あの人登場




こわれた時計4



男にはずっと探している者がいた。幼い日、双子の弟は洒落にならないくらいの悪戯をして母に厳しく
叱られていた。泣き腫らした目を隠すことなく飛び出していった弟を追いかけようとしたが、母に止め
られた。お腹がすけば帰ってくるだろうし、あんまり帰って来なければ自分が迎えに行くと。

だが、弟はそれ以来姿を消した。

暗くなっても帰らない弟を探しに行った母が顔面蒼白で帰ってきたのだ。それから近所の人に協力を頼
んで周囲を探し回ったが、弟は見つからなかった。警察にも届けたが連絡はなしのつぶてだった。母は
それ以来自分が厳しく叱った事を後悔して自分を責め、泣く事が多くなった。
「貴女にはまだお利口さんな息子さんと娘さんがいるじゃない」
という無責任な励ましにも、母は苦しまされた。他に子供がいるからといって、行方不明になった子供
がいなくても大丈夫などという事は無い。1人1人が大事な子供なのだ。自分としてもいつも一緒だっ
た弟がいなくなり、ぽっかりと心に穴が開いてしまっていた。

酷い目に合わされていたらどうしよう?
もうこの世にはいないかもしれないのだろうか?

不安と憔悴は家族にいつも寄り添っていた。依然として弟の行方は分からなかった。だが男はある目撃
情報を手に入れたのだ。それは同級生の少年だった。警察にも言いに行ったらしいのだが、話は本気に
されずすっかりふてくされていたらしい。口を開きたがらない彼を必死で拝み倒し、なんとか聞けた情
報は

・近所の公園で弟を抱きあげる見慣れない男がいた。
・黒い癖の強い髪に、赤い瞳をしていて肌は浅黒かった。

この情報だけだとまだ信憑性があり、警察も聞いていたらしい。が

・人の姿をしていたけれど、人とは思えなかった。

という言葉が一気に信頼性を失ったらしい。だが彼はどんなに嘘つき呼ばわりされても、この証言を翻
さなかったそうだ。その姿に反対に男は真実味があると思った。子供の戯言としてはしっかりとした証
言だったからだ。渋る少年を拝み倒してもう1度だけ話して貰った。
「俺が見たのは公園のブランコに座っているお前の弟と、黒いコートみたいなのを羽織った奴が話して
 いた処だ。皆に馬鹿にされたが人の姿ではあったんだけど、どうしても普通の奴には見えなかった。
 何故そう思ったかって?雰囲気みたいなのが異常だったんだよ、あんな雰囲気の人間は見た事ない。
 そんでそいつはお前の弟をブランコから抱きあげてた。俺が見たのは此処までだ。・・・・俺の話を
 信じてくれるか?」
不安そうに最後を締めくくった少年に、当時同い年だった男は力強く頷いた。どう見ても彼が嘘を吐い
ているようには思えなかったからだ。それに弟が行方不明だと知った途端に、駆けつけてくれた事もそ
の信頼を厚くした。


大学を卒業する頃、男はある人物と知り合い人間と同じ姿をしていながら違う者である『イノベイター』
の存在を知ったのだ。滅多に人間界にも来る事は無い彼らだが、気まぐれに次元の壁を乗り越えてぶら
りと訪れる事もあるらしい。あの少年の話は本当だったのだ。男は卒業と同時に渋る人物を説得し、所
謂弟子入りをした。そしてこちらから『イノベイター』の世界への行き方や、対処法を学んだ。全ては
弟を探し出す為。元々が優秀な男はあっという間に、そういう術を習得して行った。


そして今、同級生の証言にぴったり当てはまるという容姿を持つイノベイターの領域に侵入した。聡い
彼らは敵意を持っての侵入に敏感だ。思った通り、男の前にはその領域の主たるイノベイターが現れた。

赤い瞳。
浅黒い肌。
黒い癖のある黒髪。

本人を引きずり出す為に敢えて敵意を剥きだした挑発に乗って来たのだろうが、本来の彼らは穏やかな
種族だ。だから男は彼らを根本的には嫌いではない。男はこの領域の主が出て来ても感情を制御して、
まず事情を話して協力をしてもらおうと思っていた。しかし自分でも思っていた以上にこのイノベイタ
ーの前では激情が吹き出すのを止められなかった。引き金を引いてもこのイノベイターは反撃する事も
無く、必死でかわす事に集中している。

いや違う。

「待て」
「俺の話を聞いてくれ」

彼はそう男に訴えていたのだ。だが一旦火がついた激情は、自分でも止められない。冷静な部分ではこ
の攻撃を止めて、まずは彼の話を聞くべきだと言っている。

その時だ。

小さな影が彼の前に飛び出して来たのだ。その姿を見て、男は攻撃する事も忘れて立ちつくした。何故
なら飛び出して来た影の持ち主である子供の姿が、幼い自分にそっくりだったから。驚いて固くなった
男に、子供はキツイ視線を投げて庇うように両腕を広げた。
「刹那になにすんだ!!」
そう叫んだ子供に彼が庇うように前に出ようとする。彼も必死の形相で叫んだ。
「危ないから下がっていろ、ライル!」

ライル

それは忘れもしない弟の名前だ。だが何故子供の姿なのか。弟は同い年のはずだ。自分が成人している
なら弟も成人しているはず。しかしその困惑も揉めている彼と子供には通じなかった。
「駄目だ、下がっていろ」
「だって刹那が酷い目にあってるじゃんか!!」
あくまでも彼を庇おうとする子供に、ついに彼が声を荒げた。
「ライルッ!!」
子供はビクリと体を震わせた。その瞳にみるみるうちに涙が溢れる。
「だって・・・・・せつ・・・せつな・・・・ころされ・・・ちゃう・・から・・」
子供にしてみればこうやって声を荒げられるのが、既にショックなのだろう。とうとう大声を上げて泣
きだした子供を、彼が抱きあげて必死で宥めている。子供にしてみれば良い事をしただろうから、こう
やって怒られる事は不本意なのだと分かる。
「そうだった、お前は俺を守ろうとしてくれたんだな。俺が悪かった」
だがその言葉にも子供を泣きやます事は出来ない。呆然と立つ男と、必死で子供を宥める彼は暫くの間
おかしな硬直状態になったのだった。


子供が泣きやむと、彼に請われて男は彼の後をついて行く。肩越しに子供が警戒心丸出しでこちらを睨
み続けていたのには、苦笑せざるを得なかった。しかしあの子供は男の行方不明になった弟に間違いは
ないだろう。名前も一致している。だが年齢差があるのがおかしい。双子である以上弟とて自分と同じ
年になっていないと。そんな思いに囚われていた為、彼が急に止まった事に気がつくのが遅れた。彼は
赤い瞳でじっと見つめている。子供はどうも泣き疲れて寝てしまったらしい。
「俺は刹那・F・セイエイという。お前の名前を教えて欲しい。確認したい事がある」
彼の提案に男は皮肉気に唇を吊り上げた。
「ニール。ニールディランディだ」


★ライルのお母さんが言われた、他にも子供がいる発言は実話です。姉の知り合いの子供が行方不明に  なってしまった時に、知り合いの人から言われたそうです。確か四男坊とかだったはず。相手も悪気  は無く、なんとか慰めようとして発したのでしょうが、それが更なる苦しみを家族に与えてしまった。  慰めるって難しいな、と思った出来事でした。  因みに行方不明になってから10年以上経っていますが、その子は未だに発見されていません。 戻る