〜 失言と誤解 〜

 新潮社現代国語辞典によれば失言とは「いい損なったり、いうべきでないことをいったりすること」とある。誤解とは「意味や実体をあやまって理解すること」である。そこで例の森首相の失言問題である。

 マスコミ等で大きく取り上げられたのは「神の国」と「国体」発言である。首相と言えども一個人としてならどんな思想や信条、信仰を持とうが自由である。しかし、首相として公人としての立場では種々の制約があるのは自明の理。そして、一国の首相の発言には殆ど私人の部分は無いのである。たとえ本人が「個人として」発言しても一旦口から出てしまえば、それは首相の発言なのだ。そしてそれは時と場所を選ばない。一人でも聞いている者が居れば、それは首相の発言として伝播されかも知れないと考えるべきなのだ。

 今回の失言が最悪なのは『聞いた人の誤解』として責任を転嫁したことにある。しかし、これらの発言の論旨から見て誤解のしようが無いほど明快に自身の心情と信条を吐露しているのではないかと思わされる。それでも誤解と言い通す。(この御仁の縁はどこにあるのだろう)『嘘も百編言えば嘘でなくなる』と言うが、誤解でないものは幾ら言い張っても「誤解が解ける」はずもない。そして、その失言が機で衆議院解散とは情けないこと甚だしい。小渕さんの逝去で同情票を目論んでいた与党の諸氏も「神の国」でご破算になってしまったことだろう。

 公人、一般人、どんな人でも「口は災いの元」を肝に銘じ、誠実を以て言葉を交わそうではありませんか。政治屋に誠実を求めるのは無理、無駄の声も聞こえるが・・・・・


 

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