【瀬田の唐橋(せたのからはし)】
日本史に関わりが深い橋として、日本三名橋の一つになっている。天武天皇元年(
672)の壬申の乱に際して、大海人皇子軍と大友皇子軍の決戦場となった橋で、“唐橋を制するものは天下を制す”と言われ、京へ通じる軍事・交通の要衝として幾多の戦乱の舞台になった。
橋は幾度となく破却・新設・架替を繰り返し、天正3年(1575)には、織田信長が幅四間・長さ百八十間余りで欄干付きの物を建設している。
現在の橋は昭和54年に架け替えられたもので、鉄筋コンクリート製、欄干には擬宝珠をつけ、情緒豊かな外観となっている。琵琶湖の排水川は、湖南端から流れ出る瀬田川のみで、橋の付近は近江八景“瀬田の夕照り”として古くから知らている。
また橋の東詰から500m程の所には、近江国一宮とされる建部大社がある。
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