子育て開始




こわれた時計2


その子供は小さな公園でブランコに乗っていた。俯き加減ではあったが、刹那が見間違う事は無い。自
分の願いを叶えてくれたのだ、と喜びが溢れてくる。思わず声をかけた。
「ライル・ディランディ」
同じ名前かどうかは分からなかったが、呼ばれてその子供は驚いたように顔を上げた。
「・・・どうしてボクの名前を知ってるの?」
顔も知らない青年に名前を呼ばれて、困惑しているのが分かる。しかし刹那の目には子供の目尻に涙が
溜まっていた事が気になった。思わずずかずかと近寄ると、子供が驚いてビクリと震えた。その怯えに
気がついて刹那は歩みを遅くし、そっと子供の前にしゃがみこんだ。固まった子供の目尻に溜まった涙
を指で拭いてやる。
「どうした?何故泣いていた?」
刹那にとってライルが泣くというのは耐え難い悲しみでもあったのだ。しかし子供は答えない。呆然と
したままだ。
「?どうした?」
訊ねながら早急にコンタクトを取り過ぎたか、と警戒する。だが事態は考えられない方向に進んでいた。
「・・・・ボク、なんで泣いてたんだろう・・・?・・・・・ボク・・・・・ボクは・・・誰?」
最初は子供特有の悪ふざけかとも思ったが、子供の目にみるみる涙が溢れてくる。
「どうした?何が分からない?」
訊くと首を横に振る。
「分からない、どうなってるの?何も分からない」
子供の困惑に刹那は焦ったが、焦った処でどうにかなるようにも見えない。良く分からないが、どうや
ら子供は・・・・突然ライルは記憶が吹っ飛んでしまったらしい。刹那にも原因が全く分からない。原
因は分からないが。本来であれば、此処はこの辺りの人間に訊いて、家族の元に返してやる事が1番良
い方法だと分かっている。だがこうしてめぐり合えた事で、刹那の心に邪な囁きが聞こえた。葛藤した
のは一瞬だけ。
「なら、俺と共に来るか?ライル」
そう改めて声を掛ければ、目をパチパチとさせる。
「ライル・・・・・それがボクの名前?」
「ああ。ライル・ディランディがお前の名前だ。だがそれ以上はお前について分からない。それでも俺
 と共に来るか?」
ライルには選択肢がない。卑怯な取引だと思う。だが刹那は自分の欲に負けたのだ、それだけライルと
いう存在に飢えていたのだろう。子供・・・ライルがおずおずと刹那に抱きついてきた。
「行く」
短く返されたその言葉に、刹那は暗い喜びを感じていた。



刹那が転生したであろう子供であるライルを自分の世界に連れ帰って、数か月が過ぎた頃。この辺りを
纏めている「姫」の開催するパーティがあった。談笑していたイノベイター達がざわめき、無遠慮な視
線が集まる。その視線の先にいたのは刹那だった。が、集めているのは刹那が抱きあげている人間の子
供。長い時間の中、このようなパーティに人間の、しかも子供を連れて来たのは前代未聞の話だったの
だ。因みに刹那は昔、やはり同じパーティに自分のパートナーとして人間の青年を連れて来て、物議を
醸した事もある。無論、人間の青年とはライルだったのだが。周囲の視線が集中する中、緊張して刹那
にすがりつくライルを宥めながら刹那は遠慮も無く歩を進めた。テーブルに近づくとかなり豪華な料理
にライルが興味深々という顔をして覗きこむ。途端、腹の鳴る音がしてライルは赤くなり刹那は苦笑を
洩らした。
「腹が減ったのか。何か食べるか?」
尋ねれば待ってましたとばかりに、うんと首が縦に振られる。
「どれがいい?」
「あれ」
とライルが指したのはチョコレートケーキ。
「分かった」
刹那が空き皿を見ればまるで生きているように、ふわりと宙に浮く。次にはライルが指したチョコレー
トケーキが宙に浮き、皿の上に降りる。それをライルの元に来させようとした瞬間だった。

