俺の半身
9.硝子の破片
ニール・ディランディは世界に名を轟かせる医師だ。
その理由は長い間不治の病とされてきたある病気の治療法を開発して世界に発表したから。その治療法
は確実にその病に冒されてきた患者を助けていった。そうなれば評判も上がるし、業界での存在も重み
を増す。彼の名声は高まるばかりだった。
そんな彼だったが、今でも医師として患者に直接接しての現場の治療に専念している。
「先生、独身なんですって?どう?お見合いしてみる気はない?」
ニールが救った患者の中にはこう言って、結婚を勧めてくる者が後を絶たない。その相手は大体の場合
自分の娘であったりするのだが・・・・・。
「いや、俺この仕事大好きですからきっと家庭を蔑ろにしてしまいますよ。だから結婚は考えていませ
ん」
にこやかに彼は答える。どの勧めにもニールは首を縦には振らなかった。いつもいつもにこやかに笑う
素敵で優しい先生と誰に訊いてもこんな答えが返って来る、人格者。
「ただいま〜」
玄関に入るとニールは真っ直ぐに寝室に向かう。寝室のドアを開き、慌ただしく入っていく。
「ごめんな、遅くなって」
そう嬉しそうに呟きながら、金庫を開きそこから箱を持ち出してベットに座る。
「すぐに出してやるからな」
箱の蓋を開き、中に入った物を丁寧に取り出して微笑む。
それは人の頭蓋骨。
「狭かったろ、おばさんの見合い攻撃が凄くてさ。お前が待っているの分かってたけど、時間掛っちま
ったな」
頬のあたりを優しく撫でる。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「・・・・・・・・ライル」
大切な名前を呟き、愛しくてたまらないという表情をしてニールはその頭蓋骨の額にキスをした。
ニールには双子の弟がいた。名をライルという。健康体で産まれてきたニールに対して、ライルは産ま
れながらに不治の病にかかっていたのだ。ライルは病院から出た事は無く、いつもいつも外を眺めてい
た。ニールはそんなライルが不憫でならなかった。外の世界を知らず、治療と称して切り刻まれていく
身体。何度も手術を施され、その度に苦しんでいたけれど病は依然としてライルの身体から離れなかっ
た。
両親はライルの入院費を稼ぐ為に必死で働き、ニール自身も贅沢とは無縁の生活だったが、ライルに比
べればまだ自分は幸せといえた。発作に怯え苦しむ事もなく、自由奔放に動ける。子供ながらに外の世
界を知っている。そのなんでもない事が、どれだけ幸せであるかと知っている者はいるのだろうか。ニ
ールはライルの前では殊更明るく振舞ってみせていた。父も母もそうだ。お荷物だと自分を責めるライ
ルに、家族全員で笑って否定した。しかし家に帰ってから母がコッソリ泣いているのをニールは知って
いる。なにをどうやっても我が子を救えない事を嘆いていた。
ニールが高校に通い出した頃、両親は自爆テロにあってこの世を去った。コトがコトだけに国から補助
を貰い、ライルの入院費も堅実に生活していた両親が残してくれた遺産でなんとかめどが立ち、ニール
はほっとした。両親が亡くなった今、ライルを守るのは自分だけなのだから。大学までの進学を考えて
いたがそれを止め、高校を卒業したら働こうと決心する。ライルのいない生活など考えられない。
高校二年のある日、いつものように学校とバイトの間にある僅かな時間をライルに会いに行ったニール
は驚愕した。最早ライルの固定位置ともいえる病室に、ライルの姿はなかったからだ。検査かと思い、
近くにいた顔見知りの看護士に訊いてみれば、先生にお聞きなさいと言われる。困惑のままライルの主
治医をしている医者・・・モレノ医師に尋ねると、ライルは退院したというではないか。だがそれはラ
イルの病が治ったわけではない。寧ろ逆でもう病の進行も止められず、ライルの死は免れない。だから
こそ、ライルは住んだ事のない自分の家でその短い時を過ごしたいと言い、もう止める理由もない彼ら
