
はじめに 「裏週言」 (作成者の雑文コーナーです。)
気がつくと、1ヶ月も裏週言書いていませんでした。先生の週言がお休みに入ったのでつられしまったというものありますが、100人に1人無料で手にした、例のMP3に夢中になり、最近あまり本を読んでいないのが原因でしょうか。雑誌などの活字は読んでいるのですが、小説を読まなくなると、生活そのものに没頭してしまうようですね。思索の遊びがなくなると、余裕がなくなるんですね。久々に読みかけていた「白痴」を開いたら、全く登場人物が把握できなくなっていました。
ちょっと話しが逸れるのですが、「白痴」の主人公・ムイシュキン公爵って、通称レオンっていうんですね。映画の「レオン」ってもしかしてここからきているんじゃない?レオンももちろん名画ですが、蓋をあければ、「グロリア」のリメイク。聖書とか、古典の細かい知識を取り入れながら、古い名画のリメイクをするっていうパターンの映画が最近、とみに増えているような気がします。
ごく最近では、「チャーリーとチョコレート工場」。これは、71年の「夢のチョコレート工場」のリメイクですよね。先日ビデオ屋で借りたジム・キャリーの「ブルース・オールマイティー」という映画も「オー・ゴット」と前半部分が同じなので驚きました。「がんばれベアーズ」もリメイクされるみたいですね。
「ブルース・・・」のほうは、ついていない男の前に急に神様が現れて、不思議な力を与えるというところだけが一緒で、「オー・ゴット」のような哲学的な台詞はすべてなし。現代風恋愛映画に仕上がっていたので、リメイクとは言えないと思いますが、天下のハリウッドがパクリということもないので、世間的にはやはり、リメイクで通っているのだろうと思います。
30年前の「夢のチョコレート工場」は、ジーン・ワイルダー主演で、秘密の工場の招待を受けるために必要な、金色のチケットを手に入れるための社会の熱狂振りは、数年前のたまごっち騒動みたいで、流行に翻弄される大衆批判的要素もあるんですよね。そして、チョコレート工場に招待したわがままな子供たちとその親を処刑していくというブラックユーモア色の強い映画です。日本ではあまり知られていない映画ですが、アメリカでは有名みたいですね。いい映画です。個人的にはCG映画は嫌いなのですが、ジョニーディップは好きなので、どんな風にリメイクされているのか観てみたいと思います。
「夢のチョコレート工場」のなかで、くじけそうになる主人公・チャーリーを、洗濯女をしながら家族を支えている母親が勇気づける歌があります。その歌で必ず泣けてくるのですが、歌詞のなかに大好きな言葉があります。
「チャーリー、世界はあなたのおもちゃ箱よ」
テレビである実験をやっていた。雑種犬で、散歩中に熊に襲われたとき、主人を助ける犬は100匹中、何匹か?というものだ。結果は、3匹。これがもし、本当の熊なら間違いなくこの3匹の犬は主人と共に死ぬだろう。これらの犬は、ことの重大さが判断できない馬鹿犬なのか?それとも、自分の命をかけて忠誠を守ろうとする勇敢な犬なのか?言葉が通じない人間には犬の真意はわからない。が、わたしは後者の方を信じたい。
むかし、主人が火葬されている炎の中に飛び込んでいったという犬の話を題材に「犬は自殺するか?」をテーマに小論文を書かせるというユニークな入試問題を見たことがある。自殺という言葉は、正確かどうかはわからないが、テレビの実験を鑑みると、3%の犬は、命がけで忠誠を尽くすといえるのか。面白いなーと思いながら、いや正直に言うとわたしは思わず涙を浮かべて、画面を見守った。そして、数年前に「ディスカバリーチャンネル」というアメリカのテレビ番組で観た光景を思い出した。
