〜 倫理と道徳の風化 〜

先月の話だが神奈川県川崎市の書店で万引きをした中学生が店長に見付かり警察に通報された。連絡を受けた警察官が警察署に補導しようとしたところ少年が逃走し、書店近くの駅の降りていた遮断機をくぐり抜け、走行してきた電車に轢かれ死亡するという痛ましい事件があった。
これだけだと万引きと若い命を交換した本当に痛ましい事件という話題で終わってしまうが、この事件には続きがあった。
 
万引き被害を受けた書店に『人殺し』『配慮が足りない』『対応が悪い』などという非難、誹謗、中傷が行われ、店長が憔悴し店は休業し、廃業まで考えているという。
万引きは立派な犯罪である。そして中学生ともなれば犯罪は犯してはいけないものと当然に理解している筈である。その犯罪を犯したのだから警察に通報されるのは当然である。(報道によれば通報時点では少年は名前や住所、学校名などを明かさなかったとのこと)店側は仕方なく警察に通報し身柄を警察官に預けた。その直後の出来事で、あくまでも痛ましい出来事ではあるが店側が非難される謂われは一つもない。なのに前述の誹謗、中傷である。
 
この国の倫理観は一体どうなってしまったのだろうか。電車に轢かれて死亡したのが中学生という“子供”だからといって犯罪は許される筈はない。犯罪に対して真っ当な処置をした側が非難を受け、犯罪を犯した側が許容されてしまっては治安はますます悪くなるばかり、そして子供は“少年”であることで増長するばかりなのではあるまいか。
もし、この事件で非難を受けるべき者が居るとすれば万引き少年の身柄をきちんと確保していなかった警察官であろう。しかし、少年が万引きという罪を犯さなければ初めから起こり得ない事態でありやはり原因は少年に帰結するのである。
 
書店を非難、中傷した人々には少年への同情と論理のすり替えがあるように感じられる。
私とて若い命を詰まらない犯罪で落とした少年に同情はするが書店に対して批判的にはならない。
 
少し前にアメリカで『ハンバーガーを食べ過ぎて健康被害を受けた』としてあのマクドナル社を訴えた集団訴訟の判決があった。判決は『食べ過ぎは単に個人の責任、会社に責任なし』という余りにも当たり前の判決であった。
日本人なら(まともな人間なら)絶対に起こさない訴訟だがアメリカではこうした馬鹿げた裁判が結構多くあるようである。自分の責任は棚に上げ、何でもかんでも自分以外が悪いという風潮が。
今回の書店に対する非難、中傷はこのマクドナル訴訟に似ているように感じる。
書店を非難、中傷した人々は自分に責任の持てない、世間に甘えて生きる躾の出来ていない哀れな人間なのだろう。
 
それにしても書店の店長には慰めの言葉もない。本好きの私Roshiとしては出来ればお店を廃業したりせず頑張って欲しいと思うのだが店長のショックは余りにも大きいという。
誤った倫理観と論理のすり替えで人を詰る者たちの横暴さ。
この国の道徳観、倫理観は何処へ行ってしまうのだろうか。
 
◆ この原稿を書き上げた日の夕刊に書店が再開する旨の報道がされた。
『悪いことは悪いと毅然と対処するのが大人の義務』などの励ましが書店や書店のチェーン本部に多数寄せられたとのこと。店長も何とか頑張ってみる気になってくれたとのことである。
当たり前の倫理観を持つ大勢の人が居ることに改めて安心すると共に書店に対して誹謗、中傷した者たちの猛省を促したい。                  



 
 

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