ねことしごと






 
ねこねこ こねこ4


男は暗闇を走っていた。その前に、黒い何かが飛び降りて来る。
「なんだっ!?」

見ればそれは黒い猫。

赤い瞳を爛々と輝かせ、こちらを睨んでいる。男は無性にその瞳が憎らしい。
「俺は忙しいんだ!どけっ!」
走りだそうとした瞬間、その黒猫がシャーッと唸り声を上げる。それに反射的に反応し、男は一瞬固ま
った。

次の瞬間

男の額に穴が開く。そのまま赤い血潮を吹き出しながら、男は力無く前に倒れていった。黒猫は咄嗟に
その男の死体から逃げる。だが男が完全に倒れると、ひょいと上に乗りふんふんと鼻を鳴らした。そし
て完全に死んでいる事を確かめると、暗闇の中に溶け込んでいった。ちりん、と1回だけ鈴の音を響か
せて。


黒猫が合流地点に行くと、良いタイミングで男が歩いてくる。通り過ぎる一瞬差し出された腕に、ひょ
いとしがみつくと一気に肩まで駆け上がりまるでマフラーのように首に巻きつき、喉をごろごろ言わせ
て頭を男の頬に擦り寄せる。男が笑った。
「お疲れさん、刹那」
そう声をかけられて黒猫は更に頬に頭を擦りつける。そのまま停めてあった車に滑り込むように乗り込
み男・・・・・ライル・ディランディは現場から去って行った。


ライルの『仕事』は政府のエージェントだ。そして今回のように暗殺などもする。元々は兄のニールに
目を付けていたようだが、彼は世界で有名になり過ぎた。そうした時に白羽の矢を立てられたのが、ラ
イルだったわけだ。最初は流石に困惑した。というのもライルがスポーツ射撃をしていたのは幼少の頃
だけだったからだ。しかしライルの何が気に入ったのかは知らないが、先方が熱心に口説き、とうとう
承諾させてしまったのだ。表向きは商社のサラリーマンとして。というのもライルが兄に仕事を知られ
たくなかったからだ。有名な天才の双子の弟が暗殺者だなんて知られるのは困る。それは政府も百も承
知だったらしい。こうしてライルはエージェントとしての訓練を受け、兄と同じく射撃の才能を花開か
せた。今では随一のスナイパーであり、暗殺者だった。


車の中で上司と短いやり取りで任務が終了した事を知らせた後、ライルはまっすぐにあるマンションに
向かった。此処で服を着替えシャワーを浴びて、硝煙の気配を消すのだ。兄には今日は仕事で遅くなる
と伝えている。目ざとく、そして硝煙の臭いに慣れている兄に、自分の『仕事』を悟らせるわけにはい
かない。最初は色々とふてくされてもいたが、ライルは今の『仕事』を割と気に入っているのだ。部屋
に入ると刹那を特殊なタオルで包み込む。ライルに接触した為に、刹那から硝煙の気配がするかもしれ
ないからだ。ちょっとしたいたずら心をだしてタオルでゴシゴシ少し乱暴に擦ると、まるで抗議してい
るかのようにタオルの中からにゃーんという声がする。思わずライルは笑った。刹那は少しの格闘の後
タオルからのそりと出て来て、笑うライルを見つめる。何かを期待する瞳。ライルは手袋を脱ぎ棄てて
刹那を持ち上げ、その唇にちゅ、とちゅうをした。直ぐに降ろすと刹那はドアへ向かう。開けてやると
外へ飛び出した。
「気を付けて帰れよ、刹那。俺も準備出来次第、帰るから」
そう声をかけると、刹那はにゃーんと答えて階段を降りて行った。自分の足で戻っていくのかと思って
いたのだが、ちゃっかりバスやら車やらを上手く利用して帰るらしい。その事を知った時は呆れたもの
だが、刹那が無事帰ればそれで良いか、とライルは思っている。


