想いの終り






 
ダーナの示す先8



早朝ディランディ家を出る為に庭の道を歩いている2人を、ニールは黙って見つめていた。遠目からで
もライルが欲しかった『あの』笑顔を傍の青年に向けているのが分かった。


兆候はあった。突然自分の執事を辞めると言いだして後任の者を連れてきたり、落ち着きがなかったり。
その度に「どうした?」と訊いたが、全てはぐらかされた。後任の者が来た時はあの祖父がまた何か言
ったのだと思い、問い詰めたが「一身上の都合。これ以上はプライバシーの侵害だ」と言って拒まれた。
急に距離を置きだしたライルに不安を感じていた矢先の出来事だったのだ。


あの日、一般の搭乗口から飛行機に乗ろうとした時、遠くで騒ぎが起こったのが分かった。
「なにかあったのか?」
そう問えば、乗務員にカモフラージュしたSPが、何かあったようだが分からないと答えて来た。だが
ニールの心に去来したのは言いようもない恐怖感と、憔悴感だった。止めようとするSP達を振り払っ
て騒ぎのある方へ向かう。そこはいつも自分が使っているVIP用の搭乗口。そこにはいつもと違って
黒山の人だかりが出来ていた。
「失礼、なにかあったんですか?」
婦人にそう声をかけると、彼女は不安そうに振り返った。
「ディランディ家の次期当主が狙撃されたんですって・・・・・」
「なんだって!?」
思わず大声を出してしまってから、我に返る。ディランディ家の次期当主が狙撃された?自分は此処に
いて、狙撃などされてもいない。と、なると・・・導き出される答えは・・・・・・。
そう思い至った瞬間、ニールはやじ馬の壁を力づくで通った。途中、迷惑そうな顔をされたり、罵声を
浴びせられたりもしたが気にもならない。警官の制止すら振り切ってニールは現場へ急いだ。


そこには1人の青年が血を流したまま、倒れていた。ニールは一瞬、固まる。血を流している青年の顔
は自分と瓜二つ。そんな人物は1人しかいない。ニールは駆け寄った。
「ライル!ライル!しっかりしろ、ライル!」
必死で呼びかけながら、抱きよせた。自分の服が血で汚れるが、そんな事は構いはしなかった。近づい
てきたSPの1人に止血をさせる。その間ニールはずっとライルを呼んでいた。だが反応がない。自分
の目からぽたぽたと涙が落ちる。ライルは自分の犠牲になったのだ。どこまでライルを都合の良いよう
に使うのだ、あの祖父は。捨てられて服従させられて、今度はその命さえ道具に使われて。涙が止まら
なかった。昔していたようにライルの髪をそっと撫でる。するとどうだろう、ライルが僅かではあるが
自分にすり寄ったのだ。思いもかけない状況に一瞬、ニールの思考は止まる。その時、ライルの唇が動
いた。
「?なんだ?なにが言いたいんだ、ライル?」
だがライルは目を開ける事も無く、ただただ唇が弱々しく動く。何を言っているのか気になって、ニー
ルはライルの唇に耳を寄せた。そして聞こえて来たのは
「ソラン・・・・・・」
ソラン?誰だ、そいつは?ニールは愕然とした。死に瀕したライルが、こんなにも必死で紡ぐ名の持ち
主。自分ではない事が、覚悟していたとはいえこんなにもショックだとは。しかもライルは一旦口にし
た途端、止まらなくなったのか「ソラン、ソラン」と縋るように呟いていた。
「呼んでくれよ、俺を。ソランとかいう名前じゃなくて」
ニールは呟く。
「呼んで、ライル。俺を。・・・俺だけを」
だが残酷なライルはただただ『ソラン』という名前を呼び続けた。


