平和的なお礼参り
A BLETILLA6
スメラギの家からニールの家に直行した刹那ではあったが、やはりというかニールは不在だった。ので
次の日の早朝に改めて訪れる。ニールは高い能力の持ち主なので、引く手あまた。忙しい御仁なのだ。
完璧に捕まえようと思うと、この時間しかない。一旦、家を出てしまうとニールは遅くにしか帰ってこ
ないのだ。彼の失われた記憶を知ってから、刹那にはニールの仕事にのめり込む姿は何かぽっかりと抜
け落ちてしまったのを埋めるかのように見える。
「お、刹那!もう大丈夫なのか?心配したぞ?」
いつものように庭にある椅子に座って何かを読んでいたニールが、刹那を目ざとく見つけて手を挙げた。
「ああ。心配をかけてすまなかった」
「おや、なんだか今日は素直だな」
軽くそう言ってニールは刹那の顔を覗き込んだ。この瞳の色を見ると最後に見たライルの瞳を思い出す。
同じ翠の色の優しい瞳。なにかを察したのだろう、ニールの眉間に皺が寄った。
「どうした、そんな切なそうな顔をして」
はた、と我に返る。慌ててぶんぶんと顔を横に振った。なんでもない、と。
(気を引き締めなければ・・・・・)
スメラギにも釘を刺されたのだ。ニールの前にいる時は、ライルの事を言わないように気をつけなさい
と。確かに完全に記憶は無くなっており取り戻す事は不可能であるが、記憶が無くてもニールの魂がラ
イルを忘れてはいないのだとスメラギは言った。その証拠に長い時が経ったというのに、ニールは無意
識にライルがいつもいた方を向くのだという。そしてその度に戸惑い俯くのだと。ライルの力は記憶を
奪えはしたが、完全にニールから自身の存在を無くす事は出来なかったのだ。
「刹那、取りあえず座れよ」
椅子を勧められて一旦迷ったが、言われた通りにする。なんだかニールといつもより長く話してみたい
と思ったのだ。それにこれから会いに行く予定のアレルヤ・ハプティズムという人物も、こんな時間に
訪れられても迷惑なだけだろう。
「かなりの大怪我だって聞いたぞ?それにスメラギんトコにいたなんてなぁ。びっくりしたよ」
「任務で少しドジを踏んだだけだ。スメラギの家にいた事は、そんなに驚く事か?」
刹那自身はその余裕もなかったので、彼女に関してはニール・ライルと幼馴染であるという事と、昔は
天才と謳われた戦術予報士であったという事ぐらいしか知らない。素直に訊ねるとニールは目を丸くし
て溜息をついた。
「あいつは俺の幼馴染でさ、昔にちょっとあってね。それからは随分と引きこもってしまっているんだ。
心配で色々助けようと思ったんだが、全部に失敗しちまって」
「そうなのか・・・・」
刹那の知るスメラギは少し茶目っ気のある人物だったのだが・・・・・。そうか、と刹那は思った。ラ
イルを取り戻したくて仕方ない自分は、昔の彼女に似ているのかもしれないと。その直感は外れていな
かった事を後に知る事になる。
「で、どうした?」
ニールの問いかけに刹那は頷く。
「礼を言いに来た」
「礼?」
「あの護符に防御の魔方陣を仕込んでいてくれたお陰で、助かった」
そう言って見るも無残なボロボロの姿になった護符をニールに見せると、悲鳴が上がった。
「なっ!?どうしたんだよ、コレ?こ、こんなボロボロになっちまうなんて!?」
ニールの動揺が分からず、刹那は首を傾げた。その刹那の視線に気が付いて、ニールは苦い顔をする。
「お前、無理難題押し付けられたんじゃないだろうな?」
「?」
「確かにお前は無茶を平気でやるからさ、保険として防御系の魔方陣を仕込んだよ。でもその強度は天
界でいえばケルディムやセラフィム相手にできるくらいなんだぞ。それがこんなにボロボロになるな
んて・・・・・」
刹那の脳裏にアリー・アル・サーシェスの姿が蘇る。そいつの1撃、たった1撃でここまで護符はボロ
ボロになってしまった。ケルディムクラスを堕天させられる力の持ち主であれば、不思議な事はないの
かもしれないと苦々しく思い出した。魔方陣に守られていても、あれだけの重傷を負ったのだ。護符が
なければ即死していただろう。
「だが護符が無ければ、俺は確実に死んでいた。だから礼を言いに来た」
「そっか・・・・。まあなんであれ、お前が助かったから護符を作った甲斐があったというもんだ」
「ああ・・・。感謝している」
ニールの元を訪れたのは2つ理由がある。1つは護符の礼。そしてもう1つはライルを取り戻すという
決意を再び固める為。ニールの代わりに。自分に笑顔を向けるニールの顔を刹那はじっと見つめる。本
当はこの笑顔を向けられるのはライルだったはずなのだ。彼らがどんなにお互いを必要としていたかと
いう事はスメラギから聞いた。
(本当に仲が良くてね、羨ましかったわ。とはいえどちらかというとニールの方がライルに凄い愛情を
注いでいたけどね。私なんか一緒にいてもいないような扱いだったわよ)
どこか遠くを見ながら寂しそうに言っていた。彼らを引き裂いたのはアリーであり、曳いては神に反逆