「それにしても・・・ホント良く承認が降りたよな」
初めて人間形態の刹那に会ってから1年程が経過している。満月の度にライルに圧し掛かって顔中にち
ゅぅをかまし、自分もライルの『仕事』を手伝うと言っていた。本気にせず最早顔にされるちゅぅも慣
れてきた頃、刹那は驚くべき行動に出たのだ。なんとライルの仕事先にやって来てしまった。これはネ
ズミでも通り抜けられないと自負していたセキュリティを猫によって破られてしまった開発者がかーな
ーり落ち込んだ事件でもあった。
「せ・・・せつなぁ!?」
驚くライルの前に立った刹那はあの赤い目でじっと見上げてくる。『仕事』の手伝いをしに来た事は容
易に分かったが、それを上にどう説明すればいいのか分からない。困惑のまま刹那を抱きあげると、ラ
イルは仕方なく上司の部屋に向かった。ここで上司に断られれば、刹那も諦めると思ったからだ。どこ
の世界に猫ひきつれたスナイパーがいるのだ。
「良いだろう」
どういうわけか許可はあっさり取れた。
「は?」
ライルは思わず訊き返す。ギロリ、と上司・・・・・カティ・マネキンはライルに目線を向けた。
「あの・・・・本当に良いんですか?猫参加させて」
「何を言っている。お前が言いだした事だろう?問題無いと私が判断したのだ。何か文句でも?」
いつも毅然としている上司にこう断言されてしまえば、もうライルとしては言う事が無くなる。という
わけでめでたく刹那はライルの相棒となった。その後の満月で変身した刹那はライルにこう頼んだ。
「『仕事』を手伝う報酬として、俺の唇にちゅぅをして欲しい」
「え?そんな事で良いのか?」
「ああ。・・・・・・今のところはな」
後者の言葉が気になったのだが、猫形態の刹那の唇にちゅぅなど今迄良くやっているので、ライルはあ
っさりと承諾した。それからというもの、刹那は立派にライルの『仕事』を手伝ってくれる。正直助か
った。刹那の首輪には発信機が仕掛けてあり、ターゲットの場所が直ぐに分かる。変に時間を浪費せず
に動けるので、手早くなった。
「でも本当にこれで良いんだろうか?」
ぽつりと零す。ご本猫(?)が望んでいるのだから良いのかもしれないが、ライルとしては助かるもの
のいつか大変な事が起こるのではないかと考えてしまう。刹那はターゲットの追跡が主な仕事ではある
が、今回のように足止めや威嚇などもする時も多い。その時に刹那が撃たれでもしたら?自分の射撃が
間に合わずに、刹那が死ぬような事になったら?ありえない事ではない。こういう『仕事』をしている
と、常に最悪の想定をしているものだ。
「・・・・・嫌だな、刹那が死ぬのは」
ライルには血の繋がった家族は、もうニールしかいない。両親と妹は交通事故に巻き込まれて、自分達
が14の時に死んでいる。ニールが遠征から帰った後にライルと接触したがるのは、こんな経験からき
ている。ライルが生きているのを確認する為に。その気持ちが良く分かるだけあって、ライルはそうい
う時にニールを拒絶しない。
「矛盾・・・・・だな」
自嘲する。そうやって理不尽に家族を奪われるというその経験はトラウマになっているのに、自分がし
ているのは誰かの大事な人間を殺すという矛盾。このジレンマはいつもライルの心に影を落としている。
だが止める訳にもいかない。一旦こういう道に入ってしまうと、抜け出せなくなってしまうからだ。

「・・・・・・やめた」

考えても仕方の無い事なのだ。そうライルはふっ切る。さて朝家を出た時に着ていたスーツに早く着替
えて、家に帰ろう。刹那と兄が待っている家に。ライルはマンションのドアを開けた。

スモッグに覆われた濁った夜空が、満面に見えた。


★ちょっと本編と反対の事をしてみました。兄さんは表、ライルは裏の世界で生きるというね。無論、  兄さんにバレたら怒るどころの話ではないので、ライルは黙っています。だって逆の立場だったらラ  イルが激怒するからね。 戻る