家に取って返し、ニールは『ソラン』という名を持つ者を探させる。報告はすぐに来た。庭師であるイ
アン・ヴァスティの養子であると。この国の出身ではない事がすぐにわかる。そしてその顔に見覚えが
あった。昔、庭でライルが笑って接していた、あの少年だ。自分が欲しくてたまらなかったその笑顔を
向けられながら、無表情だった事を思い出す。確かに仲は良いのかもしれないが、なぜライルはあの時
にこの少年の名前を呼び続けたのか。答もすぐに出た。ライルの選んだ恋人であるという事が。執事は
基本的に結婚はしない。結婚して家族を持つと、主人よりも家族を優先させるからだ。執事はあくまで
も主人を1番に考えなければならない職業なのだ。それにしても、意外ではあった。ティエリアがアレ
ルヤやハレルヤというライルの友人達から聞いてくれた話では、ライルの結構女の子が好きだったはず。
それがどうしてこんな年下の少年に手を伸ばしてしまったのか。報告ではソランがライルに手を伸ばし
たと書いてあり、こんな時だがなんとも奇妙な気分になる。だが目が覚めた時、ライルが1番に目に入
れたいのは自分ではなくて、この少年だと思う。くやしいがそれは変えられない事。乱暴な手つきでニ
ールはライルを搬送した病院の名前と住所をメモ書きにして、病院に話をつける。名門の次期当主の申
し出に、病院側は快く応じた。それから庭に出てイアン・ヴァスティに口止めをして、ソランの外出許
可を取る。その動きは実に素早かった。


少年だと思っていたソラン・ヴァスティは幼さがまだ残るものの、立派な青年になっていた。苦い思い
が胸中に飛来する。どうして、どうしてこんな赤の他人がライルの心を捕えてしまったのか。何故、血
の繋がった自分は心すら掴ませてもらえなかったのか。目の前の青年は少し困った顔をしてはいたが、
目をそらさずにニールを見つめてくる。無性に苛立った。だがニールにも分かっている。これでは単な
る八つ当たりだと。しかしあまり喋る気にはなれず、早々にメモを押しつけてその場を去った。きっと
ライルは喜ぶだろう。ライルが喜ぶのであればなんだってしてやる。だがそう思ってはいても、虚しい
気分は抜けなかった。誰よりもなによりもライルに自分の手を取って欲しかったのに。


振り返る事も無く、真っ直ぐに門へ向かう彼らを見ながらニールは思う。

地位も名誉も財産も(ライルに言わせれば人望も)恵まれていながら、1番欲しいものを手に入れられ
なかった自分と。
全てを失ったが1番欲しいものだけを手に入れたライル。

人はどちらが幸せだと言うだろう。

「愛していたよ、ライル」
兄弟としてでなく、全てにおいて。例え許されない想いでも、構わない程に。だが安全圏から騒ぐだけ
騒いで、結局いざという時にあの青年のようにライルの為に全てを捨てられない自分は、どうだっただ
ろう。ただの臆病者だったのかもしれない。そう思うと、ニールの心は痛んだ。

きっとライルはニールのこの想いを知ったらこう言っただろう。
「貴方が私の為に捨てて良いものなど、なにもない。ディランディ家は重いものだから」
背負っているものが大きすぎて、捨てる事さえできないものなのだと。


2人の姿がついに門から消えた。その門を見つめ続けるニールの頬に、涙が伝った。


★ライルが兄さんの名前を呼ばなかったのは、とっくに飛行機に乗ったと思っているからです。でもラ  イルはこれが切っ掛けになって、自由に自分の未来を決める事ができるようになりました。祖父のせ  めてもの償いでもあるのです。しかし兄さんはどんな切っ掛けがあろうとも、自分の未来を決める事  は出来ません。ライルが命張ってしまった為に、余計家にがんじがらめ。周囲にもセレブとか言われ  て羨望の眼差ししか受けないので、彼の不自由さを理解できない人というのはライルも含めて数多に  いる。日記とかでちょろりと書いた「兄さんが可哀そう」というのはこれを指しています。  因みにソランが病院にいた理由は「イアンが知らせてくれた」としかソランは言っていません。ちゃ  んと兄さんとの約束を守っているので、ライルは自分の今回の出来事は兄さんは知らないと思ってい  ます。  さて題名の「ダーナの示す先」いつの間にやら結構メジャーになっていたケルト神話の主神が女神ダ  −ナ。女神が指し示す先は・・・・・楽園です。ライルがソランと暮らす未来、それが彼にとっての  楽園ってなわけでして。ははは、恥ずかしい・・・。あ、後日談があります。 戻る