〜 佛作って魂入れず 〜

 先日のことである。我が家に荷物が配達されたのだが留守にしていたので不在通知が残されていた。
 それによると指定の電話番号に電話をしコンピューターが受け指定された日に再配達するシステムのようだ。
 さっそく電話をしコンピューターの音声ガイドに従い翌日の午後2時頃迄に配達を指定、コンピューターが確認し終了した。
 翌日、指定時間を過ぎたが配達されない。配達担当店に電話を入れると、直ぐに配達員に連絡しお届けしますの返事。だが、配達されない。再度の電話を入れる。配達員と連絡が取れないとおかしなこと言う。配達員全員が携帯電話を持っている筈なのに。
 結局、配達されたのは夜8時過ぎであった。お陰でその日の予定は全て狂ってしまった。
 配達担当店にクレームの電話をした。対応に出た者が曰く「配達員のやりくりがつかなかった」「荷物量が多かった」云々と理由にならぬ理由を申し述べる。
 この会社は多々ある運送会社の中でも日本屈指、世界屈指の会社である。一人で請け負い一人で配達している訳ではない。だからこそ再配達受付のコンピューターシステムが有る。しかし、いくら立派なシステムでも最後は人間である。人間が温かい血を通わせてこそシステムは生きる。そうでなければ単なるガラクタである。
 100のうち99が完璧でも残る1が駄目ならそのシステムの全てが駄目なのである。そしてそれを駄目にしているのは人間である。今回の事例に限らず最近はシステム作りが盛んである。決して悪い事ではないがシステムが出来上がるとそれでOKとなってしまい後は往々にしておざなりになってしまう。
 JCOの臨界事故、警察の監察制度、自衛隊員の違法射撃、銀行の不正融資等々。 
 抑止するシステムは有るのに機能しない。逆に悪い方向に機能する。これでは折角のシステムの意味が無い。
 システムを作ったら温かい血を注ぎ入れ、血栓を起こさぬよう絶えず循環させる。それでこそシステムが生き生きする。
 昔から「佛作って魂入れず」という言葉があるが、さしずめ現代では「システム作って魂入れず」だろうか。
 いずれにせよ心血を注いだシステムや物事に魂を吹き込めるのは人間だけであるということをもう一度考え直してみようではないか。お互いに・・・・・
 
 
 

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