小田原城跡


【小田原城跡(おだわらじょうあと)
 平安時代末期に西相模地方に君臨した小早川氏が居館として築いたことに始まるという。この小早川氏は、鎌倉時代の“和田義盛の乱”に連座して安芸へと転封となった。
 後に入った大森氏が箱根方面にまで勢力を拡大したが、明応4年(1495)、伊豆に興った北条早雲によって滅ぼされた。北条氏は、今の遺構を超える大規模な城の改修を行って、難攻不落の城とすると共に、ほぼ関東全域を手中に収める勢力拡大を図った。しかし五代氏直の時、豊臣秀吉の小田原攻めにあって落城し、関東は徳川家康のものとなった。
 のちに城は、江戸防衛の拠点として重視され、大久保氏が180年を継いで明治に至っている。城は取り壊され、石垣も震災の被害を受けたが、昭和5年公園とし開放され、昭和35年には天守閣も復元された。


所在地:神奈川県小田原市城内

復元の小田原城天守閣


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