ぱんっ

軽い音がして皿が弾けた。そのまま皿もケーキも元あった場所に戻って行く。
「誰だ?」
「僕だ。久しいな、刹那」
其処に立っていたのは美形の少年。名をティエリア・アーデという。イノベイドからイノベイターへ進
化した稀有な存在。刹那は彼とは昔から何かと縁があった。
「久し振りだ、ティエリア」
刹那の挨拶を聞き流しながらティエリアはぎろり、とライルを見る。そして納得したように頷いた。
「成程、君が人間の子供を育てているとアニューから聞いていたが、彼の転生が成功したのか」
ティエリアは昔のライルを知っている。なにかと堅物だったティエリアはよくライルにからかわれてい
た。が、仲はそれなりに良かった。ティエリアのライルを見る瞳には、懐かしい知人に会ったような色
が見え隠れしている。
「ライル、挨拶をしろ。彼はティエリア・アーデ。俺の友人だ」
そう言ってライルを降ろそうとしたが、ティエリアがいいと断った。
「えと・・・ボク、ライル・ディランディといいます。その・・・宜しくお願いします」
おずおずと紡ぎだされる自己紹介に、ティエリアは面白そうに目を細めた。
「ティエリア・アーデだ。宜しく、ライル」
答えた後に、刹那に視線を戻す。
「彼の教育は誰がやっているんだ?」
唐突な質問だったが、刹那は澱みなく答える。
「今の処、俺とアニューだ。学問的なものはまだ・・・」
「なら僕が彼の教育を引き受けよう」
「なに?」
最初に会った頃に比べればティエリアは随分丸くなったが、それでもあまり他人に口を出す方ではない。
きょとん、としてティエリアを見つめると彼は笑った。
「今の件でも君が随分甘やかしているのが分かった。アニューに関しても同じだな。だから僕が厳しく
 教育を施した方が良いだろう?甘やかされて育った奴にロクな奴はいないからな」
アニュー共々、甘やかし傾向は自認していたので刹那は黙りこくるしかない。だがやはり此処はティエ
リアが申し出てくれたのだから、有難くお願いした方が良いと判断した。彼の優秀さは刹那が1番良く
知っている。
「分かった、なら頼めるか」
「僕から言いだした事だ。異論はないさ。というわけでライル、君は僕が厳しく教育をしてやろう」
そう言って顔を覗きこまれたライルは刹那に救いを求めたが、刹那が重々しく頷いたのを見て悲壮な顔
をした。
「あの・・・宜しくお願いします」
それでもおずおずと返事を返したライルに、ティエリアはご満悦だ。
「なら早速だが、食事はデザートから食べるものではない。こういう場合、最初に食べるのは前菜だ」
そう言うとおもむろに手を振ると、空き皿がふわりと浮かびあがりその上にはカナッペがいくつか並ん
だ。ちゃんと子供でも食べれるようなものをセレクトしている。ライルはティエリアの勢いに押された
のか、おずおずと礼を言ってカナッペに手を伸ばした。


周囲がざわめきだした。この周辺を統治する姫のどうやら登場らしい。刹那はライルの手から皿を取り
テーブルの上に置いた。そして彼女が現れるとあちこちから感嘆の溜息がもれる。それもそのはず、彼
女・・・マリナ・イスマイールの美しさは群を抜く。そしてその美しさに違わない振舞いや心遣いなど
が周囲のイノベイターを魅了してやまない。今も気さくに伸ばされた手を握り締め、微笑みながら会話
をしている。そしてとうとう刹那達の元にやってきた。刹那はひょんな事からマリナと交流がある。マ
リナはまず、刹那の前にいたティエリアと話をした後、刹那に向き直る。美しくも優しい青い瞳が、ラ
イルを見ると大きく開かれた。
「ごきげんよう、刹那。可愛い子を連れているのね」
「お久し振りです」
そう言いながらライルを降ろす。するとマリナはしゃがみ込み、ライルと視線を合わせる。
「ほら、挨拶をしろ」
刹那に促されたライルがどきまぎしているのが分かる。
「あ・・あの・・は、初めまして。ボク、ライル・ディランディと言います」
たどたどしい挨拶に、マリナの表情が和らぐ。
「そう、初めましてライル。私はマリナ・イスマイールよ。これから宜しくね」
優しく微笑まれて、ライルは首を縦に振った。そんなライルの頭を優しく撫でてから、マリナは立ち上
がる。
「おめでとう、刹那。また彼と出会えたのね」
「ああ・・・有難うございます」
マリナはライルを知っている。色々と世話にもなった。だが詳細を言うわけにもいかない。マリナは刹
那を少し見つめたが、促されて他の者の処に去って行った。
「小さくても、一丁前に男だな」
からかう様なティエリアの物言いにライルを見ると、彼は顔を赤くしたままぽかーんとしている。アニ
ューも十分すぎるほどの美女ではあるが、やはりマリナの美しさには呆けるものらしい。分かってはい
るが、刹那はちょっと面白くなかった。


★小さくても一丁前に美人さんにはときめくもんですよね、男女共に。この話の刹那はライルを甘やか  し、ベタベタとコミュニケーション取るのが大好きです。これは『前』のライルの生い立ちを知って  いるので、つい甘やかしてしまうんですね。ティエリアはそれを良く知っているから、わざわざ憎ま  れ役を買って出てくれているのです。友情インプット! 戻る