アフリカなのだろうか?大草原というか、砂漠に近い荒野のなかをバッファローが群れをなして移動している。100匹は超えているような大群だ。大群の後ろから、一匹のライオンが悠然と近づいてゆく。バッファローたちはそれに気づいていない。そこに、群れから微妙に離れて歩いていた一匹のバッファローがいた。じりじりとそのバッファロー目指してライオンは近づいていく。そしてとうとう、その一匹のバッファローは、仲間の群れと、ライオンとのちょうど等距離の中間地点の位置になっていた。 殺気を感じたのか、そのバッファローは後ろを振り向いて、そして凍りついた。ライオンはいつでも飛び出して行けるように構えている。とその時、バッファローの群れのなかの一匹が後ろを振り向いた。そして数匹がつられて振り向き、大群が立ち止まり一斉に振り向いた。緊張が走る。戸惑いの数秒があったが、危険に晒されている仲間を見捨るしかないのか、一斉に前を向き、また歩き始めた。
わたしはここまで観て、自然の摂理とはこういうものだ、妙に納得していた。しかし、次の瞬間、目を疑う信じられないことが起こった。進みかけた大群のなかの一匹が、ゆっくりと反対方向に歩き出したのだ。悠然とまっすぐ、凍りついて動けないバッファローに向かって。すると不思議なことにバッファローの大群はそれに倣って、一斉に反対方向に歩き出した。驚いたのは、わたしよりライオンの方かもしれない。何度か後ろを振り返りながら、逃げるしかなかった。
物事に「こんなもんだ」とか、「仕方ない」ことなんかない。美しいことも醜いことも、何でも起こり得るのだ。情熱だ。勇敢さだ。数パーセントの熱のあるものに、周りは動かされ、不可能が可能になりうるのだ。わたしは、この光景を観て初めて気づかされた。そして、こんな単純な思いをわたしはいつまでも持ち続けていきたいと本気で願った。(05.9.28)
真の友達とは何か?定義好きの私ではあるが、正直なところ、私には定義できない。
そして、果たして自分には真の友達がいるか?これも難しい。思い当たる人物が一人だけいるが、彼女とはもう10年以上会っていない。それどころか、手紙も電話もメールさえ交わしていない。それなのに本当のたった一人の友達だと勝手に思い込んでいる。
もちろん「友達」と呼べる人はたくさんいるが、たまたま一緒の電車に乗り合わせている、もしくは一時期乗り合わせていただけの印象しかないことが多い。やはり私にとって本当の友達は誰かと聞かれたら、彼女しか思い当たらない。なぜ私がそう思っているのか?それは、一緒に笑った時間が一番多い友達だったからだろう。
彼女と初めて話したのは、中学に入ったばかりの頃で、雨の日だったことだけ覚えている。クラスは全学年に亘って違っていたが、併設の学校だったため、中学時代と高校時代と同じ部活に入っていた。お互いに背が低く運動神経が鈍かったので、お互いに補欠予備軍(人数が多くて補欠にも入れなかった)で、毎日毎日一緒にボール拾いをしていた。
部活のレギュラーになることを夢み、成績も上の方に入らないと気がすまない野心家のわたしに比べて、彼女はいつも面倒くさがりで成績もさほどよくなかったが、なぜかとても気が合った。休日はお互いの家を頻繁に行き来した。ふざけ合って、今思うとどうでもいい事で、とにかくよく笑った。
高校を卒業してからは疎遠になったが、たまに会うと、大学での勉強のことから、お互いに付き合っている男の性器の大きさに至るまで、あけすけに報告し合ったり、親に言えないような秘密も、彼女にはごく自然に言えたものだ。彼女は結構男遊びが激しかったが、「24歳で、絶対結婚して落ち着く!」の予言どおり、無事(?!)に結婚し、今は2児の母親になっているはずだ。
今思うと、彼女とわたしは全肯定の関係だったんじゃないかと思う。お互いに相手の性格を正そうとしたり、失言を謝らせようとしたり、謝ったりする関係ではなかった。わたしにとって、彼女は彼女のままでいてくれればいいし、彼女にしても、わたしはわたしのままでいい。
