昔と今と






 
A BLETILLA3


(俺は満足していたんだ。だけど兄さんは俺がこんな事になったのを凄く嘆き悲しんでな。仕事を放り
 出してずっと此処にいたよ)
そうだろうな、と刹那は思う。弟分の刹那を可愛がってくれたニールの事だ。実の弟がこんな状態にな
ってしまっては、それこそ正気を無くしてもおかしくはない。
(それから必ず呪いを解いてやるって言ってな、その方法を探し始めた。それが皮肉にも兄さんの力を
 かなり底上げさせてしまったんだよ)
「そうなのか」
ニールはデュナメスの階級にいながら、ある時期に突然力の成長を見せ、今ではセラフィムにも匹敵す
ると言われている。本人にも此処まで自分の力が伸びた原因が分からない、と言っていたが話は実に簡
単だったわけだ。実の弟を救いたいが為のパワーアップ。それはかなりニールらしいと思えた。
「なら何故、ニールの記憶を消した?というか、良くセラフィムクラスまで到達したニールの記憶を消
 せたものだな」
素直に言ったのだが、ライルは不愉快気に眉をひそめた。
(俺だって腐ってもケルディムクラスなんだよ、隙をつけばそのぐらいできる。・・・・・記憶を消し
 た理由はな、俺を解呪できる方法が全く見つからず、兄さんはみるみるうちにやつれてしまったから
 だ。これ以上は命にかかわるんじゃないかと思うくらいの衰弱っぷりだったんだ。見てられなかった。
 その原因が俺なら尚更だ。こんな不出来な弟の為に優秀な兄さんが命を削る必要なんかない。俺なん
 か忘れてしまった方が、幸せになれる。そう思ったからだ)
すらすらとライルは言葉を紡ぐが、その声色は明らかに苦汁の念があった。ライルの中でも葛藤した部
分なのだと分かる。ライルの口ぶりからは兄弟仲は良好だったようだから。だからこそ、ニールは必死
で解呪の方法を探し、ライルはその姿を見ていられずに記憶を消した。
(散々抵抗されたよ。嫌だ、忘れたくないって。だけど俺は強引に記憶を消した。そう、消したんだ。
 もう俺に関しての記憶は蘇る事はない。だけどそれで良かったんだ。兄さん、元気に活躍中だしな)
「ライル、1つ訊きたい」
(ん、なんだ?)
「俺もその内、お前の記憶を消されるのか」
ぐっ、とライルが詰まった。そうか、と刹那は納得する。いつかは刹那の記憶すら消す気でいたのだ、
この封印されている残酷なケルディムは。訊いていて良かったと刹那は思った。相手がそのつもりなら
こちらだとて手の打ちようはある。刹那はライルに惹かれていた。だから彼の記憶を無くすなど、冗談
ではない。ニールとは違う意味で忘れたくないのだ。
(刹那・・・・・俺は不浄なる者なんだ。この封印が解けてしまったら堕天使になっちまう、危険分子
 なんだ。そんな俺の事なんて忘れた方が良いんだよ)
「それで?お前は全てに忘れられたまま、永遠に此処に縛り付けられるのか?俺は嫌だ。俺はライルに
 触れたい。そうだ、人間の恋人とやらがするように触れてみたい」
ライルの表情が驚愕に変わって行く。
「俺はお前とずっといたい。自由になったお前と」
淡々と、しかしきっぱりと刹那は宣言する。驚愕したライルの顔色があっという間に赤くなっていく。
それを見て刹那は、やはり可愛いなと思った。
「だから頼む。俺の記憶を消さないでくれ。俺は此処に来ている事を誰にも言わない」
エクシアクラスの自分ではケルディムクラスには勝てない。防止する手段はいくらでもあるのだろうが
今、それをやられたら刹那はライルにごっそりと記憶を消されてしまうのだろう。それは嫌だった。ラ
イルの元へ通うようになってから、刹那は毎日が楽しい。以前は唯、命令されるままに戦っているだけ
だった。そこには自分の意思はない。楽しい、という感情すら持っていなかった。ライルと会う、それ
だけで刹那の心は充実している。周りの天使達からも変わったな、と言われるようになった。なんだか
ひどく満ち足りている感じがすると。ニールなどは良い事だ、と自分の事のように喜んだ。まさか刹那
の変化に忘れさせられた弟が関係しているなど、思いもしない。それが酷く悲しい事のように思えた。
「ライル」
珍しく縋るような刹那の行動に驚いたのだろう。ライルは暫く沈黙した後、分かったと答えた。


