2003年3月インタビュー
3ヶ月ぶりのインタビューです。先日は青森旅行を同行させていただき、ありがとうございました。HPにも紀行ページを載せました。「ブルー・スノウ」の舞台を訪れたわけですが、今回の旅で先生はどのような感想を持たれましたか?
楽しい旅でしたね。あらゆることが印象的でしたが、現実の風景ではなく、心象風景がそのまま残っていたことが最も鮮烈でいた。いや、と言うよりも、心象を大切にする人たちが残っていてくれたということですかね。そのせいで現実の風景がかえって眼に映りませんでした。これ以上の喜びはないです。心象を残していた人たちも僕に対して同じ思いを抱いたのではないでしょうか。人が変化しないことが、いかに尊いか、それを感じました。
それでは、心象を交えた上でどの場所が一番心に残りましたか?
合浦公園ですね。実は一度も行ったことがなかったんです。「ブルー・スノウ」の合浦公園は、想像で書きました。海があることは知ってましたが・・・。あまりにも僕のイメージと一致していたんで驚きました。こうあってほしい姿で、それはそこにありました。
そうだったんですかぁ。じゃあ、作品にある松林というのは何だったんですか?
桜や松はどんな公園にもあるものですよ(笑)
印象に残った人は?
古山と、彼と人間的な係わり合いをしている人たちですね。とりわけ古山を始めとする彼らの笑顔!それは40年前と全く変わらないものでした。そして古山が、彼と同じ笑いをする人々に取り囲まれていたという事です。これで安心して何度でも訪ねていけます。
青森高校の同窓会はいかがでしたか?先生とそこに同席したほとんどの旧友たちは、随分青森で出世して活躍している方々ばかりで、同席した私も恐縮してしまいましたが・・・。
珍しいものを見る思いでした。干からびでいなかったんです。少年の魂が風雪を経た皮膚を被っているという感じでした。心が初々しく朴訥で、普通は老いの痛々しさを感じるんでしょうが、私は清新なものに満たされました。人が年齢を超越した姿を示してくれる時、感動します。啄木は「友が我より偉く見ゆる日」と、哀切な嫉妬を表現しましたが、私の場合、こうありたい、あるいはこうあることができるかもしれないと思うような人に出会ったときは、妬みなど感じません。それどころか、魂を奪われるような賛嘆の念にみたされます。
「こうありたい、こうあることができるかもしれない」というのは、具体的にどういうことですか?
俗な言い回しで申し訳ないのですが、体が老いても精神が老いないということです。大概はその二つは比例して老いるものです。自分が老いることに諦めを抱くからです。彼らは少年のまま、自分を信頼して、精神の老いを拒否していました。素晴らしい再会の場でした。
野辺地中学校の同窓会はいかがでしたか?早速、酒の席で山田三樹夫さんと先生との卒業試験のエピーソードが出てきて驚きましたが、本当のことだったんですね。
はい、まあ、彼らは僕のエピソードをまるごと抱えて大切にしている人たちですから、同窓会というよりは、何年ぶりかで親元に帰ってきたという気分でしたね。それだけ緊張感がないので、あなたも寛いだと思いますが。
はい、先生の幼稚園時代の同級生という人までいて、思わず笑いました。
そういうことです。生まれながらの共同体という感じなんです。
先生はどの位の期間、青森で過ごしたんですか?
3歳から8歳までの5年間、野辺地中学で半年、青森高校に一年間です。合わせて6年半ですね。人生の要所要所を青森で過ごしているので、それだけ記憶が鮮やかで、出身はどちらですか?と聞かれると「青森です」と答えるのが常です。
青森高校の同窓会でも質問されていましたが、青森での一年半をどうして小説に書こうと思ったのですか?
古山に、雪について書いてくれ、と言われたこともありましたが、前にも言ったと思いますけど、僕の人格形成に決定的に影響を与えた1年半であり、希望と忍耐の重要さを知った時期だったからです。流浪の不安の中でこの二つを維持することはひどく難しいことなのですが、それを可能にしてくれた人々を描きたいと思ったんです。古山は高校時代いちばん頻繁に僕の部屋を訪ねてくれました。その時いれてくれた初めて飲んだカリタ珈琲が僕の珈琲好きのきっかけになりました。そのあと名古屋に転校してからも、また東京の大学に行ってからも何度も訪ねてくれました。おまけに青森図書館で僕の本を発見して、その時もわざわざ出版社を通じて連絡をくれました。つまり、彼は、僕を思い出に留め置かずにリアルタイムに接触を繰り返してくれた人間です。長く、しかも綿密に青森を忘れないでいられたのは彼の恩恵があってのことです。有難い存在です。今度も私が大学時代を書き終えるのを温かく見守ってくれています。3週間に上げず励ましの手紙をくれます。今回の新作「光輝あまねき」も3分の1にさしかかりましたが、その励ましのおかげで恐らくいいものが書きあがるでしょう。いや、書き上げねばならないと覚悟しています。
最後にカメラマン兼案内役の運転手を買って出てくれた亀田さんに、何か一言お願いします。
突然現れた、僕の文学のよき理解者です。初めて会う人があそこまで僕の作品を読み込んでいてくれたという認識は、これから作品を書いていく上で強烈なカンフル剤になりました。僕の机の前には「呼びかけよ」という言葉が貼り付けてありますが、その呼びかけをあやまたず受け取ってくれ、滋養にしてくれる人が確実に存在する、という証明でもありました。野辺地の同窓会でも、顔すら覚えていなかった一人の男性が、亀田さんと同じように、僕の作品を読み込んでいることを伝えて手を握ってくれました。表現の無力感や、人生の空しさを感じている暇があったら、一行でも多く書かねばならないと痛感しました。改めてありがとうと言いたいです。
今回は私も同行させてもらい、貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。
戻る