〜 宴の後 〜

       数年ぶりに長野に行った。新幹線から降り立ち先ず驚いたのが駅舎の大変貌である。ニュースなどで見知ってはいたが、何処にでも有る駅ビルになり果てていた。以前の駅舎は善光寺を模した風情のある日本的モダニズムに溢れていた。これも新幹線と冬季オリンピックのもたらした地元への恩恵なのだろうか。

      タクシーに乗り、オリンピック施設であった「エムウエーブ」「ビッグハット」を見に行く。日曜日というのに見物客が少なく寒々としている。華やかなオリンピックの面影など一片も無い。そして、やたらと目に止まるのが大きく綺麗な多数のホテルである。以前に来たときもホテルは有ったが目を引く程ではなかった。タクシーの運転士に聞くとオリンピック目当てに建てられた物だと言う。そのオリンピックが終わり、そして観光客も去った。

      オリンピックが終わってしまえば元々が観光地の乏しい土地である。従ってホテルの受給バランスが崩れ、休業、廃業のホテルが沢山でてしまったのである。正しくは受給バランスが崩れたのではなく、本来それほど需要のある土地柄ではないのだ。休、廃業しているホテル経営者たちはオリンピック後をどう考えていたのだろう。まさか、オリンピックの短期集中時だけで大儲けが出来るとでも考えていたのだろうか。もし、そうなら何等の哲学、展望を持たない異常かつ不思議な経営感覚である。

       長野と言えば善光寺、善光寺と言えば長野である。冬季オリンピックの時のように短期集中的ではないが善光寺への参拝客は年間を通して絶えることがない。要するに善光寺の参拝者或いは長野を足掛かりにする旅行者が泊まれるだけの宿泊施設が有れば十分なのだ。そして、それはオリンピック前から宿坊、旅館、民宿、ホテルという形で既に有ったのである。善光寺界隈はオリンピック前と変わらぬ賑わいであった。オリンピックは終わるが、善光寺に終わりは無いのだから・・・
 
 
 

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