彼女とは、数年前に電話で少し話したのが最後だ。当時ひどくつらいことがあり、どうしようもなくなって、東京から彼女が当時住んでいた新潟に長距離電話を掛けたことがあった。真っ昼間にもかかわらず彼女は寝ていた。よほど眠かったのか、数年ぶりの電話にかからずに彼女は迷惑そうに電話をすぐ切った。他の人なら怒ると思うが、彼女を怒る気は不思議と起こらなかった。彼女は、すぐに電話を掛けなおしてきた。ただならぬわたしの声色を察したのだ。彼女だからこそ、わたしがただならぬ様子であることが電話口にもかかわらずわかるのだと、何故か思える。
もし、彼女と久しぶりに会う機会があったら、たぶん、昨日別れたばかりのように自然と意気投合するんじゃないかなという予感はある。しかしなぜか積極的に会いたいとは思わない。彼女は変わらない彼女のままであることがわかっているからだろう。(05.9.27)
HP更新が鈍い?とお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、実は、PCが壊れていました。新しいPCを購入し、そしてやっと本日復活し、更新することができました。お待たせしました!(05.9)
9月30日の「週言」に書いてあることを読んで、わたしはとても胸が痛んだ。そして漠然と、昔観た「187」という、アメリカ映画のことを思い出していた。
「187(ワン・エイト・セブン)」とは、カルフォルニア州で定められた殺人罪の条項ナンバーで、アメリカでは、殺人を示すスラングとして知られている。主人公の黒人教師・ガーフィールドは、教壇に置いてあった自分の教科書のあらゆるページに、「187」となぐり書きされているのを見て、愕然とする。それは、(成績不良のため落第点をつけられた)不良生徒からの殺人予告だった。数日後、ガーフィールドは後ろから刺され、瀕死の重傷を負う。15ヵ月後、代用教師として、別の学校に赴任するが、そこは手がつけられないほどの不良たちが、掃き溜まっているような学校だった。ガーフィールドは自分の命をかけて、たった一人の不良生徒を更正させる。
あまり知られていないが、わたしにとって忘れられない名画だ。
川田氏が受け取ったメモは、「187」とまではいかないが、理不尽という点で共通する。意見の相違があり、相手の見解を覆してでも、その人間に主張したいことがあるのなら、面と向かってなすべきで、一方的に後ろから刺したり、相手が絶対に反論できない状況で屈辱的な言葉を人に託していくなどという行動は、意見の相違を示したり、自分の見解の主張したりする、以前の問題だ。実に幼い。
先生は、作家であると同時に教育者でもある。そして、先生の扱う生徒は、高校を卒業した18歳以上の生徒が多く、浪人中ではあるが本当は、れっきとした大人だ。そういった大人の仮面をかぶった子供のために、ガーフィールドのように身を削ずるような場面が先生にもあるのかもしれない。(05.9.6)
田舎に帰省して、東京に戻ってくると、まず、気がつくことがある。それは、都会人のマナーの悪さである。
とくに電車でのマナーの悪さはひどい。駅のホームで、電車がくるまで長い列を作っていても、必ずといっていいほど、列に最初から入らず、割り込んで電車に乗ってしまう人がいる。電車に乗り込むとき、思い切り反動をつけて、ぶつかって行きながら乗り込もうとする人がいる。ぎゅうぎゅうの満員電車の中で、平然と新聞紙を広げ、周りの人の頭にかかっていても平気でいるような、まるで気付かないような、そぶりの人がいる。
また、人だかりの道で、不自然な形で人とすれ違うとき、自分の道筋や体勢を変えず、ぶつかっても謝らない人がいる。
わたし個人の見解ではあるが、こういう人の大半は、40代から50代の男性が圧倒的に多い。「近頃(ちかごろ)」の若者ではない。いわるゆるおやじ世代に多いのだ。そして、その次にマナーが悪いのは、40代から50代の女性の、おばさん世代だ。
