ライルの選択




こわれた時計9



ライルは夜にそっとディランディ家を抜け出した。別に彼らに不満があるわけじゃない。とても良い人
達だと思う。だが滞在3日目にニールが火急の仕事が入ったらしく、出かけたまま帰って来なかった。
とても気を使ってくれて感謝するのと同時に、息苦しくなってきてしまったのである。特にニールの母
親はいつもぴったりと寄り添って心を砕いてくれたが、反対にそれが苦痛になってきてしまったのだ。
ニールがいた時はあまりに急接近すると牽制をしてくれたのだが、彼がいない今はいつも抱きしめられ
てなんだかぬいぐるみにでもなった気分だった。彼女からしてみればいなくなった我が子を抱きしめて
愛情を注ぐ事は当たり前なのだが、残念ながらライルは過剰な愛情表現に引いてしまったである。なん
とも贅沢な話である。だがライルの甘える相手は血の繋がった家族ではなく、刹那でありアニューであ
るのだ。どうしても帰りたくなって、ライルはこっそりと抜け出したというわけだ。


だがライルは直ぐに気がついた。人間界に来た時は、ニールが連れて来てくれている。だからライルに
はイノベイター界に帰る手段が全く無かったのだった。
「刹那・・・・・」
自分の世界そのものである人物の名前を呟く。気がつけば刹那がいつも傍にいた。それこそ息をするよ
うに自然に。刹那に無性に会いたかった。
「刹那」
小さく呼びかける。無論「どうした?」という刹那の声が聞こえる事は無い。
「刹那・・・・・・・・・」
途方に暮れてとぼとぼ歩いていると、目の前には小さな公園があった。ライルは全く覚えが無かったが
そこは刹那と転生したライルが初めて会った場所だった。そのまま公園に入り、目についたブランコに
腰を下ろす。キィ・・・キィ・・・と小さくブランコを無意識に揺らした。
「どうしよう・・・・どうしたら帰れるんだろう」
抜け出す事で頭がいっぱいだった為に、帰れなかった時の事をライルは全く考えていなかった。このま
ま朝まで公園で過ごす事になるのか、と不安に思っていた時だった。

突然、後ろから腕を掴まれてそのまま上に引っ張り上げられる。

「い、痛い!」
思わず叫んで振り向くと、そこにはガラの悪い若者がいた。逃げようとしても腕を掴まれているので、
逃げられない。
「離してよ!」
なんとか腕を離してもらおうともがくが、相手は面白がって離さない。
「こんなトコにガキがなにしてんだよ!?ああ!?」
凄まれたライルは言葉が出ない。実はライルは『悪意』というものに遭遇した事が無かったのだ。それ
はそうだろう、狭い世界と周囲の者達に溺愛されて育って来たのだ。だがそれでも若者から放たれる悪
意を本能的に感じ取って、ライルは固まった。あっという間に背負っていたリュックを盗られてしまう。
ライルは気がつかなかったが、その背後には何人かの同じような若者がたむろしていたのだ。
「お、お宝か?」
「良いねぇ、金目の物があれば良いけどな」
口々に言いながら、ライルのリュックの中身をぶちまける。当然だがお泊まりに来ていたのだ、そんな
金目の物があるわけもない。だがライルにとっては大事な物なのだ。
「返してよ、返して!」
そう喚くと頬に痛みが走った。殴られたのだ、とライルが悟るまで数秒の間があった。そのまま痛みと
恐怖に泣き出してしまったライルに、再び手が上げられたその時だ。
「なにをしている」
低いしかし良く通る声が、響き渡った。そこに立っていたのは、ライルが会いたいと望んだ人物。
「・・・・・刹那!」
しゃくりあげながら、ライルはようやく名前を呼んだ。だが刹那の見た事の無い姿に、ライルは言葉を
無くす。いや姿ではない、雰囲気が違った。いつもの刹那は穏やかで、優しい。だが今の刹那は怒りを
隠す事もなく、そのまま周囲を凍らせている。
「んだぁ・・・てめぇ」
ようやくライルを殴った若者が、陳腐な言葉を口にする。だが完全に刹那の殺気に気圧されて、先程迄
の勢いはどこへやら。

ズイ

刹那が1歩歩を進める。若者は後ずさる。そんな攻防を何回かした後、刹那は急に間合いを詰めた。ラ
イルの腕を掴んでいる若者の腕を掴み上げ、捻る。
「痛ぇ!」
「いつまでも腕を離さないからだ」
ライルを後ろに庇いつつ、刹那は若者の足を払って転ばせた。
「早く此処から去れ。それとももっと痛い目にあいたいか?」
刹那とは思えない言葉が飛び出して、ライルは目を見張る。それだけ怒っているのだ、刹那は。嬉しい
が恐ろしくて、ライルは戸惑う。


