それが、全ての始まり






 
ヴァンパイア1


「う〜寒い。早く家に帰ろう」
ニール・ディランディは会社帰り、手袋をしててもかじかむ手を擦り合わせながら歩いていた。どこに
でもいそうなこの青年は、ちょっと普通の人間とは違うところがあった。

実は母がヴァンパイアなのだった。

ヴァンパイアは人が人として自覚する以前から生きている種族で、不老不死とも言われている。一昔前
は獲物として人間を襲うヴァンパイアと、それを阻止しようとする人間との間で激しい諍いがあった。
人間達の切り札であるその人間はヴァンパイアハンターと呼ばれ、あちこちで活躍していたという。実
はそのヴァンパイアハンターの1人が、父だった。問答無用で飛び掛る他のハンター達と違い、高い知
性を持ち合わせているヴァンパイアとの交渉は可能だという信念を掲げていた変わり者。どこか間延び
した声で話すので、大概のヴァンパイアは興味を示したらしい。その一人が母だった。母は父と知り合
ってから頻繁に父の前に姿を現し、ついには子供を身ごもってしまった。人間とヴァンパイアの子供と
いうのは少ないながら、皆無ではない。
母は父を自分の城に連れて行き、そこで子供を生んだ。それがニールだ。ハーフの子供はそれぞれの特
徴を併せ持って生まれてくるのだが、ニールは全く違っていた。
その95%が人間の属性だったのだ。
母の遺伝子はドコに行った?と言わんばかりの属性にヴァンパイア達は驚いたらしい。ただ有難い事に
ヴァンパイア達はそれぞれが独立しており、あまり群れる事はしない。だから異端と責められる事も無
かった。勿論、両親は惜しみない愛情をニールに注いでくれた。なのでニールも余り自分が異端である
という自覚は無い。それどころか、まあそんな事があっても面白いじゃんと思っている。


転機は15歳の時に訪れた。
まったくの人間であるニールはやはり同属である人間の社会で生きた方が良いと、両親が判断したから
だ。ニールはヴァンパイアの世界では異端であり、弱者だった。両親はヴァンパイアの世界で、ニール
に何かあったら大変だと危惧したのだ。可能性は皆無ではない。悪気は無くても、ヴァンパイアの一撃
でニールは死んでしまう。
そういうわけで、ニールは父に連れられて人間界へやってきた。ヴァンパイアとしての特徴をほとんど
持たないニールは、比較的穏やかに人間界に溶け込む事ができた。その頃には両親も力を入れていた、
人とヴァンパイアの協定が双方納得で取り入れられていた。人はヴァンパイアの境界を越えてはならな
い。そしてヴァンパイアも人の世界に自由に出入りしてはいけない。謂わば住み分けの協定だった。本
来ならば母が父とニールの家に来ることは禁じられているのだが、ちゃっかりと1ヶ月に1回は必ず会
いに来てくれた。


それから10年、両親はニールの薦めもあってどこかで一緒に暮らしている。場所を特定されるとマズ
イので、ニールは敢えて訊く事は無い。ただやはり頻繁に両親から、手紙が届くのは嬉しいものだ。ニ
ールは普通の学校に行き、普通に就職。普通に会社員生活をしている。


「ただいま〜」
ひとり暮らしなので誰も答える人はいないが、取りあえずそう言って家に入る。本来なら此処で十分に
寛げるはずなのだが、何故か今夜は落ち着きが無い。自分でも驚くぐらい、そわそわしていている。
「?・・・・・なんだってんだ?」
好物のコーヒーをゆっくりと飲んでも、やはり落ち着かない。暫くはぐだぐだしていたのだが・・・
「くそっ!」
とうとう音を上げてニールは掛けたばかりのコートを無造作に羽織り、深夜の街に出て行った。


気になったのは人間としての部分ではなく、わずかにしかないはずのヴァンパイアの部分が疼く事だ。
こんな事は人間界に来てからはなかった。
(呼んでいる・・・?)
そうとしか思えない。しかも縋るような必死さではなく、無意識に繰り返し呼んでいる・・・そんな感
じだった。ニールは下手をしたら切れてしまいそうな弱々しいその感覚を必死で追った。裏街のさらに
細い裏道で、ニールは見つけたのだ。真っ黒のコートを無造作に羽織り、塀にもたれかかって座り込ん
でいる人物を。項垂れていた為に、顔は見えない。だがニールには直に分かる。
「・・・・・・・・ライル」
10年間会えなかった人物がニールの目の前にいる、その奇跡。だがライルは反応を示さなかった。
「ライルっ!」
叫んでしゃがみ込み、その顔を覗き込む。目を閉じていて、自分とお揃いの翠の瞳は見えない。
「これは・・・・」
思わずライルの腕を掴んだニールは、ぬるりとした感触に慌てて手を離した。自分の手の平は真っ赤に
染まっていた。黒いシャツをそっとたくし上げてみると、そこにはおびただしいまでの傷が開き、血が
そこから流れ出ていた。


