ニールの提案




こわれた時計6


それからいくばくかの時が過ぎ、ニールは最早お馴染みになった刹那の居城へやって来た。
「よぅ・・・・ってあれ?ライルは?」
最初の頃こそ刹那をいじめる悪い奴だと思われていたが、刹那の説得も功を奏しライルは徐々にニール 
へ懐いて行った。今ではニールがやって来ると我先に飛び出してくるのだが、今日はそのライルの姿は
無く、出迎えてくれたのはアニューだった。アニューは笑って人差し指を立てて唇にあてた。
「ああ・・・ティエリアの奴が来ているのか」
ティエリアが来たという事は、お勉強中というわけだ。ライルは勉強に対してつまんない、とか言って
いるがニールにしても勉学は非常に大切であると思っているので、それこそビシバシティエリアに指導
してもらって欲しいと言ってライルの顰蹙を買った。今ニールが来たと知れば集中力が無くなり、ティ
エリアに怒られるだろう。だからニールも笑って肩を竦め、アニューに促され静かに居間に向かう。刹
那は珍しく用事があるらしく、不在だった。アニューの淹れてくれたお茶を啜りながら、ニールはぼん
やりと考えていた。

見れば見るほどライルは愛されて、大事にされている。

文字通り溺愛している刹那。
我が子のように可愛がるアニュー。
厳しいながらもどこか甘いティエリア。

狭い関係ながら此処まで無条件に愛されているのは珍しいと思う。そしてライルが幸せだと思っている
事も。だがニールはライルに本来の家族を知ってもらいたい。出来たら家族一緒に暮らしたいと思って
いるのだ。まだ家族にライルが見つかった事を言っていない。本来ならば刹那が勝手に連れて行ってし
まったのだから、勝手にニールが連れ帰っても刹那は文句は言わないだろう。だがそれにはライルに納
得してもらわなければならない。そしてその納得には刹那の説得が尤も有効なのだ。今のライルにとっ
て家族とは刹那やアニューであり、生きる世界はイノベイターの世界だからだ。自分達はあくまで他人
だと思われている。年齢差があり過ぎて、ライルはニールとそっくりだと感じてはいない。ニールや家
族が死んでしまった後、成長した自分の顔を見て双子ではないかと疑問に思うかもしれない。その時に
初めて自分が何者であったか知るというのも残酷だと思う。
(どうしたもんか)
本当にどうして良いかなんて分からない。ニールは思い悩む。何も知らない母が心配しているのを知っ
ているが、どう切りだしたらいいのやら皆目見当もつかない状況なのだ。
(やっぱそうしてみるしかないか)
ずっと考えていた事。それをまず刹那に話してみようと思って、今日は来たのだ。


「ニール、刹那が帰って来たわ」
何も言わなくても聡明なアニューには分かるのだろう。わざわざ刹那の帰還を告げて、ニールに心の準
備をさせようとしてくれている。ニールは笑って感謝の意を示すと、アニューは少し複雑そうに笑った。
「ニール、来ていたのか」
刹那が外套を脱ぎながら部屋に入って来た。脱いだ外套はアニューがさっさと持って行ってしまう。そ
して彼女は刹那にホットミルクを持って来た後に「ごゆっくり」と告げて出て行く。ライルの方はまだ
ティエリアの講義が続いている。もし話の途中で講義が終わったとしても、アニューが上手く捌いてく
れるはずだ。刹那もニールも彼女には絶大な信頼を寄せている。
「話がある、とアニューが言っていた。・・・・・やはりライルの事か」
確かにこの状況でニールが切りだす話は、ライルの事だけである。
「ああ。少しお前さんに相談したくてな」
「なんだ?」
「俺、ライルを少し人間界に連れて行こうと思っているんだ」
予想通りだったのだろう、刹那は顔色どころか表情も変えなかった。
「本来の家族に会わせてやりてぇんだ、あいつに。勿論、ライルの事をお前さん達が大事に愛情を注い
 で育ててくれたのには感謝する。だけどその内、真実に気づく時が来る。その時に本当の家族を知ら
 ないというのは残酷だと思うんだ。例えイノベイターの世界に適合したとしても、あいつが人間であ
 る事には変わりない」
一気に此処まで言って、ニールはカップを掴む。カラカラに乾いた喉と口を潤すと、刹那が赤い目でじ
っと見てニールの次の言葉を待っている。それは罪の裁きを待っているようにも見えた。
「そんな顔しなさんな。俺は別にライルを刹那から奪おうってんじゃない。ただ少しの間だけ、本当の
 家族と過ごさせてやりたい・・・・・俗に言うホームステイだな」
軽く言った言葉にも、刹那は表情を微動だにしない。いや違う。表情自体は変わっていないが、その目
が雄弁に物語っている。ライルが本当の家族の温もりを知って、自分の傍から離れてしまう事への不安
が。だがニールにしても譲れないのだ。ライルを失った後、父が母がどれだけ嘆いたか。周囲の悪意の
無い惨い励ましにどれだけ傷ついたか。ライルがいなくなった後に産まれた妹のエイミーがどれだけ、
ライルに会いたがっているか。自分はライルに会えて、真実を知った。家族にも是非その真実を知って
ライルと会って欲しい。抱き締めて欲しいと。その思いは刹那にも如実に分かっただろう。ニールが口
を閉ざしてしまって暫くじっと考えに沈んでいたが、やがて頷いた。
「俺のしてしまった事への罪滅ぼしにもならないが、それが最善だろう」
刹那が譲歩するのは分かっていた。だがこうも沈んだ顔で頷かれては、ニールの方が罪悪感を持ってし
まう。