した堕天使達なのだ。
(神・・・・・)
刹那はライルに出会うまで、神の意志に疑問を感じた事はなかった。それは天使としては当たり前の事。
どんなに理不尽だと感じても、その意志に逆らうことは思う事も疑う事も無かった。
だが今は違う。
声には出さないが、刹那は神に疑問を抱いているのだ。天使のフォール・ダウンはそれこそ反逆が起こ
った昔から大量に発生していたのだ。それなのにフォール・ダウンを防止する方法も阻止する方法も、
勿論治す為の方法も1つもない。対策をたてることすらされていないのだ。それはおかしい事だと思う。
まるで天使がフォール・ダウンするのを望んでいるかのようにも見える。
(だがその疑問を口にした途端、消されるのは俺だ)
神の決定に異を唱えるような事があれば、その天使は堕天使に堕ちたと見られて処分されてしまうのだ。
処分をされるわけにはいかない。ライルを取り戻す為に、そして共に生きていく為に。
(ニール、お前の分までライルを助ける為に俺は努力する)
やたらと自分の顔を眺める刹那に、ニールは居心地が悪そうに顔を顰めた。
「なんつーか、本当にどうした?俺の顔になんか変なの着いてるか?」
そう言って、自分の顔をぴたぴたと触る。
「いいや、なにも」
「じゃ、なんでそんなに今日に限って見つめるかなー」
「そんなに見ているか?」
「俺、居心地悪ぃ・・・」
そう答えたニールは本気でそう思っているらしい。戸惑った表情をしていた。
「すまない、ガンつけた気はないんだが・・・・」
「ガンつけかよっ!」
刹那にしては珍しく冗談を言えば、聡いニールはすぐにそれに便乗してくれた。こういう感情の機敏さ
はライルと良く似ていると思う。刹那から受け取った護符を手で遊んでいたニールが、立ち上がって笑
う。
「これ、新しく作り直してやるよ。もっと強力な護符にな」
「いや、これ以上ツケが溜まるのは困る」
前に作って貰った時の『ウマいもん食わせてくれ』の約束すら果たせていない。それなのにこれ以上、
手を煩わせるわけにもいかない。ただそれを直球で言えば気に病むので、敢えて冗談めかして言う。ラ
イルが困った時は冗談めかして言っておくと、案外上手くいくと教えてくれたからだ。成程、ニールの
面白そうな表情を見ていると、あながち間違いではなさそうだ。
「刹那、お前変わったな」
「そうか?」
「ああ。なんつーか成長したっつーか・・・・」
「天使は普通成長なんかしないぞ」
天使は元々がきっちりと役割を持って生れてくるのだ。ニールのように階級がデュナメスなのにセラフ
ィムに匹敵する実力の持ち主になる事自体が珍しい事。その奇跡をおこした原因は・・・ライルだ。
「うん、そーなんだけどなぁ。冗談言ったり、雰囲気が柔らかくなったし」
「そうなのか?」
「うん。なんか男らしくなったなーとか」
上手く表現できないらしく、ニールは首を捻りながら答えてくる。刹那が変わったというならば、原因
は1つしかない。ライルの存在だ。
(あいつ、ひょっとして天使の成長を促す存在だったのか・・・?)
まさかな・・・とは思う。実際刹那はニールのように力が伸びたわけではない。内面的な変化は起こっ
てはいる。ライルと出会う前は、他の天使の事など気にも留めてはいなかった。ニールにはそれをよく
注意されてはいたが、どうでも良いと思っていたのだ。それがライルと会ってからというもの、彼の制
止を聞き流して入り浸った。ちょっと前の自分にはあり得ないことだった。いつもライルに会いたくて
仕方が無かった。だから訓練が終わったらすぐに訪れたり、休日となれば1日中傍にいた。ライルが自
分が来ると嬉しそうな声で『刹那』と呼んでくれる事が嬉しかった。
だが
そのライルはもう天界にはいない。目の前でフォール・ダウンしてしまった天使。その光景は刹那のト
ラウマにもなってきつつある。だがまだ手はあるはずだ。刹那は諦めたくない。手を完全に離したくな
いのだ。
「ま、遠慮すんな。もう1回作ってやるよ。今度はとびっきり頑丈なやつをな」
ニールの声で刹那は我に返った。うっかり自分の思考に沈んでしまったらしい。刹那は軽く頭を下げた。
「感謝する」
直球の言葉に一瞬目を丸くしたが、刹那の額を突く。
「ほんと、良い感じになってきたな」
笑うニールに刹那もかすかに微笑む。
そして刹那はニールと別れ、スメラギの指示通りアレルヤ・ハプティズムという天使の元に向かった。
★記憶はなくても感覚は残る。感覚が残ったのは兄さんの最後の意地。そして刹那は疑問を持ち始める。
1つの考えしかない集団は恐ろしい。間違った方向へいってしまっても、誰もその間違いに気が付か
ない。だから良く言われる「人類の意志を1つに」というのは、とんでもない話と私は思います。正
しく邁進できる保障など、どこにもないのだから。
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