堕天の地






 
A BLETILLA8


思ったより清潔な個室を貰い、ライルは溜息をついてベットに寝転んだ。フォール・ダウンして表面上
は堕天使となったライルだったが、意地も手伝ってなんとか天使としての正気を保っていた。
(・・・・・刹那、大丈夫かな?)
自分を守ろうとして戦ってくれた、小さな天使。彼が傷つく処など見たくはなかった。いつの間にか自
分の心の中に入り込んでしまったらしい。アリーに吹っ飛ばされた時ほど、身動きが出来ない自分を罵
った事は無い。だがそんな刹那を守ったのは防御の魔方陣だった。その力の元をライルが間違えるハズ
はない。兄の、ニールの施した見事な魔方陣。まるで自分の願いを聞き届けてくれたようなその偶然に
ライルは泣きたくなった。
(兄さん、刹那の事頼むな)
ボロボロになった刹那にアリーが止めを刺そうとしたのを察して、ライルは心中慌ててその前に立ちは
だかった。尤もな言い分だったとは思うが、あの狡猾な堕天使の事だ。どこまでバレているか分かった
ものではない。油断は禁物だった。
(それにしても・・・・)
堕天使の世界は不毛の地だと教わったしそう思っていたのだが、天界とほとんど違わなかったのは驚き
だった。神に反逆して落とされた存在が住まう場所だというのに、此処には美しい緑が広がっている。
違うのは天界が常に太陽の強く眩しい光に溢れているのに対して、此処を照らすのは優しく控えめな月
の光が注がれている事。下位の堕天使達はともかく、高位の堕天使達はなんら天界にいる天使達と姿は
変わらない。それに驚き続けた訳だが、本当の意味で堕天使になれば、その理由も分かるのだろうか。
(しかも魔王と称したあの天使・・・・)
浅緑色の髪と紫色の瞳を持った天界での天敵。リボンズ・アルマーク。確かに強大な力は感じたが、邪
な気配はなかった。それなら彼に甘えるようにもたれかかっていた、同じ顔のヒリング・ケアの方の力
にこそ邪なものを感じた。
(知識だけじゃ、駄目って事か。少しここら辺を探ってみれば完全にフォール・ダウンする事も、そし
 てこれからフォール・ダウンさせられる奴も救えるかもしれない)
そこまで考えてライルははた、と気がついた。兄はフォール・ダウンを無効にする方法を探していた。
しかしそんなものは無かった。おかしくはないか?自分の前にも数えきれない天使達がフォール・ダウ
ンしているのである。それに対して何故上層部は有効な策を考える事も無かったのだろうか。
(神を疑っているのか、俺は。これも堕天使になったからか)
だが思考が自由になったという感覚はする。天界においては神の言葉が全て。自分は頭を空っぽにして
その命令を聞いていれば良かっただけ。ある意味楽だといえる。
(馬鹿馬鹿しい。此処だってあのリボンズ・アルマークの言葉で全てが決まる。自由なんて・・ない)
だがライルは神という存在に、疑問を抱きつつあった。