「え?ニール兄の家にお泊まり?」
ティエリアの講義を終えて自室から転がるように出てきたライルは、ニールの提案にきょとんとして首
を傾げて見せた。その横には刹那はともかく、ティエリアが鎮座ましていた。ライルと違って何か異質
なものを感じたのだろう。ニールの話にティエリアは顔を歪めた。
「僕は彼の教育に責任を持っている。勉学の遅れになる事だけはゴメン被りたいな」
勉強を楯にしているが、ティエリアはどうもライルのお泊まりには反対のようだ。ライルに教育を施す
為にせっせと刹那の居城に通うティエリアだが、ライルを自分の居城に招いた事は無い。それは刹那が
肌身離さないでいるせいでもあるが、ティエリアの居城はそれこそ面白みのない処だった。それを昔の
ライルに言われてから密かに気にしているらしい。
「そんな事はさせないさ。俺だって勉学の重要さは理解してるしな」
そう答えればなんとも言えない表情をした。

ティエリアとは刹那の居城のホールの扉で出会った。最初は驚いた表情をして固まったティエリアだっ
たが、やがて震える声で
「どうした、ライル・ディランディ。いきなりそんなに成長して」
と言い放ったのである。
「いや、俺はライルの双子の兄のニール・ディランディだ。・・・・この事はライルには内緒にしてい
 るので、黙ってて欲しいんだけどな」
そう答えると目を白黒させて頷いていた。あんなに動揺したティエリアを見たのはあれが最初で最後だ
ったと懐かしく思うニールだった。扉が開き来訪に喜んで出て来たライルを何故か小脇に抱え、まっす
ぐにライルの部屋へ向かってしまった。一旦閉まった扉が又開き、ティエリアがひょっこりと顔を出し
た。
「悪いが僕の講義が終わるまでは刹那とのんびりしていてくれ。君が帰るかもしれないとライルが騒い
 で講義にならん」
それだけ言うと返事を待たずに、扉は再び閉ざされたのだった。後に前世でライルと交流があり、結構
からかわれていたらしいと知ったのだった。

「ニール兄の家って人間界なんでしょ?」
ライルの問い掛けにニールは思い出から引き戻された。見ればいつの間にやらライルは刹那の膝の上に
移動していた。ライルが不安を感じている時に起こす行動に、ニールも困った顔をした。無論ライルは
自分がイノベイターではなく、人間だと知っている。だが誰でも未知の世界への訪れには不安が付きま
とうものだ。
「大丈夫だ、そんなにびっくりするほど此処と変わっているわけじゃない」
「ふうん」
言いながら刹那の顔を見上げるライル。刹那が無表情に頷く。


★例え疑似家族で愛されていても、本当の家族ならやっぱり会わせてやりたいと思うのは当然の事。ラ  イルはことの重要さに気がついてはいませんが、刹那がどこかよそよそしいので不安を覚えて刹那の  膝に乗っかっております。基本、甘ったれライル(笑) 戻る