はそれを承諾したのだ。発作の時の薬をこれでもか、と持たせて。初耳だったのだが、ライルが兄を驚
かしてやりたいから黙っていてくれとモレノ医師をはじめとした看護士達にも口止めをしていたらしい。
「白状してしまったが、ライルが家にいて君を出迎えたら壮大に驚いてくれ。わざとらしくないように」
そして彼はニールに詫びた。ライルの病を治せなかった事に。だがニールは知っている。モレノ医師が
どれだけ努力していたのかを。悪いのは医師ではない、病なのだ。
ニールは急いで自宅に帰った。ライルに会いたかったし、バイトの時間も迫っている。だが自宅にライ
ルはいなかった。この時は深く考える事も無く、バイトから帰ってきたらいるのだろうと思った。学校
から帰った後、バイトを入れているのはライルも良く知っている。こんな慌ただしい時間ではライルと
話をする暇もない。
ところがバイトから帰って来てもライルはいない。ニールは病院に連絡を取り、何かあれば連絡を貰う
ことにした。次の日は学校を休み、ライルを探した。ひょっとしたら自宅に帰る前になんらかの発作を
起こしている可能性も否定できない。警察にも届を出しライルを探し回った。結局ライルは見つからず
疲れ果てて帰って来たニールを迎えたのは、ライルからの手紙。その中にはニールへの感謝の言葉と、
自分のせいで不自由をさせてしまった事の謝罪、そしてこれ以上自分の事でニールの手を煩わせる事は
出来ないから、消えるといった趣旨の事が書かれていた。
ライルは自宅で余命を全うするのではなく、この世から自らの意志でいなくなる選択をしたのだ。半狂
乱になって、更に探し回るも結局ライルの・・・遺体すら見つからなかった。
ニールの世界は色を失い、止まった。
皮肉な事にライルがいなくなった事によって、時間と金銭的に余裕のできたニールは医学部に入学して
ライルを最期まで苦しめ続けたあの病の治療法を探しだした。教授も同僚たちも無駄な事は止めた方が
良いと言ったが、ニールは聞く耳も持たなかった。他人の言葉など聞く気もなかった。それから10年
以上かけて、ようやくニールはその病の治療法の突破口を発見。そこからは面白いように研究は進んだ。
そして
その功績が認められて、ニール・ディランディは若きホープとして世界に名を馳せる事になったのだ。
だがどんなに称賛を浴びても、心は晴れなかった。結局、ニールは最も助けたかった人物を助ける事す
らできなかったのだから。自らの死期を悟りたった1人で死んでいった弟。産まれた時は確かに2人だ
ったのに。
そんな時だ。まるでニールに対する神からのご褒美の様に、ライルの遺体が見つかったという連絡が警
察から入ったのは。
やっと会えた弟は既に白骨化していた。それでもライルが自分の処に戻ってくれた事だけがニールには
嬉しかった。途切れる事の無かった思慕。例え骨だけになっていても、ニールにはライルが必要だった
のだ。
「結婚っていってもさ、お前の事認めてくれる女性じゃないとなぁ」
頭蓋骨・・・・ライルはなにも答えない。分かっている、分かっているのだ。こんな事は人として異常
だという事くらい。上辺だけの外面とニールの持つ知名度を目当てにすり寄ってくる大勢の女性の中に、
ライルを許容できる者はいないだろう。だがニールはライルを手放す気はまったくない。話しかけてい
る間中、ニールの手は優しくライルの頭蓋骨を愛しそうに撫で続けている。他人から見たら猟奇的にし
か見えないのだろう。
これは破片だ。
ライルという硝子でできた魂の。
だから手放せない。
狂っていると言われても良い。
破片によって、自らが血を流したって良いのだ。
「ライル・・・・・・」
ニールは幸せそうに笑って、優しくライルの頭蓋骨を抱きしめた。
★自覚があるので兄さんはイッちゃってません。ただ1番辛い状態ではありますね。ライルがニールが
生き続ける事を望んだのは知っているので、後を追う事も出来なかった。
戻る