主として仕事をし始めた。その
時にライルと再会したのである。・・・・・主人と使用人として。髪を長くして黒ぶちの眼鏡をかけた
弟は、一瞥したぐらいではニールと似ているとは思われない。新しく入って来る使用人の中には、ライ
ルとニールが兄弟であるという事すら知らない者も多い。

激高した。

せめてディランディ家が関係ない処で生きて欲しかったのに。兄を主人として仕えなければならないな
ど、惨すぎる。だが祖父は初めからライルをニールの執事にする予定だったと言った。ライルにも詰め
寄った。だがライルは冷めた態度で、生返事をするばかり。その度に浮かぶ作り笑いが、どうしようも
なくニールを悲しくさせる。誰よりも近い存在なのに、自分達の間にある溝は深くて広すぎる。ライル
は1度だけこう言った。
「俺はアンタにディランディ家のメンドクサイ事を全部押し付けているんだ。こっちの立場の方が楽に
 生きていける」
ライルの本心だという事は分かる。だがその結論に至るまでのライルの心情を考えると、どうしてもニ
ールは納得が出来ない。ライルのこの言葉を信じているふりをして接していれば良いのだろうが、ニー
ルはどうしても譲れなかった。だが唯一の頼みもにべもなく断られる。
「2人きりの時だけで良い。その時は俺の事を様付けで呼ぶな。敬語も使うな」
「そうは言いましても、そういう特別なルールを作ったらいつか必ず他人がいる処で出てしまいます。
 その時困るのはニール様ですよ?」
「構うもんか」
「私が大旦那様に叱られるとしても、ですか」
「またそれか」
だがライルの言っている事は嘘ではない。ニールがライル関係を騒いで足掻く程、ライルは祖父に呼び
出されて叱責されるらしい。



「ライル・・・・・・・」
時を同じくして産まれたはずなのに、どうしてこんなにも遠い関係になってしまったのだろう。ニール
が腕時計を見ると、そろそろ昼食の時間だ。部屋にいなかったらライルが疑問に思うだろう。一刻も早
く部屋に戻らなければならない。
(欲しい)
心から思う。
(俺もあの笑顔が・・・・欲しい)
名も知らぬあの少女と少年が羨ましかった。


★ここで捕捉します。祖父がえらい人でなしのようになっていますが、それはディランディ兄弟側から  しか見ていないからです。設定としては祖父はちゃんとライルも愛しておるのですよ。本来なら養子  として放りだす事になっているんですが、双子として生まれたのに家から追い出すというのは可哀そ  うと思ったんですよ。執事として教育を受けさせたのも、高い教養と知識を得させる為。そして家族  以外の命令はきかなくても良いという立場にさせる為。事あるごとにライルを叱責するのはニールが  言う事をきかない時の、切り札とする為に敢えて悪役を演じているのです。そしてライルは執事とし  ても大変な高給取りです。これは給与という形で財産を分け与えているから。両親はそんな祖父の心  情を知っているからこそ、黙っているのです。ライルは一生気が付かないかもしれませんが、ニール  は自分が正式に当主として立った時に、祖父の真意を悟るのです。自分がその立場に立ってみなけれ  ば分からない事は多くある。そしてその真意を悟った時、祖父は憎まれ役のまま他界しているのです。 戻る