文知摺観音



観音堂


多宝塔


文知摺石


【文知摺観音(もじずりかんのん)
 創建は明らかでないが、信夫文知摺観音とも呼ばれる名刹である。貞観年中(859-876)、陸奥国按察使であった源融(ミナモトノトオル)(後の河原左大臣)が、任国忍国の長者の娘虎女を愛した。やがて源融は再会を約しつつ京に帰った。再会を待ちわびる虎女は、慕情やるせなく文知摺観音に百日参りの願をかけた。失望の日々を重ねて結願も近いある日、あのなつかしい恋人が文知摺石に彷彿とうかんで見えた。虎女がかけよると一瞬でその影は消えてしまった。失意に落とされた虎女は、悶々の日を過ごし病の床に…。そこへ源融の便りが届けられた。
 「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに みだれそめにし我ならなくに」
 便りには百人一首に名高い歌が添えられていた。
 境内には文知摺石のほか、宝永9年(1709)再建の観音堂、文化9年(1812)建立の美しい多宝塔、源融歌碑・源融虎女墓・芭蕉句碑・正岡子規句碑などがある。


所在地:福島県福島市山口


検索サイトから来られた方のために contents top