13, ありがとう 


悪夢だ。
兄は熱と激痛に呻きながら、そう思った。錬成できると信じた母。間違った道を正しいと思い込み、た
だ無邪気に進んだ。罪には罰がつきまとう。それに気がつかずにいた。そもそも母の錬成が罪だなんて
思いもしなかった。それは世間を知らなすぎた子供の傲慢だ。

(アル)

いまや自分に残されたたった1人の存在である、弟の名前を呼ぶ。自分にとっての全ての死の象徴にな
ったのが母ならば、全ての生の象徴なのが弟だ。手を伸ばせば届く距離にいてくれる、ただ1人の存在。
しかし忘れられない、弟の身体が分解され消えていく情景を。自分は左足だけで済んだというのに、何
故弟は全て・・・・・魂ごと持っていかれなければならなかったのか。分からない、あいつは何も言わ
なかった。あのふざけた”真理”とやらは。自分の全てをくれてやると願ったのに、還ってきたのは魂
だけ。

(アル、待ってろ。俺が、俺が絶対お前を元に戻してやる。絶対に・・・・)


目を開けると、見慣れた幼馴染の家の天井が映る。
「エド!!」
「おや、目が覚めたかい?」
右に目をやると、まず包帯だらけの右肩が見えた。右肩から先には何も無い。それからぼんやりと人間
の顔が見える。視界がはっきりしてみて始めて、幼馴染の少女とその祖母だと気がつく。
「ウィンリィ・・・・・ばっちゃん・・・・・。」
「良かった・・・・・エドが目を覚ましてくれて、本当に良かった。」
幼馴染の少女はそう言って、泣いた。ほんとに泣き虫だねぇ、と祖母が彼女の頭を撫でている。
「大丈夫かい、エド。熱はやっと下がったが、無理は禁物だよ。」
少女の祖母は、優しく諭すように兄に言う。しかし・・・・・・。兄はキョロキョロと部屋の中を探し
てから、2人に視線を戻した。
「・・・・アルは・・・・?」
魂の定着には成功したはずだ。それを確認してから意識を手放したので、間違いない。大きな鎧から、
確かにあの弟の声を聞いたのだ。
兄の問いかけに、2人は俯いて黙り込んでしまう。兄の心に不安が生まれてくる。
「アルはどこだ?ばっちゃん・・・・・ウィンリィ?」
再度問いかける。少女の祖母が意を決したように、兄と目を合わせた。幼馴染の少女は下を向いたまま
だった。
「エド、落ち着いてよくお聞き。」
「ばっちゃん。」
「アルはね、いなくなっちまったよ。2日前にね。そりゃあたし達も探したさ、あんな鎧の姿になった
 ところでアルはアルだからね。トリシャの大事な忘れ形見には変わらない。でも・・・・どこにもい
 なかった。」
「そんなっ!・・・・・痛っ。」
驚いて飛び起きた兄は、右肩と左足の激痛に蹲った。そんな兄を支えながら、少女の祖母は言葉を続け
る。
「トリシャの墓には寄ったらしい。野花が置いてあったからね・・・・・。」
とうとう少女が泣き出した。
「アル、あたしとばっちゃんに”兄さんのことよろしくね”って言ったから、あたし怒ったの。よろし
 くされなくったって、アル共々一緒にいるのにって。」
しゃくりあげながら言う。
「だけど・・・・アルいなくなっちゃった・・・・・。パパとママに次いでアルまでいなくなっちゃっ
 たの・・・。」
少女の背を祖母は慰めるように撫で、自分の部屋に戻っているように告げる。少女もこれ以上兄の前で
泣きたくなかったのだろう、素直に部屋を出て行った。
「アル・・・・・どうして・・・・?」
兄は左手を見つめた。まるで自分の手のひらから、母も弟も零れ落ちていく感覚。何故、自分を置いて
行ってしまうのだろう。これも何かとの”等価交換”なのか?冗談じゃない、と兄は思う。母を錬成し
ようとした罪は、己の左足と弟の全てで罰を受けたはずだ。そして弟の魂を蘇らす罪は、己の右腕で罰
を受けたはずだ。
「エド、ウィンリィには見せられなかったが、アルがお前さんに置手紙を残していったんだ。」
少女の祖母はエプロンのポケットから、1通の手紙を兄に渡す。そこには下手くそな字で”兄さんへ”
と書いてあった。弟はもっと字が上手かったはずなのだが、慣れない鎧の身体だ。力加減が分からなか
ったのだろう。兄は封を開けようとして、出来ないことに気がついた。少女の祖母が黙って封を開け、
中を兄に渡す。