結局若者達は「覚えてろ!」等という捨て台詞すら言えずに、公園から逃げていく事となった。彼らを
見送った後、ライルに振り返った刹那はいつもの表情に戻っていた。いや、まだ少し怒っているらしい。
しゃがみ込み、刹那はライルの瞳を覗きこんだ。
「どうしてこんな時間に外に出ていた?」
答は至極簡単に返って来た。
「家に帰りたかったんだ」
そう言って項垂れる姿に、刹那は眉を寄せる。
「どうした?何か嫌な事があったのか?」
そう尋ねれば、ライルは首を横に振った。
「ならどうして?」
更に尋ねれば、ライルは刹那にしがみついた。
「ライル?」
「あの人達は、僕の本当の家族なんだって知ってるよ」
刹那は息を飲んだ。
「ニールがそう言ったのか?」
「ううん。でも分かったんだ。この人達は僕の血の繋がった家族なんだって。ニール兄も僕と兄弟なん
 だって。・・・・だからかな、ニール兄が家を開けたら僕へどう接したら良いかって戸惑っているよ
 うに見えたんだ。大切に思ってくれてる事も分かってる。だけど・・・」
刹那は黙って聞いていた。
「だけどやっぱり、僕は刹那と一緒にいたいって思ったんだ」
それは刹那の欲しかった答ではあった。だが自分のエゴで引き裂いてしまったモノが、如実に刹那の前
に現れる。後悔の念が刹那の胸を締め付ける。しがみついてくるライルを抱きしめながら、刹那は自分
の行いを呪った。

その時だ。

「まったく、しょうがねぇなぁお前は」
ぎょっとして腕の中のライルを見ると、そこには見覚えのある少し斜に構えた笑顔がある。それは刹那
の記憶の中にある彼と同じもの。
「ライル・・・・?」
「頑張って転生したってーのに、ホント何やってんだよお前は。俺言っただろ?無茶すんなってさ」
笑いを含んだ声で、刹那に語られる言葉。流石にどう反応して良いのか迷い、刹那は困惑の顔のまま腕
の中の存在を凝視する。
「ま、お前が相変わらず『俺』を大切にしていてくれるのは分かったよ。転生した姿でもこいつは厳密
 な意味で俺じゃない。此処でお前を選んでも、いつか違う者と共にある事を願うかもしれない。それ
 は覚悟しておけよ」
「あ・・・・ああ」
まだ子供なのでその可能性は否定できないものだ。それでも今の『ライル』にとって刹那は特別な存在
である事には変わりがないが。
「あんまりお前があたふたしてたから出て来たけど、もう『俺』として出てくる事は無いからな。ちゃ
 んと見てやれ」
「・・・・分かった」
にやり、とライルは再び笑った。
「なら帰ってやりな、お前の城にな。後、兄さん達にはちゃんと謝っとけ」
そう言ってライルは目を閉じた。なんらかの影響で元の人格が出て来たのかもしれないが、刹那には嬉
しい出来事ではあった。無論、ちゃんと釘を刺されたのだが。
「有難う、ライル。そしてお前も」
刹那は眠ってしまったらしいライルに頬を擦り寄せた。


それから何日か後、ニールがのんびり刹那の城にやって来た。彼の家族はパニックだったようだが、ニ
ールにしてみれば無理なからぬライルの心情も理解してくれていた。それでもやはり礼儀は通さねばな
らない。
「キチンと謝れ、ライル」
むぅ、とライルはむくれたが自分が夜中にこっそり抜け出してしまった事は悪いと思っているらしい。
「ごめんなさい、ニール兄」
下げられた小さな頭にニールの手が乗る。
「分かってたさ、ライルがいなくなった理由も、その後姿が見えない事も。俺がずっと傍にいて家族か
 ら距離を置いておくつもりだったんだけどな」
ライルへの思い入れが強くなりすぎて、反対にどう接していいのか分からなくなったのだ。ライルにと
っては血は繋がっていても他人。お互いに微妙な距離があり、そしてそれをどうする事も出来なくなっ
た。そんな処だろう。
「まぁ、良いさ。たまには人間界に遊びに来い、ライル」
「うん」
「ま、俺は此処に居座るつもり満々だがな!」
「なに?」
初耳だ。そりゃ刹那にしてみれば居候が1人増えた処で痛くもないが、ニールの行動力は刹那が思って
いたよりもあったらしい。たまには人間界にも帰るけどなー、と軽く言う彼に目を白黒させる刹那と、
素直に喜ぶライルだった。

	

★お終いです。ライルはこれからたまにディランディ家に訪れる事になります。回数を重ねればお互い  に適度な距離が出て来て、良い関係を築く事になります。刹那がハラハラしてるけど(笑)ただライ  ルの身体はイノベイター世界に順応している為に、その内血の繋がった家族を見送り更にその子孫を  そっと見守る事になります。なのでなかなか大人の体にはなりません。頑張れ、刹那! 戻る