刹那の不安 こわれた時計7 「刹那、本当に良いの?」 アニューの声に刹那は振り返った。腕の中には寝こけているライル。ニールからのホームステイの提案 をライルが受入れたので、ニールは満足げに帰って行った。だがライルに聞こえないように刹那には 「悪いな」 と謝罪を残して。ニールの最終的な狙いも分かっている。ライルと共に暮らしていく事だ、一生。 「良いも悪いも、あいつはライルの本当の家族だ。ライルが受入れた以上、俺に反対する理由はない」 「嘘」 刹那の言葉はすぐさまアニューによって、断じられる。流石の刹那も苦笑を禁じ得ない。だがアニュー の聡明さが気に入っているのも事実だ。 「刹那、貴方は恐れている。ライルが二度と帰って来ないかもしれないって事に。その可能性は十分あ るものね。だけどニールはライルが意志表示をしない限り、無理に人間界に留まらせる事はしないわ」 ニールが願うのはライルの幸せだ。その幸せが自分達、本当の家族と共有できる事が出来ればと考えて いるのだ。ライルがイノベイター界に帰りたがれば、きっと家族を説得して帰してくれるだろう。此処 に、刹那の元に。だが刹那には自信が無かった。確かに愛情を惜しげもなく注いできた自覚はある。し かし「血」の絆は刹那では望めない。 「ああ・・・俺は恐れている。ライルが帰って来ないかもしれない、という事に。だがライルを此処に 連れて来たのは俺のエゴだ」 お前の悪い処はそうやって勝手に頭ん中で判断して、感情を殺しちまう事だと思うぞ。 かつて刹那に他でもない、ライルが言った言葉。そんな過去のライル自身は激情に押されて生きていた。 だからこそ自分の希望や感情を押し殺している刹那が歯痒かったのだろう。刹那が自分を欲していると 気付いた時には流石にうろたえていたが、結局はライルに押し切られてああいう関係になったものだ。 お前だけじゃない、俺だってお前が欲しいんだ。そう告げたライルの言葉が、声が頭に残っている。エ ゴは悪いだけのものじゃない、言葉を換えれば希望というのがエゴそのものでもある。そんな事を教え てくれた、かつてのライル。刹那は腕の中の『現在』のライルに目を落とした。刹那に縋りつくように して眠っている。この子供は紛れもない『ライル』だが、刹那は無意識に『かつて』のライルを探して いる。それをライルも気が付いていた。ティエリアに耳打ちされたのだ、刹那は僕を通して誰かを見て いると。子供の勘を舐めない方が良い、ティエリアは真面目な顔をしてそう言ったものだ。 ティエリアもニールの前で遠慮はしていたものの、やはりその瞳が刹那に問いかけていた。 『君はそれで本当に良いのか?』 と。刹那が黙って頷いた事により、目を静かに伏せてしまった。しかしニールを牽制する事は忘れなか った。ティエリアとて『血』の絆の深さは知っているだろうし、過去のライルが失われた家族の為に荒 れていた事も知っている。だがそれでも彼は刹那に味方してくれた。ある意味孤立してしまったのはニ ールの方だ。居心地悪そうにしてはいたが、人間界に行く事を不安がるライルを説得していった。 「大丈夫だ、俺も一緒にいるから。心配いらないさ」 「ニール兄が一緒にいてくれるの?」 「ああ。だから安心しろ。閉じこもって勉強するのも大切だが少し他の世界を見る事も必要だと思うぞ?」 「刹那、どう思う?」 首を傾げて刹那を見上げたライルは、刹那のいつもと違う雰囲気に戸惑ったのだろう。だが刹那はライ ルの方を見る事はしなかった。そうする事によりライルが更に不安がる事は分かっていたが、それでも 色々な感情が入り乱れて刹那はなかなか返事を返そうとはしなかった。 「お前が決めて良い」 そんな気は無かったが、ライルはショックを受けたように目を大きく見開いた。少しつっけんどうな言 い方になってしまったらしい。だからだろうか、いつもは先に風呂に入って大人しく刹那のベットに入 っているのに、今日に限って風呂に入った後も刹那の後ろをついて回っていた。湯冷めする、と言って も無駄で、珍しくごねて言う事をきかない。アニューもやんわりと注意していたが、ライルは横を向い てやはりきかない。とうとう根負けした刹那が抱き上げてやると、必死でしがみついてきた。ライルか らすれば、刹那とアニューこそが家族であり世界なのだ。だからこそ見捨てられる事が怖い。暫くあや していると、やっと寝息をたて始めた。 「後悔しているの、ライルを連れて来た事を」 「・・・・・」 「だとしたら勝手よ、刹那。それではライルが可哀そうだわ」 自らのエゴで連れ出しておきながら、その行為を後悔する資格等刹那には無い。アニューは長年の付き 合いなので、遠慮無く刹那に言う。例えそれが刹那を追い詰める事になっても、彼の為になるのであれ アニューは敢えて言葉に乗せるのだ。 「・・・・・そうだな、俺には後悔等する資格などない。ただ覚悟するだけだ」 もしライルが人間界が良いのだと、ディランディ家の方が良いのだと言うのであればそれを許容しなけ ればならないのだ。その覚悟は刹那にとって大変困難な事だ。だがライルの意志を自らのエゴで潰して はならない。もし・・・・・もしライルがこの世界の方を選んだとしたら、きっとニールはそれを拒ん だりはしないだろう。ニールには既にそういった覚悟が出来ている。 だから 刹那も覚悟しなければならない。ライルが自分の元を去ってしまう覚悟を。もしかしたらそのままこち らの世界に留まったとしても、時が経てば刹那の元から去ってしまう可能性だって捨てきれない。この 腕の中で眠るライルが、パートナーとして選ぶのは刹那ではないかもしれないのだ。自分の想像に胸が 苦しくなり、刹那はライルを抱いている腕に力を込めた。その刹那をアニューが複雑そうな顔をして、 見ている。 ーーーーほんと、お前、なにやってんの? ふと自分を選んでくれた『過去』のライルが呆れたように言う声を聞いた気がした。
★溺愛と後悔を行ったり来たりしているのが、この話の刹那です。手放せないほど溺愛していても、勝 手にライルを連れて来た事に関しての後悔。そしてライルが離れて行ってしまうかもしれないという 恐怖が此処からつき纏いだします。さてライルが選ぶのは人間界か、イノベイター界なのか。 戻る