暫くはあの憎たらしいアリー・アル・サーシェスが監視役としてライルの傍にいたのだが、やっと束縛
から抜け出す事が出来た。一応ボロは出ないようにしていたつもりだが、なんとなく察せられている気
がしないでもない。その証拠にまた新しいパートナーを宛がうと言われてしまった。
(今度はもっとまともな奴にしてくれよ)
精神的に嫌いな相手が傍にいるというのはキツイ。もっと楽に接する事が出来れば良いとライルは考え
ていた。
「よう、初めましてだな!久しぶりのケルディムクラスの堕天使さんよ」
あんまりな言い草に、ライルの眉は自然に寄った。黒髪から覗く金色の瞳が挑戦的にライルをまるで値
踏みするように、上から下を見回した。
「そんなシケた面すんなって。これからお前のパートナーとなるハレルヤさまだ」
「パートナー?はっ、監視者の間違いだろ?」
ライルの答えに、ハレルヤと名乗った堕天使は面白そうに顔を歪めた。そしてそんな表情のままライル
の耳に顔を近づける。
「そんな邪険にすんなって。・・・お前、完全に堕天使になってねーんだろ?」
囁かれたそんな言葉にライルは一瞬で飛びのいた。やはり気付かれていたのか、と臍を噛む。睨みつけ
ると、降参とばかりに両手を挙げるハレルヤの姿。緊張するライルを気にする事も無く、ずかずかと再
び近づいて来ると、ニヤリと笑う。
「図星か」
囁く様に言う。ライルは肯定も否定もしなかった。ここでなんらかのアクションを起こすのは危険だ。
まだこのハレルヤの動向をチェックしなければ・・・・。
「お前、刹那っているエクシアのガキ知ってるな?」
「!何故その名前を!」
「知ってるさ。傷が癒えて無事だってのもな」
「・・・・そうか・・・無事だったんだ。良かった、刹那」
心底安心した。此処に来てからずっと刹那を気にしていた。
「ハレルヤっていったな・・・お前、何モンだ?」
その質問には肩をすくめてハレルヤは答えては来なかった。察しろとでもいうのだろうか。少なくとも
他の堕天使とは違うようだ。だが油断は禁物。ライルは警戒心を解かなかった。
「割と天使のボンボンとしては、警戒心が強いな。だがそれで良い。暫くは警戒心を解かない方が良い
 ぜ?」
「ボンボンじゃねぇよ。俺は一応戦場経験者だぞ」
高位の天使達は基本的に戦場に出る事はない。それは彼らの分野ではないからだ。なにもノコノコ出て
行かなくても、戦闘をこなすスペシャリストの天使はいる。そう、たとえば刹那のエクシアクラスとか。
ただライルの場合は確かに第2位の階級であるケルディムではあったが、割と一時期兄のニールとセッ
トで戦場に赴かされていた。ニールの階級がデュナメスというエクシアと同じ役割を担っていた為に、
ついでに戦場を知るケルディムクラスがいても良いという、上の判断からだ。だからこそライルは数多
にいるケルディムの中でも、魔獣の侵入の際に指名されたのだ。結果は散々だったわけだが・・・。他
のケルディムは割と知識を詰め込んだだけの頭でっかちも多い。だが戦場に出る=偉い行為というわけ
でもない。それだけ高位の天使が戦場に出れば、普通は下位の天使達の護衛が数多と着く。言ってしま
えば戦力を無駄に割くことにもなる。ライルの場合はニールがぴったりと寄り添っており、コンビネー
ションも完璧だった為に無駄に戦力を割く事もない。だから割と歓迎された。ライルは珍しい実戦上が
りのケルディムなのだ。
「ほー、そりゃ失礼」
楽しそうにくつくつと笑われる。
「成程、ピンポイントで狙われるわけだ」
「?どういう事だ?」
「その前にちょっと散歩でも出ねぇ?」
いきなりの提案に驚いたが、此処から先はあまり知られたくないようなので、ライルは黙って頷いた。


