遺していくもの
ダーナの示す先6
何年振りかで髪を切る。血が繋がっているという事を隠す為に伸ばしていた髪を。それはいつか来る、
この日の為。その為の存在。究極の楯。ライルは丁寧に自分の髪を切る。主人である彼の髪型と同じよ
うに。同じになるように。
鏡に写ったのはニール・ディランディと同じ顔。もう眼鏡も必要ない。ここから永遠に去るであろう自
分には、もう何も取りつくろう事はない。自分の後にニールの執事となった沙慈・クロスロードにも全
て引き継ぎの終わっている。執事として・・・「ライル・アークライン」としての仕事はこれで終わり
だ。二度と復帰は望めない。
「分かってる、覚悟している。・・・・・この身が必要となった時の覚悟ぐらいしている」
ただ、心残りなのはソランの事だけ。こんな薄情な自分の事など忘れて、今度はまっとうな恋愛をすべ
きだろう。だが感謝している。あんなにも暖かく寄り添ってくれた事を。色々と不便をさせた事は申し
訳ないと思う。しかしこれはいくら相手がソランであっても、言う事の出来ないものだった。所謂極秘
任務というやつだ。
(ごめんな、ソラン。忘れて欲しいけど・・・覚えてても欲しい。我儘だな、俺は)
今日、ニールの代わりに狙撃されに行く。
ディランディ家と諍いを起こしたある企業が、次期当主を亡き者にする為に暗躍しているらしい。こち
らとしてもエージェント達が必死で捜索しているが相手もさるもので、なかなかに尻尾を掴ませない。
今日ニールは商談の為に出国する事になっているのだが、その情報が漏れたのだ。無論、漏らした者は
拘束したが、こちらの都合でキャンセルするには商談の相手が大きすぎる。そこで白羽の矢が立ったの
がライルだった。ライルがVIP専用搭乗口へオトリとして行き、ニールは普通の乗客と同じ搭乗口か
ら出国させる予定だ。相手も失敗したら元も子もないので、腕ききを用意しているはずだ。そして急所
を狙ってくるだろう。別にライルには当たって死んでこい等、誰も言っていない。だが多分、死ぬ事に
なる。1回しか使えない究極の楯をあの祖父が使うのだ。相手も相当侮れないのだろう。無論、ニール
はそんな事は知らない。知らないが故に『一身上の都合』で執事を辞めると言ったライルに、珍しく非
常に動揺を示した。俺がやっぱり嫌いか?とまで言われたが、いくら命令されたからといって嫌いな人
間のオトリなんぞできるはずもない。自分と違い、ニールを必要としている者は大勢いるのだ。ここで
死なれたらライルだって困るし、嫌だ。
(守ってみせるさ、きっと)
これは自分にしかできないのだから。ライルは鏡に映る、ニールと同じ顔を睨みつけた。
空港のVIP専用の豪勢な待合室で、SPに囲まれてライルは非常に居心地が悪かった。なんせこんな
警護などされた事なんてない。よくもまあニールはこんな状況でものほほんとできたものだと感心する。
(というか、慣れだな)
産まれた時からこんな警備をされ続けていたのだから、当然か。そう思い当って微笑んだ時、搭乗手続
きのアナウンスが響いた。周りに緊張が走り、SP達が迅速にライルの周りを固めていく。なにがあっ
てもすぐに行動ができるように。ライルの顔にも緊張がはしる。とうとう来た、この瞬間が。
(きた・・・・・)
相手が狙うのは搭乗口に向かう時だろう。つまり今だ。ライルは改めて覚悟を決めて立ち上がり、歩き
出した。
その向けられた殺意に気がついたのは偶然だった。
そちらへ顔を向けると同時に左腹に激痛が走る。ライルはそのまま床に仰向けに倒れ込んだ。周囲の悲
鳴と怒号が行き交い、SP達が犯人に向かって走り出す。無論、ライルの手当てをしようと走り寄って
来るSPもいた。だがライルは追い払った。自分が犠牲になる事は、既に葛藤の時を過ぎて非常に穏や
かに受け入れていたのだ。だから自分よりも犯人逮捕、ひいては相手の企業への牽制の方が大事なのだ。
(・・・・守れた・・・かな?)
自分の身体からどんどん血液が失われて行くのが分かる。痛みもマヒしてライルは満足感を感じながら
静かに目を閉じた。ニールがこの事を知る事はないはずだ。ライルも知らせないように祖父に頼んだし、
祖父としても知られたくないだろう。もし知ったら少しは悲しんでくれるのだろうか、とふと思った。
ニールも・・・そして今は遠くなってしまった両親も。だがその感傷には首を横に振る。悲しんで欲し
くない。ニールにはこれからもディランディ家を率いて生きてもらわねばならない。その為の犠牲なの
だ。だから・・・・ニールが知る必要など、これっぽっちもないのだ。
(無事に・・・飛行機に乗れたかな?)
きっと今頃はなにも知らずに、ファーストクラスの席に座っているだろう。そしてなにかで自分がいた
空港で狙撃事件が起こった、という事を知るのかもしれない。だがそこに犠牲者がでた、とは書いてい
ないはずだ。ライルが死んでも記事に載る事はない。物騒な世の中になったもんだ、と呟くのかもしれ
ない。それでも良い。それでも良いんだ。守った事で、自分の存在意義が確立されたのだから。
頼りなくたゆたう意識と暗い視界の中で、ライルは誰かが自分を呼ぶのを感じた。言葉も声もはっきり
とは聞きとれない。だが自分を呼んでいる事は分かった。そしてふわり、と自分を包み込む心地良い暖
かさを感じ取る。
(誰・・・・・だ?)
目を開けたつもりだったが、実際には開けたかも分からない。相変わらず視界は暗くて、何も見えない。
しかし自分に安心感をもたらすこの暖かさを、ライルは知っている。
(ソラン・・・?)
家族の暖かさを失った自分に、暖かさを再び与えてくれたのは、ソランという自分よりも8歳も年下の
青年だった。彼の与えてくれる心身の暖かさに甘えていた自覚はある。だがどうしてこの場所に?今日
の事は何も言っていないはずなのに。髪を優しく撫でられて、ライルはその暖かさにすり寄った。それ
はライルがソランにしてもらう、好きな事だったからだ。途端、相手の身体が固くなったようだが、気
のせいかもしれないと思う。ソランは髪を撫でる自分に、ライルが擦り寄る事を知っている。だがこん
な公衆の面前で擦り寄って来る事を驚いたのかもしれない。部屋の中や2人きりの時には甘えん坊でも
あった自覚はあるが、ライルは決して外ではそういう態度を取った事はないのだ。無意識に唇が動き、
その名を呼んだ。ライルにとって大事な人の名前を。
「ソラン・・・・?」
それは声にもならなかったかもしれない。ライルにはそんな事、どうでも良かった。ひとたび呼べば、
もう止まらなくなった。
「ソラン・・・・・ソラン・・・・・・・・・」
名を呼ぶごとに、想いが溢れて零れていく。まるで迷子の子供が母親を呼ぶかのように、ライルはソラ
ンの名を呼び続けた。
★急転直下でございます。前に書いている通り祖父はキチンとライルを愛しているので、その指示を出
す前にそれは必死で色々手を打ったんですが、此処まで追い込まれてしまったのです。
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