次の日、刹那はニールを尋ねた。なんの事はない、自分の記憶を守る為の方法を訊きに行っただけだ。
「よぅ、刹那。朝も早いのにご苦労さんなこった」
陽気に手を挙げるニールとて、この朝の早い時間にはいつも庭の椅子に座って何かを読んでいる。今日
は人間界で発行されている新聞というものを読んでいるようだった。
「単刀直入に訊きたい。記憶の消去から守る方法を知らないか?」
刹那の質問に、ニールは目をぱちぱちとさせた。
「記憶の消去?また物騒な事を言いだしたな、お前は。・・・・なにか厄介事に巻き込まれているのか?」
ニールが心配そうに刹那を覗き込む。そんなニールの態度に刹那は少し悲しくなった。まるで他人事の
ように思っているが、実際は救おうと必死になっていた弟に、弟に関する記憶を全て消されてしまって
いる。当たり前だが、ニールはその事に気が付けない。それはニール、ライルの両方にとって悲しい事
だと思う。
「刹那?」
「そういうわけではない。少し知りたいと思っただけだ」
ライルに記憶を消されないように。ライルを失わないように。ニールの代わりでも良い、ライルという
存在を覚えていたいのだ。それが後になってどんなに辛い事になろうとも。
「・・・・・・・・そうだなぁ、やっぱり護符が1番楽で簡単かな」
「それは誰に頼めば、作ってもらえる」
「おいおい、せっかちだな。ほんと、どうしたよ刹那」
「どうもしない、ただその護符が欲しい」
知り合った直後からニールは刹那に甘い。弟みたいだ、と言われた事もある。例え記憶を完全に消去し
ても、そういう感覚は残るものなのかもしれないと刹那は思う。ニールはふぅ、と溜息をつくと立ち上
がった。
「わーった。俺が作ってやるよ」
「どのくらいで出来る?」
護符が出来次第、刹那はライルを訪ねるつもりでいた。1人で良いとか言いながら、ライルはかなりの
寂しがり屋だと刹那は思う。文句を言いながら、刹那が来ると嬉しくてたまらないというオーラが隠し
きれていない。それが可愛いと言うと、むくれた雰囲気が伝わってくる。刹那のケルディムクラスのイ
メージとはかけ離れた存在。ニールを見ている限り、かなり可愛がられていたんだろうと思う。惜しみ
なく兄の愛情を注がれた故に、ライルはケルディムクラスにしてはかなりフレンドリーであるともいえ
る。それに実力でいえば、天界に出現できる程の力を持った魔獣を退治するのに抜擢されるのだから、
相当あるのだろう。そういえば兄が付いて行くと言ってたが却下されたと言っていたな、とふと思い出
した。無性にライルに会いたくなった。
「・・・・随分と柔らかい表情してんなー」
気が付けばニールが興味津々という顔つきで、刹那を覗き込んでいた。
「ほっといてくれ。で、その護符はいつできる?」
せかすとニールは呆れたように笑って、手を振る。
「午前中ぐらいかな」
「そうか、助かる。代償は何が良い?」
いくら兄貴分とはいえ、強引な頼みごとをするのだ。それに対する対価を払うのは当然ともいえた。
「そだなー、その護符持ってドコ行くのか案内してくれるか?」
知らない、とは恐ろしいと思う。連れていけるわけがない。ライルがパニックになる。せっかく一大決
心をして兄の記憶から自分の事を消したのだ。それがまた自分の前に現れるとなれば、ライルの決意が
台無しだ。
「それはできない。実は・・・任務だからな」
咄嗟に嘘を唱える。心が痛んだ。そんな刹那の葛藤を知ってか、ニールはふーんと言って首を傾げる。
「じゃ、今度なにか旨いものでも奢ってくれ」
刹那はほっとした。この条件なら呑める。
「分かった」
「んじゃ、朝っぱらから労働に勤しみますカネー」
ニールは伸びをして、家に入って行った。


