〜 事故には非ず 事件なり 〜

福岡で痛ましい事件が起きてしまいました。
福岡市の職員が飲酒運転で暴走し前を走っていた車に追突、追突された車は海に転落し3人の幼児が殺されてしまったのです。
 
私は敢えて『幼児が亡くなった』ではなく『幼児が殺された』と表記しました。
私の感覚では今回の福岡の交通事故は “事故” ではなく極めて悪質な “殺人事件” と考えるからです。
 
飲酒運転をしていた福岡市の職員は居酒屋やスナックで梯子酒をしていたとのことです。
その時点では当然のことながら『自分は酒を飲んでいる』という認識はあった筈です。
それなのに車を運転したということは 【未必の故意】 が内包されていたと私は考えるのです。
 
【注】未必の故意 
「犯罪事実の発生を積極的には意図しないが、自分の行為からそのような事実が発生するかもしれないと思いながら、あえて実行する場合の心理状態。」(大辞泉より)
 
私の感覚と刑法的な解釈とは相容れない部分もありますが酒を飲んで運転するということは本人が意図するかしないかに関係なく事故は起こり得るのです。
飲酒などをせずとも普通の状態でも車を運転するということは事故と隣り合わせに居るということです。
(必ずしも車が一方的な加害者と言うことではありませんが)
 
それが飲酒をして車を運転すれば好んで事故を呼び寄せているのと同じことです。
飲酒運転をして周囲に何等の迷惑をかけずに本人だけが死んでいくのであればそれはそれで構いません。
そんな輩はとっとと死んで行った方が社会の為でもあります。
しかし、残念ながら周囲に何等の迷惑をかけない事故というものは有り得ません。
 
福岡の飲酒暴走事件は正しく一方的に周囲に迷惑をかけ、限りない可能性を秘めた幼い3人の命を奪いました。
加害者にしても事故を起こそうと思って運転していたのではないことは明白ですがそれでも事故(事件)は起きたのです。
飲酒により “まとも” な判断が出来なかったのでしょうが、だからこそ運転はすべきではなかったのです。
それでも運転をしたのですらそれは “過失” ではなく “未必の故意” と私は考えるのです。
 
どんなに酒が好きでも 『飲んだら乗るな、乗るなら飲むな』 は最低限の常識ですが実際に酒が入ると常識は急速に忘れ去られます。
今回の事件を起こした福岡市の職員は酒を飲んだ店から一旦はタクシーで帰宅したそうです。
そして自宅からわざわざマイカーを運転して仲間と一緒に梯子酒に回ったようです。
ここに “最低限の常識” を無視した “未必の故意” が生まれ、幼い3人を殺した下地が醸成されたのです。
 
故に今回の福岡の飲酒運転事故は事故ではなく殺人事件なのです。
或る意味では衝動的な殺人より遥かに悪質で酌量の余地は無いとも言えるのではないでしょうか。
 
それにしてもこの事件に至るまで周囲の人々は何をしていたのでしょうか。
マイカーで乗り付けて飲酒をしていた店のオーナーや従業員、一緒に飲んでいた仲間の人等々。
飲酒運転の車に同乗していた大馬鹿者は兎も角も周囲では『このままなら必ず飲酒運転をする』ことは分かっていた筈です。
誰か一人でも苦言を呈しマイカーに乗ることを諫め、タクシーで帰していれば今回の事件は起きなかったと思います。
 
飲酒運転を厳罰化すれば当初は確かに効果が得られますが次第に効果は薄れていきます。
これからも厳罰化は重要ですがそれ以上に『酒を飲んだら運転させないシステム』が必要です。
テレビや新聞でも言われていますが ・ 一緒に飲んでいた者の責任も問う ・ 酒を飲ませた店(人)の責任も問う ということは重要且つ必要です。
 
何しろ “飲んで運転しようとする人” はその時点で既に判断力は無くなっているのですから周囲の対応が事故(事件)を未然に防ぐ要になります。
まるで子供を扱うような感じですが現状では仕方ありません。
そして、社会全体も今以上に飲酒運転には厳しく成るべきだと思います。
以前に比べれば格段に厳しくなったのは事実ですがそれでも未だ甘い状況です。
 
事故(事件)を起こし人を死なせてから幾ら反省しても遅すぎるのです。
そして加害者は例え刑務所に入ろうともいつかは出てくることが出来ますが亡くなった命が蘇ることは決してないのです。
 
今は交通事故被害に遭って悲嘆に暮れているのは見知らぬ他人かも知れませんが “明日は我が身” です。
交通事故は加害者になるのも被害者になるのも隣り合わせです。
少なくとも加害者に成らぬ為には言い古された言葉ですが 『飲んだら乗るな、乗るなら飲むな』 です。
例え言い古された言葉であろうとも真理は真理なのです。
 
そしてこれからは間違いなく飲酒を勧めた人や飲酒を黙認した人に対しての責任も厳しく問われることになると思います。
『飲んだら乗せるな、乗せるなら飲ませるな』 も追加しておくべきでしょう



 

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