〜 困ったときの日本叩き 〜

先の日韓首脳会談で韓国の大統領が過去の歴史認識などで小泉首相に苦言を呈した。
中国政府も暇さえあれば靖国問題や過去の歴史問題を取り上げては我が国を非難する。
 
それらについて我が国の政府は至って低姿勢な反論しか行わない。
しかし、この我が国の反論が韓国や中国に理解されることはまずあり得ない。
それはそうだろう、韓国や中国の我が国や小泉首相に対する苦言や非難は恣意的なものだからだ。
 
以前から言われているが韓国政府や中国政府は自国民から非難されるような状況になると自国民の非難を逸らすために日本を道具にしてバッシングを始める。
反日教育や愛国教育を実践しているこれらの国々の国民に当面の非難の矛先を日本に向けさせることで取り敢えず身の安泰を図るのである。
 
何しろ“歴史認識”と言う、或る意味ではどうにでも取れる問題で難癖を付けてくるのだから始末が悪い。
戦後60年の我が国の歩みを全く無視して戦前、戦中の事で云々されても対応のしようがないではないか。
 
確かに小泉首相の信念や心情が韓国や中国を逆なでする部分が無きにしも非ずであることは理解できる。
国内的にも種々の論争を引き起こしているのも事実である。しかし、国内の論争は個々の事象に対しての論争である。
韓国や中国のように全てを否定するようなものではない。
 
何か事が起こると国民の目を逸らすために日本を敵対視するような論調を張り、マスメディアやインテリ層までが付和雷同する。
それに簡単に引きずられる国民の民度が低いと言ってしまえばそれまでだが必ずしもそうではあるまい。
日本に対するコンプレックスの裏返しが日本バッシングに通じているようにも思える。
日本を悪者にしておけば当面は乗り切れると言う政府指導層の思い込みも当然にあるだろう。
 
前述したようにバッシングの種が歴史認識と言うとても曖昧なものである。
曖昧だからこそ日本を非難する国々にとっては使い勝手が良いのであろう。どんな屁理屈でも捏ねられるのだから。
だからこそ日本の取るべき態度は毅然としたものでなくてはいけない。
彼の国のように強く出る相手には弱く、弱い相手には強くではなく首尾一貫した反論と正論を積み重ね、ぶれない事が肝心である。
 
但し、いくら反論をしようと正論を述べようとも彼の国は受け入れないであろう。一度受け入れてしまえば後がないからである。
それでも反論と正論を積み重ねて行く事が全てである。民主的な外交とはそういう迂遠なものであるからだ。



 

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