〜 ビデオは親を変えてしまうのか 〜

皆さんは記録媒体としてどのような物を使っているだろうか。
カメラ、ビデオ、スケッチブックはたまた自分自身の記憶等々。
今回はビデオカメラに付いて、と言うよりビデオ撮影者に付いて感じた事を書いてみた。

先ずテレビのビデオ投稿番組に見られるもの。
多くが我が子を題材にしている。
大多数は微笑ましく見られるものだが中には明らかにハプニングを狙った映像が見受けられる。
それも撮影者である親の面白げな説明付きであるところが怖い。
一歩誤れば我が子が怪我をするような状況なのに、それを或る程度予測してビデオを回している。
そして、それを平気で投稿する。
結果的に子供は怪我もせずピンピンしているから視聴者も笑って見ていられるのだが、よーく考えれば恐ろしい現象ではいだろうか。

本来、親というものは子供を保護する義務がある。
そんな堅苦しい事を言わなくとも、我が子を危険な状態に置かないのが当然の親心ではないだろうか。
子供の「やんちゃ」や「過保護」とは自ずから違うものである。
そしてよく言われるのが子供の運動会、学芸会でのビデオの傍若無人ぶりだ。
我が子を写したい為に周囲の迷惑を顧みずフィールドに飛び出したり舞台の上に登ったりのやりたい放題。
撮影者にすれば我が子の一挙手一投足は全て決定的瞬間であろうが、それもルールを守ってこそである。
もし、あなたがビデオの撮影者ならファインダーを覗く前に周囲の状況を覗いてからカメラを回して欲しい。
 
そこにはファインダーより広い世間が有る筈だから




 

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