【白河関跡(しらかわのせきあと)】
五世紀頃に、蝦夷の南下を防ぐためにつくられた関所で、太平洋岸の勿来関、日本海岸の念珠が関と並んで奥羽三関と呼ばれた。
しかし、律令制度が崩れるにつれて関所の制度もなくなり、平安時代の中期以後に廃止されてしまったらしい。ただ辺境みちのくの入口として、都の人々に親しまれ、歌にも詠まれた。
関跡の周辺は、“白河関の森公園”として整備され、文献・古図などによって諸施設が復元されて映像館もある。
「都をばかすみとともにたちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」能因
奥の細道に芭蕉の句は無いが、曽良は
「卯の花をかざしに関の晴着かな」を日記に残している。
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