〜 自家撞着か身中の虫か 〜

また選挙が始まる。 第44回衆議院議員総選挙である。
9月11日の投票日を目指して各地で各党(又は無所属候補)が舌戦を繰り広げることになる。
今回の総選挙は小泉首相の依怙地とも思える『郵政民営化』解散によるものだ。
だからとても唐突なものである。各地の選挙管理委員会も選挙態勢の構築に苦労しているようだ。
それは兎も角として今回の選挙は話題に事欠かない。
先ず解散の大義名分が無い。首相専決事項の解散権を小泉首相がちらつかせて郵政民営化反対の自民党議員を恫喝したが結果的には否決された。獅子身中の虫の大暴れと言ったところだろうか。
『それではお約束した通り』と打って出たのが今回の解散である。
そして、郵政民営化反対議員に対して“刺客”を放ち対決の構図をクッキリと浮かび上がらせた。
勿論のこと反対議員には自民党の公認を与えない。
しかし、今回の解散は自民党内のコップの中の嵐がコップから溢れ、賛成派も反対派も訳の分からない内に首相が解散権を行使した感が深い。
その辺を鑑みると自民党内での小泉首相の求心力が低下していることが窺い知れる。
そしてこれも多くのメディアが言っているが大事なのは郵政民営化だけなのか、ということである。
客観的に捉えれば郵政民営化の優先順位はそれ程の上位に来るとは思えない。
それよりも年金、雇用、福祉などが国民の関心事ではないだろうか。
 
郵政民営化がいけないとは私も思わない。思わないが『なぜ今なのか』とは思う。
究極的には郵貯・簡保が抱える多額の財政投融資に帰結するのだろうが、それならば先ずその部分の改革を進行させるべきであり十把一絡げにして郵政民営化として括ってしまうから話が見えなくなってしまい国民の理解も曖昧なものになってしまうのではないだろうか。
まぁ、それよりも何よりも小泉首相の“始めに郵政民営化ありき”の頑なな姿勢が民営化を阻んでいるという自家撞着に陥ってしまったのではあるまいか。
 
税金の無駄遣いが声高に叫ばれているが今回の郵政民営化解散から総選挙の流れは本当に必要だったのだろか。
少なくとも郵政民営化一本槍の狭小な考えでなかったら解散、総選挙は無かった筈である。
選挙には莫大な金がかかる。それは我々国民の税金から賄われる。
税金の無駄遣いを排除する筈の郵政民営化が引き金になっての莫大な税金の無駄遣いかも知れない選挙。
しかし、何を嘆いても選挙は始まる。
こうなったら各党各人の主義主張を克明に吟味し、本当の選良を見つけたいものである。
しかし選挙が始まればいつものように『○○をお願いします』一本槍なんだろうな。
 
でも、今回の選挙は面白いかも知れない。
劇場型選挙と言われているだけに余り高い次元ではないが話題には事欠かない。
投票までは有権者として主役、投票後は選挙結果という舞台を観る観客として楽しめるかも知れれない。
但し、この舞台は終わってからでないと配役が分からないという不思議な舞台でもある。
そしてキャスティングの責任は偏に有権者という国民の肩にかかっていることを肝に銘じようではないか。



 
 

戻る