歌う主






 
A BLETILLA 1


天界に帰ってくると、いつも聴こえてくる歌がある。それは『エゴ』と呼ばれる階級の天使であるマリ
ナ・イスマイールが神に捧げる美しい歌声ではない。どこか幼く、どこか悲しげに響く歌。
戦場から戻って来た刹那は、その歌が聴こえる度に天界へ無事帰って来た事を実感する。刹那は『エク
シア』と呼ばれる階級の天使だ。その役割は最前線で堕天使と戦う事。神の為、天界のひいては人間界
の平和の為に戦う。だがいつもいつも堕天使と戦っているわけでもない。戦いの小休止があれば、こう
して天界へ戻る事が出来る。
この歌が聴こえ始めたのはいつだったのか、刹那も覚えてはいない。気がついた時にはその歌が聴こえ
ていた。他の天使達はまったく聴こえないらしい、その歌を歌う者をいつか探してみたいと刹那はずっ
と思っていた。


そして今日、とうとう実行に移した。目を閉じ、歌に集中する。歌う主は今日はどこか機嫌が良いらし
い。そんな事まで分かって来るようになっていた。歌の出所を探して刹那はうろつく。しかしそれは街
中ではないようだ。その歌を追ってひたすらに歩いて行くと、天界の外れのうっそうとした森に行きつ
く。

さてどうするか。

刹那は思案した。実は此処には不浄なる者が封印されているという事で、立ち入り禁止になっている場
所だったからだ。無視して入れば、神の怒りを買うかもしれない。それは天使にとって最も恐れる事だ
ったのだが、刹那はとうとう自分の好奇心に負けた。青みがかった1対の白い翼をなるべく小さくして
目立たなくし、こっそりと森の中に入って行った。


森の中を歩いて行くと、唐突に広場のような場所に出た。そしてその真ん中には高い塔が建っている。
刹那は首を傾げた。これだけ高い塔なら森の木々の上にその姿を現しても良いはずなのに、外から見れ
ばその塔は見えない。近づいてみて、刹那は更に驚いた。その塔の周りには分厚い結界が存在していた
からだ。透明なゼリーの中に塔が建っている、といえばいいだろうか?結界の効果によって塔は天界か
ら隠されている。そう判断して良さそうだ。歌は、この塔の中から聴こえてくる。つまりこの歌を歌う
者がこの中にいるという事だ。高鳴る気持ちを押さえながら、刹那はそのゼリーのような結界に手を触
れてみた。

バチィ!

火花が散って、刹那を拒む。しかし此処まで来て刹那もあきらめたくはなかった。どこかに入口はない
のかと、周囲をぐるぐる廻ってみる。しかし結界の綻びは見つからない。刹那ものんびりとはしていら
れない。結界は普通誰かが触れれば張った者にその連絡が飛ぶ。こんな大掛かりな結界を作れるのは、
エクシアなど比べ物にならないぐらい高位の天使だ。ケルディムクラスかセラフィムクラスが妥当だと
思われた。見つかればマズイ事になる。それでも刹那は足早に周囲を廻りながら、必死で入口になる場
所を探した。しかしやはり見つからない。諦めようかと思った時だった。塔の壁に作られたいくつかの
窓の1つに、通路らしきものを見つけたのだ。その窓は大分高い場所にある。一瞬思案したが、刹那は
思いきって翼をはためかせ、その通路の入口かと思われる場所まで飛んだ。
その入口は結界と同じ物質で作られた蓋がされていた。そっと触ってみると、今度は拒まれない。その
ままずぶずぶと蓋を通り前に進んでいくと、抜ければ丸い空間が窓に向かって延びていた。だが小柄な
刹那でも匍匐前進しなければならないほど狭かった。ときどき無意識に翼を伸ばすので、そこで結界に
翼がめり込んでしまったり。結界の層が本当に厚いな、と刹那は通路をくぐりながら感嘆する。だがふ
と思った。この結界は通路とはいえ中に入れば、拒まれる事はない。するとこれは封印の為の結界では
なく、守る為の結界なのでは?真相はこの塔の中にいるはずの歌の歌い主か、結界を張った者にしかわ
からないが、そんな気がした。どこか安心できる雰囲気だったから。


塔に近づけば近づくほど、歌が鮮明に聴こえる。刹那は嬉しくなって、スピードを上げて塔の窓に辿り
着く。なんだか凄い達成感を感じた。
(此処に、歌を歌う主がいる)
そう思うと今までに感じた事が無いぐらいの幸福感が刹那の胸を満たす。窓の淵に手を掛けて窓から一
気に塔の中に入った。

が

忘れていた。

通路自体がかなり高い場所にあった事を。信じられない事に、刹那はその窓から塔の中に落ちてしまっ
たのである。
どすん!
景気の良い音をさせて、刹那は床に叩きつけられた。咄嗟に受け身はとったものの、衝撃や痛みはかな
りのものだ。
「う・・・・」
思わず蹲り、呻きながら自分の迂闊さを反省する。
(おいおい、大丈夫なのかよ)
どこか呆れたような声が頭の中に響き、刹那はハッとして目を見開いた。きょろきょろと周りを見回す
が壁や床を構成する灰色の煉瓦しか見えない。
いや、違う。
横手に祭壇のような作りの場所がある。2,3歩分の階段の上には祈るような場所が存在していた。人
間界に存在する教会の祭壇に良く似ている。だがテーブルもなく絨毯もひかれてはいない。しかしその
祭壇の奥に、柱が建っているのに気がつく。その柱には何かが絡みついていた。黄金に光る太い鎖。そ
れは封印の時に使うものだ、と刹那は気がついた。目線を上に上げていくと、まず足が映った。その足
は鎖によって、柱に縛り付けられている。
ドクン、と胸が鳴った。
さらに目線を上げていくと、柱だと思っていたのは十字架だという事が分かった。そしてその十字架に
金の鎖で縛りつけられている人物がいる。まるで自分の身体を十字架と見せるかのように。そしてその
背にあるのは4枚の翼。ケルディムクラスだ。塔の天井からまるでスポットライトのように陽の光が射
し込み、その天使の姿を幻想的に見せる。だが真の驚きがあった。その縛られている天使の顔。目を閉
じ項垂れているその顔は・・・・・
「ニール・ディランディ!?」
刹那の兄貴分であるデュナメスクラスの天使である、ニール・ディランディと瓜二つだったのだ。


そんな刹那の動揺に気が付いているのかいないのか、頭の中で声が囁いた。

(へえ〜、アンタ、兄さんを知ってんの?)


★というわけで、今回は天使モノです。刹ライですよ。 戻る