賎ヶ岳古戦場


【賎ヶ岳古戦場】
    
(しずがだけこせんじょう)
 天正11年(1583)、信長亡き後の権力奪取を狙う羽柴秀吉が、織田家臣団筆頭の柴田勝家を琵琶湖北端にある賎ヶ岳附近で破った戦の跡。
 明智光秀を山崎に倒した秀吉は、その後行われた清洲会議で、信忠の嫡男三法師(秀信)を信長の後継者として推し、信長の三男信孝を後継者にとする柴田勝家らと対決することになった。秀吉が伊勢で滝川一益と対峙していたため、好機と見た勝家が滋賀に押し出し戦いとなった。この時活躍した秀吉子飼いの部下、加藤清正・福島正則ら七人による〔賎ヶ岳の七本槍〕が名高い。
 敗れた勝家は福井の北ノ庄城に逃れ、篭城戦に破れた勝家は、三人の娘(茶茶、初、お江)を城から出し、夫人のお市の方ともども自刃した。勝家六十二歳、お市三十六歳、一年間の縁であった。
 古戦場の賎ヶ岳山頂には、その旨を記す石碑があり、山頂付近まで観光リフトが通じている。山頂からは湖北の眺望が良い。


所在地:滋賀県伊香郡木之本町大音

山頂の古戦場の碑


検索サイトから来られた方のために contents top