光が上から射しこんでいた。この塔に封印されたライルを気遣って、セラフィムのアニュー・リターナ
ーがせめて光を当ててあげたいと作ってくれた塔のてっぺんにある小さな窓。あの失態を犯してから、
一体どれくらい経ったのだろう?ライルは考える。長い長い時が過ぎたはずだ。兄と共に天界を闊歩し
ていた時代が懐かしい。ライルには考える時間が嫌味なほどにたっぷりあった。魔獣退治の時に、兄の
同行が許されなかったのは何故なのだろう、と天使らしからぬ疑問を考える時間が。いつも一緒だった。
前に魔獣が侵入した時、退治を命じられた時はすんなりと兄の同行が許可されたのに。同行を許さなか
ったのは神だ。自分達とこの世界の創造主。兄に甘えているわけでもないが、1人より2人の方が力を
発揮しやすかったというのに、何故ライルが堕天する事を知りながら許可しなかったのか。神は自分を
見捨てたのだろうか?そこまで考えてライルは首を振った。愚かしい、神の意向を疑うなど天使として
あり得ない事だ。それとも進行を止めているはずの堕天使の思考に陥り始めているのだろうか?いつ堕
天するのか、という恐怖はいつでもライルを縛って行く。兄の記憶を奪って自分から遠ざけたのも、兄
の憔悴を見ていられなかったのと、いつか堕天使にフォール・ダウンして兄を害する事を恐れた為だ。
(でも・・・・・兄さんは元気そうだし、これで良かったんだよ)
こんな不出来の弟など忘れて幸せになってくれれば、ライルとしては文句はない。兄が自分に注いでく
れた愛情には負けるかもしれないが、自分だって兄に愛情を精一杯注いでいるのだから。
(刹那・・・・・・)
つい最近、何故かライルの歌が聴こえるからといって現れた若い天使。1回会って満足するのかと思い
きや、何故か毎日のようにせっせと通って来る。1人に慣れたと油断していたライルに、再び1人の寂
しさを教えたやっかいな相手。長時間座っていると尻が痛くなる、と言っていきなりクッションを持ち
込んだりしてライルの度肝を抜いた。ジェネレーションギャップというものなのだろうか、とライルは
割と真剣に悩んでしまう。
「ライル」
刹那の自分を呼ぶ声が好きだと思う。兄の様に全てを包み込んでしまうような響きはないが、刹那の声
は何故かライルの安心感を呼ぶ。なにやってんだろ、凄い年下の天使に。そんな年上の天使の葛藤に気
が付く事もなく、今日も刹那は現れた。
「遅くなったな」
そう言いながら。
(刹那)
声に喜びがにじみ出てしまうのを止められない。
(今日は来ないかと思ったぜ)
「すまないな、これを作ってもらっていたから」
護符を見せると瞬時に色々察したのだろう、苦虫を噛みしめるような顔をした。
(護符・・・・。しかもこれって)
「ああ、ニールに作ってもらった」
(なんで)
「俺の知り合いでこういうのに詳しいのはニールしかいなかったからだ。別に嫌がらせとかじゃない」
そう言って中に入ると、ライルのむくれた様子が分かる。思わず苦笑した。
「俺だって記憶を抜き取られるのはゴメンだからな」
ライルは、答えなかった。


★ライルと刹那の歳の差は8歳どころではありません(笑)千年単位で違っています。凄い年上趣味だ  な刹那!(お前が言うな)兄さんは器用かつ実力者なのであちこちにひっぱりだこ。天界の有名天使  です。 戻る