ライルはニールの双子の弟だ。ほとんど人間の属性を持って生まれたニールに反して、ライルはほぼ1
00%ヴァンパイアの属性を持って生まれてきた。ハーフでありながら、生まれながらのヴァンパイア
だったのだ。これもまた、異常な事だった。母はかなりの力を持っていたが、ライルは更に強い力を持
っていた。巨大な力を幼いライルはコントロールしきれず、暴走する事もあった。両親が全力でその力
を押さえる間、ニールは結界の張られた部屋の中で震えながら待っていたものだ。だが兄弟仲は良かっ
た。自分よりも強い力の持ち主でありながら、ライルはお兄ちゃんお兄ちゃんとニールの後を雛鳥のよ
うにくっついて回っていた。
15歳で離れた後、ニールはライルに会うことはできなかった。何の事はない、強すぎるその力を上手
くコントロール出来ない為に、人間界に行けば直に協定を破った事がばれるから。そのかわり、ヴァン
パイアのみに解読できる古代文字で、手紙を頻繁に寄越した。それがライルにできる精一杯。もちろん
父もニールも返事を書いて、母に持って帰ってもらった。それからコントロールが上手くなった頃には
ライルは始祖にその力を認められ、スカウトされたのだ。スカウトといってもライルに拒否権はない。
父とニールに会いたいが故に頑張った結果が、これだった。それからライルは母の城にも滅多に帰れな
くなったらしい。両親に共に暮らすよう進言したのは、母が寂しがったからだ。ライルもすんなり頷い
たらしい。
ヴァンパイアは普通の人間に傷をつけられる事はない。ハンターとしてのスキルを持った者だけが、ヴ
ァンパイアを害する事ができる。協定が成され、生きる術を無くしたハンターは減少の一途を辿ってい
る。ライルを此処まで傷つける事ができるのは、かなり凄腕のハンターなのだろうか?そこまで考えて
から、ニールは我に返った。とにかくライルの姿を見られるのはマズイ。協定があるとはいえ、ヴァン
パイアはまだ人間の畏怖の対象であるのだ。


ライルの腕を自分の肩にまわして、ニールは立ち上がった。目を覚まさないライルはそれなりに重い。
少しヨロヨロしながら、ニールは慎重に裏道を歩き出した。その前を誰かが立ちふさがる。ハンターか
それともヴァンパイアか、と危惧して立ち止まってみたがどう見てもただのチンピラだ。
前に1人。
後ろに2人。
ニヤニヤと獲物を値踏みするその不躾な視線は、ニールの苛立ちを誘うには十分。睨みつけると、更に
馬鹿にしたように笑う。どうするか、と思案していると傍らの顔が動いた。驚いて見ると、ライルが顔
を上げている。瞳が真っ赤に染まっていた。口が開き、微かに威嚇するような吐息が吐き出される。牙
がはっきりと、見えていた。
「ライル・・・・?」
次の瞬間ライルはニールを振りほどき、真っ直ぐ飛び掛っていった。目の前で卑しい笑みを浮かべたチ
ンピラに。止める暇もないほど、ライルの動きは早かった。とても怪我を負っているとは思えない。
「な・・・なんだ、こいつ!」
獲物だったはずの存在に目の前に迫られたチンピラが、恐怖に染まった声を出した。が、ライルはその
チンピラをがっしりと捕まえる。
「や、止めろ!ライル!」
ライルの行動を理解したニールが、制止の声を上げる。だがライルはその声にも反応せずに、チンピラ
首筋にかぶりついたようだ。
「あ・・・・・・あ・・・・・・あ・・・・・・・・」
身体の中の水分を吸われているチンピラの顔が、ニールの目の前で干からびていき、パンという小さな
破裂音と共に粉々に霧散した。着ていた服がはらりと落ちていく。
「うわああああ!」
後ろのチンピラが悲鳴を上げた。それに反応したのか、ライルはこちらを振り返った。唇が血で真っ赤
に濡れている。ヴァンパイアの世界で育ったもののニールは、実は吸血行為を見たのは初めてだった。
本能的な恐怖が、身体を駆け巡る。ライルは虚ろな瞳でゆらり・・・と身体ごとこちらにむく。と、思
った次の瞬間、ニールの横を駆け抜けて、ライルは後ろの2人に襲い掛かった。恐怖で動けなかっただ
ろうチンピラは、本能に従ってライルから逃げ出そうと背を向けて走り出した。ライルが右腕を水平に
持上げる。広げた手の平にライルの魔力が凝縮されていく。右腕全体が魔方陣に包まれていき、そのま
ま現れた光・・・魔力の球が投げられて逃げる彼らに襲い掛かった。


眩しい光に包まれて、逃亡者の身体が消えていく。彼らは一瞬であの世へと送られたのだ。ニールは呆
然とする。何もできなかった。制止の声をたった1度だけ上げただけ。

これが弟。
これがヴァンパイア。

身体が震えた。ようやくニールの視線に気がついたのか、ライルは振り返った。もう瞳は赤くはない。
自分と同じ美しい翠の瞳が、きょとんとしたように見開かれる。
「・・・・・・兄さん?」
ぽつん、と呟く。そしてそのままニールの前で、ライルは崩れ落ちた。
「ライル!」
駆け寄り抱き起こすと、ライルは再び失神していた。取りあえず貰ったままポケットに入れていたティ
ッシュを取り出すと、ライルの口を拭った。ライルの口についた血を落とす為だ。なにがどうなってい
るのか、さっぱり分からない。だが10年振りに会った最愛の弟を、見捨てる事はニールには出来なか
った。最初に考えたとおり、自分の部屋に連れて行こう。事情はそれから聞けば良い。再びライルの腕
を自分の肩に回させて、ニールは歩き出した。

吸血をしたばかりのライルから、微かに血のにおいがした。



★憧れの吸血モノに挑戦です。玉砕しないように、お祈りをしていただければ幸い。両親のイメージは  まんまディランディ夫妻でお願いします。本当はエイミーも出したかったんですが、話的にちょっと  出せなくなりました。無念。お耽美は皆無ですので、ご了承くださいね。 戻る