〜 「率先垂範」現代考 

 神奈川県警本部長の覚醒剤警官のもみ消し、新潟県警本部長の雪見麻雀、陸上自衛隊幹部の違法射撃とその隠蔽。
 この流れは一体どうなっているのだろう。
 本来は社会の規範となる人々の犯罪であり不祥事である。 教師や一般警察官のセクハラや犯罪、不祥事などもしばしば報道される。
 やはり、この人達も社会の規範となる立場にある。
 社会という概念が広過ぎるのなら組織や世間、地域などと言い換えてもいい。
 その中で範を示す責を負っているのではないだろうか。
 しかし現代では残念ながら、これらの人々を尊敬したり手本と見なす人は殆ど居ない。
 (勿論、中には尊敬でき手本となる人が存在する事は言うまでもないが・・・)
 民主党の鳩山代表などからは「嘘は警官の始まり」とまで言われてしまう。 もっとも、その政治家と言う仕事が今の日本では最も尊敬されないと言うのも皮肉ではあるが。 マァ、それはさておき先に進もう。
 「率先垂範」という言葉が有る。 自ら模範を示し行動すると言う意味合いであろう。
 それも正しい方向への模範である。
 それが近頃では組織防衛などという理由にならぬ理由で間違った方向に範を示し、下の者も唯々諾々と追従する。 諌言する者は疎まれるし第一に諌言する者が居ない。 
 警察官にしろ自衛隊員や教師にしても、その職に就いた時から間違った事を行うつもりの者は一人として居ない筈である。
 いま我々一般市民が率先垂範すべき人達に願うのは「頼むから良い事をしないまでも悪い事だけはしてくれるな」という、ささやかで情けない最低限の事であろう。
 少なくとも次世代を担う子供達に説明のつかない事だけはしてくれるな。
 ところで不祥事の当事者の面々は我が子にどのような言い訳をしたのだろうか。
  
 

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