〜 元服と成人 〜

その昔、公家や武家の子供達の成人を祝う儀式が元服である。
いまで言う成人式である。
元服には確定的に決まった年齢はなかったようだが男女とも凡そ12〜16歳で元服したようである。
少なくとも16歳くらいで大人として認められ、自分も大人として行動し社会もそれを求めた。
翻って現代の成人式は何であろうか。
新聞、テレビ等で見られるとおり一部とは言え若者ならぬ馬鹿者の大騒ぎの場に堕してしまっている。
祝辞を述べる首長や来賓に「帰れ!帰れ!」とコールをし窘められると「お前が帰れ」と暴言を吐く。
そうかと思えばクラッカーを鳴らし容器をぶつける。これが“大人”のすることであろうか。
ここ迄ではなくとも式場内での携帯電話、私語は凄まじいと言える程にひどかったようだ。
原因はと聞けば『式がつまらない』『友達との話に夢中』『目立ちたい』等々。
式がつまらないのは確かであろうが、どんなものでも式と名前の付くものは面白くないのが相場である。
友達と話がしたければに式後に幾らでも話せばよい。
目立ちたいと居丈高にならずとも、そのままで十分に目立っている。
携帯電話、式のホンの数時間くらい電源を切り休ませてやれ。
馬鹿者に阿るような一部識者は、若者の意を汲んでいない自治体が悪いなどと言っていたが、なんだかんだと言っても『つまらない式』に参加したのは自分の意志であろう。
ならばその『つまらない式』のルールも守るのが大人としての礼儀でありエチケットである。
子供のときだって面白いことばかりではなかった筈である。
大人になれば尚更に面白いことばかりとはいかないのは自明の理である。
だからこその大人であり、大人だからこその謙虚さが求められるのである。
とは言え、これからの成人式をどうするかは見直されるべきではある。
いくら一部とは言え傍若無人な馬鹿者に大切な税金を使って良い筈はあるまい。
この国は概して幼児化しているようである。その一方、特に社会の規範たるべき立場の人間の老害化も激しい。
その昔、元服をした我々の先祖はさぞかし嗤っているだろう、呆れているだろう、泣いているだろう。
そして心から案じていることだろう。



 

戻る