「兄さんへ
  
  身体の調子はどうですか。本当は兄さんが目覚めるまでそばにいたかったけど、そうするとボクの
  決意が鈍るだろうと思い、もう出て行きます。ゴメンね、兄さんはボクのせいで右腕を無くしてし
  まったんだね。きっとこれから兄さんは僕を見るたびに、母さんの錬成に失敗したことを思い出し
  て辛くなるんだろうと思うんだ。だからせめて兄さんが辛くないように、ボクが消える。
  ボクなら大丈夫だよ、鎧の身体は慣れれば結構便利だから。悪いと思ったけど、母さんが残してく
  れたお金をちょっとだけ貰っていくね。
  兄さん、ありがとう。ボクをこの世界に戻してくれて。本当に感謝しているんだ。だから自分から
  この命を捨てることはしないよ。兄さんはできるだけこのコトは忘れて、幸せに暮らして下さい。
                     
                                       アルフォンス」

ぐしゃ
兄は残った左手で、手紙を握りつぶした。少女の祖母はいつの間にか部屋からいなくなっていた。
「なにが幸せに暮らして下さい、だ。一体なんの為に俺がお前を取り戻したと思ってるんだ?俺は別に
 アルに感謝される為にしたんじゃない・・・・。いて欲しかったから、誰よりも傍にいて欲しかった
 っていう俺のエゴで取り戻したんだよ。お前が後ろめたく思う必然性なんて、これっぽっちもないん
 だ。意味ないんだよ、お前が傍にいなきゃこの世界なんて意味ないんだ。」
ボロボロと見開いた瞳から、涙が零れ落ちていく。
「ありがとう、なんて言葉は直接俺に言えってんだ。」
激情のまま、兄は弟からの手紙を投げ捨てた。縦に潰された手紙は大した距離も飛ばず、ベットのすぐ
脇に落ちる。何より母を取り戻したかった。だが弟が自分の前で消えた時、母よりも弟を取り戻したか
ったのに。
「なんで俺だけを置いていくんだよ・・・・?」
母も弟も。兄は俯いて、自分の拳を睨みつけた。左側しかない自分の拳を。ふつふつと怒りが満ちてく
る。
「・・・・・冗談じゃない、置いていかれてたまるか。俺は・・・・・・・・。」
窓の外を睨みつける。濃い黄金の瞳から涙は消えうせ、強い光が宿っていく。
「俺は、お前に置いてかれないぞ!絶対探し出してやる!絶対だ!!それから直接聞くんだからな、お
 前からの”ありがとう”を。そして聞かせるんだ、生きていてくれて”ありがとう”っていう俺の言
 葉をな!覚悟しておけ 、アル!!」
左腕を上に突き上げて、兄は叫んだ。



「ばっちゃん、俺に自由に動かせる手足をくれ。アルを探せる足と、捕まえられる手を。」
兄は強い決意と共に、告げた。



★弟はもうちょっと大きかったら(身長に非ず)出て行ったかもしれないなーと思って書きました。しか  し現実としては10歳だったわけなので、やはり出てはいけないでしょう。それを考えると兄さんの  行動力は凄まじいと思います。途方にくれている弟にはこれだけの行動力はないだろうし。それでも  弟の存在が無かったら「鋼の錬金術師」は始まらなかった。先生も書き下ろし4コマの最後に弟が元  に戻ったら「完」って描いてるし(笑) 戻る