優しい月光が降り注ぐ中、ハレルヤの家とやらに連れて行かれた。散歩と称して話をしながらぶらぶら
するのだと思っていたので、少々面食らいはした。思ったよりも家の中は整理整頓されていた。実は天
界のアレルヤの家の中と瓜二つなのだが、ライルが知る由もない。テーブルの上の花瓶には紫の花。
「さて、と」
どっかりと椅子に座り、ライルに椅子を勧めてくる。
「此処はお客さんに茶の1つも出ねーのか?」
文句を言うとハレルヤは面倒くさそうに立ち上がり、コップに水を入れてドンとテーブルの上に置いた。
「・・・・・・・・」
思いもしない展開だったが、ライルはくつくつと笑いだした。つられるようにハレルヤも笑いだす。暫
くは笑っていたのだが、同じタイミングで水を飲んで心を落ち着ける。
「そういえば俺がピンポイントで狙われたと言っていたな」
「そんな事、言ったけか」
「なんでだ」
ハレルヤのとぼけを無視して話を進めると、溜息をつかれる。
「こっちでもな、戦場経験者の高位の堕天使は少ないのさ。全面戦争の時以来、引きこもっている奴も
 多い。即戦力が必要だった。んで天界で数少ない戦場経験者のケルディム君に白羽の矢が当たったと
 言うわけだ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「ん?嘘は言ってないぜ?」
「いいや、そうじゃない」
確かにハレルヤの説明は的を得ている。危険を冒してまで天界に、しかも魔獣にこれまた貴重な『アル
ケー』を仕込んで放っているのだ。堕天使側が押されているという話は聞かない。いつもいつも状況は
同じ。『五分五分』なのだと。その認識は違うのだろうか?そしてその事を神はどう思っているのだろ
うか。またしても神に対する疑問が浮かぶ。神であればライルが狙われた事も知っているはずだ。ライ
ルは当時ケルディム内でもトップクラスの戦闘力を有していた(実際引く手あまただったのだ)それを
みすみす相手に渡すだろうか。そして予見したのであれば何故兄の同行を許してくれなかったのか。兄
がいてくれれば、今頃こうやって堕天の地にいる事もなかったのに。
「神は・・・・何を考えておられるのだろう」
ライルの言葉にハレルヤはハッと笑った。
「知らねーよ、そんな奴の事なんてよ」
「そうだ、お前本当に何者だ?なんのつもりで俺に近づく?何故、刹那を知っている?」
「刹那ってガキがな、お前を取り戻したいと頑張っているんだと。で、俺が動いた」
「まさか・・・・」
「そうさ、俺はスパイってやつだ。俺は元々アレルヤって奴と双子で産まれてきたんだが、階級がアリ
 オス・・・産まれながらの堕天使だったのさ。んで追いだされる時に助けてくれたスメラギって天使
 に世話になりっぱなしっつーのも嫌だったんで、自分から志願した」
堕天使は通常天使がフォール・ダウンを起こしてなる事が多いが、まれに産まれながらに堕天使の階級
を所持する者もいる。それでも天界で産まれる(しかも言い方を聞いているとアレルヤという名前の持
ち主は天使らしい)事は珍しい。それにしても・・・・
「相変わらずそういう差別を嫌うな、スメラギは」
ライルは懐かしい幼馴染の顔を思い出す。昔から頭が良く活発な彼女に兄弟揃って振り回されたものだ。
口ではあの兄ですら勝てなかった。程良い正義感を持った彼女は、差別を嫌った。そんな彼女が彼らを
助けるのも不思議ではない。しかしある作戦で大事な天使を亡くして以来、塞ぎこんでしまったと知っ
ている。何をしても彼女の心を癒せず、落胆した事も懐かしい思い出だ。
「スメラギを知ってんのか、お前」
「彼女、俺の幼馴染だからな」
「ほうぅ、どうりでアレルヤが動くわけだ」
興味深く思ったのか、ハレルヤはご機嫌で笑った。そしてそのどこか凶暴さを醸し出す笑顔のままに、
ライルに顔を近づけた。
「取りあえず俺の今回の任務は、オメーを天界に返す事だ。だから完全にフォール・ダウンされては困
 る。このままの状態でなんとかいっていろ。フォローはできるだけするつもりだが、期待すんな」
「そっか。刹那が俺なんかの為に・・・。なら俺も負けてられないな。いつか天界に帰って刹那と胸を
 張って会えるようにしなきゃな」
「その意気だ」
満足したようにハレルヤは何気ない動作でテーブルの上の花瓶から、活けてあった花をライルの眼前に
差し出した。思わず受け取ってしまう。元々天使は花が好きな種族だ。
「?この花は?」
「紫蘭っていうんだ。花言葉は『互いに忘れないように』だ。ピッタシだろ、お前らにはさ」
「・・・・そうだな。その通りだ」


ハレルヤの家から出てきたライルの手には紫の花。花言葉を聞いて思い浮かべたのが、刹那と・・・・
・・兄だった。ライルのコト忘れたくないと叫んだ悲痛な声ををライルは忘れない。でも後悔はない。
意図に反して刹那には迷惑をかけてしまったが、兄の手を煩わせる事はないのだから。兄に捧げるとす
れば、どんな花が良いのだろうか。ふと考える。

『シオン』かな・・花言葉は「あなたを忘れない」ニールが忘れても、自分は忘れないから。ライルは
空を仰ぎ見る。

月はいつでもそこにあった。


★最後に某「X」の台詞をパクりました(おい!)すいません。今回はライルの方の場面展開です。何  故堕天使の世界が不毛の地ではないか、というのはおいおい明らかになります(一応) 戻る