〜 揺れるプロへの信頼 〜

建造物の耐震強度書類の偽造で社会が大きく揺らいでいる。
簡単に書けば一級建築士がマンションやホテルの耐震性を計算する書類に虚偽の数字を記載して建築確認を受け、その書類を基に工事を行い、強度不足の建物が出来上がってしまったというものである。(一部は建築中、未着工)
 
本来なら、建築確認取得に最低限必要な耐震性の数値より低いのに、その低い数字を建築確認が取れる数値に嵩上げしたのだからまともな建物が出来上がる訳はない。
 
そしてここでもお決まりの責任の擦り合いが始まった。
表面は耐震性の数値を偽造した一級建築士の犯罪であるがその後ろには色々なものが見え隠れしている。
 
先ず、いとも簡単に建築士の偽造書類をパスさせてしまった民間の建築確認会社である。
この建築確認会社の内部監査で耐震性偽造が発覚したのだから皮肉と言えば皮肉だが、監査で露見する程度の偽造書類を一線の社員がなぜ見破れなかったのだろうか。
 
マスコミ等で報道される限りでは偽造書類には絶対に付いていなくてはならない承認番号が付いていなかったと言う。
こんなものは初歩の初歩で素人でも知識があればおかしいと感じる筈のものである。
ましてやプロ集団である建築確認会社が『巧妙だったから見抜けなかった』では済まされない。
 
そして実際に建築工事を請け負った会社もおかしい。
プロの目から見れば設計図段階で不自然さが分かるものと識者は言う。それが竣工または建築中である。
例え建築中であっても構造的に耐震性を保つには必要な部材やその数量、工法などで不自然さは見えてくると言う。
この辺は建設監理(施工監理)が出鱈目だったと思わざるを得ない。
 
設計図、書類審査、建設監理のどの時点でもこのインチキを見破れる余地が多々あったのに誰も何も言わなかった。
そして被害にあったのは強度不足のマンションを買った居住者、強度不足のホテルで働く人々や周辺住民である。
行政の対応も緩慢であり、当初は『民と民との問題だから関知せず』の態度であったがここへ来て公的支援も考慮との態度に変わってきた。
当然だろう。建築確認は本来は行政の仕事であり権限である。それを“規制緩和”の名の下に民間に委ねたのだから『後は知らない』では済む筈はないのである。
 
それにしても最近は人命が軽視され過ぎてはいないだろうか。
殺人や傷害と言うのが人命軽視と言うのは分かり易いが昨今は表面的には見えない人命軽視が多くなっているように感じる。
その現れが今回の耐震強度偽造事件に象徴されているような気がしてならない。
 
“規制緩和”や“経費削減”を言えば全て良い事となっている風潮が恐ろしくもある。
規制緩和の名の下に官が責任を放棄・回避する。民はコスト削減の名の下に平気でインチキ書類をでっち上げる。
他のことなら兎も角も人命に関わることで規制緩和や経費削減、コスト削減をされては堪ったものではない。
 
今回の出来事は一人の建築士に止まらず各所、各立場のプロ達のプライドの無さが起因しているような気もする。
それが設計から竣工に至るまでの間に蔓延し結果として“事なかれ主義”に陥り人命軽視へと繋がったようにも思える。
何処かの段階で、プライドを持ったプロが声を上げていれば少なくとも耐震強度不足という欠陥のある建物に人が住むまでには至らなかったのではないだろうか。
 
いまの日本ではプライドだけでは“金”にはならないが『武士は食わねど高楊枝』の気概は残っていないのだろうか。
清貧をものした本がベストセラーになったのはそんな昔ではなかったと思うのだが・・・。



 

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