意外に思われるかもしれないが、とかく世間から攻撃されがちな、耳ピヤス、茶髪の「いまどき」の若者は、マナーがいい。電車でちょっと肩がぶつかったとしても大抵、「すみません」の一言がある。どかっと、足を投げ出して座っているように見える男子学生も、混んで来ると足を引っ込める人が多い。
わたしは、割りこんで電車に入って行こうとするおじさんやおばさんを何度か、注意しようと思ったことがあるが、さすがに、10も20も年上のかたに注意はできない。本来なら、この年代の方々は、率先して、良いマナーを示し、経験不足の若者を道徳的に諭さなければならないからだ。
本当に情けないことだ。・・・・・・・・・・・・・・・
40年も50年も生きてきた人が、公共のマナーを知らないはずはない。人に道をゆずる、席をゆずる。列を守る。自分よりながく並んでいた人を先に行かせる。これは、当たり前のことであると同時に、人間としての美徳であり、さりげない美しさだ。人間は老いて、年々醜くなり、異性から、異性として意識されなくなる。そして、「つつしみ」というものを失っていく。なぜなら、「つつしみ」というのは、間違いなく異性をひきつける要素になりうると思うからだ。だから、電車に乗って移動できるだけの体力が残っていて、かつ容貌の美しさを失いつつある、おじさん、おばさん世代のマナー違反が顕著なのだろう。
田舎では、こういったマナー違反はまずない。熟年者が、容貌の美しさを失っていないからではない。人が少ないので、その必要性がないことと、どこにいっても、周りに知り合いが多いからだろう。東京は人が多すぎる。そして、自分を認識しない見ず知らずの他人の中で、人間の本性のようなものが剥き出しになるのだ。(05.9)
生涯忘れられない味がある。母方の祖母が訪問のたびに出してくれた味噌汁の味である。
荒浜という寂しい港町に祖母の家はあった。3代ほど続いた魚の卸しを営んでおり、その町ではそこそこ知れた富豪という趣が残っていた。女中つきでお嬢様育ちで育った母は、大学を卒業後、中卒の貧しい私生児である父と結婚し、私が生まれてから現在にいたるまでひたすら労働に追われた。家事はほとんどできない。母は自由をこよなく求めているようだ。周囲からのいろいろな批判はあるが、私は奔放で、純粋な母を誰よりも愛した。
子供のころ、夏休みや冬休みは決まって、荒浜の祖母の家に何週間にも亘って預けられていた。母と違って、祖母は料理がとても上手だった。魚屋をしていたこともあり、食事の席にはいろいろな魚料理が並んだ。丁寧にスプーンで削がれた、ピカピカに真っ赤に光るマグロの中落ち。真っ白い油がのったぷりぷりの大しゃこ。特製の粕に漬け込まれ、ゆっくり焼かれた銀だらの粕漬け。汁がゼラチンのように固まったナメタカレイ。そして必ず味噌汁が出された。どの魚もひどく美味しかったが、味噌汁の味は特別だった。
味噌は浜ばあちゃん(母方の祖母)の手作りの3年もので、いわゆる一般の味噌汁のような色ではなかった。醤油のすましのような透明感があるが、けっして薄味ではない。かといってしょっぱくもない。平たく切られた少し固めの木綿豆腐。斜めに大きめ切られたネギ。思い出せる具はそれだけだ。そして、独特なのはダシだ。濃厚で、形容しがたい味だ。生涯、あんなにおいしい味噌汁を私は味わったことがない。
そして、私は中学高校に上がり自分の学校生活に没頭していくうち、荒浜に泊まりに行く回数も減り、いつが最後だったのかこの味噌汁を食べることもなくなった。ふとしたとき、この味噌汁のことを思い出し、5年ほど前だったか、作り方を聞いてみたことがある。
「浜ばあちゃん、あの味噌汁、私が子供のときにばあちゃんが作ってくれた味噌汁、どうやって作ったの?」
「どうやって作った、って・・・・。なぁーにぃー」
説明できないようだ。なにが特別なのかわからないようだ。
「味噌はばあちゃんの手作りだよね」
「んだ」
「だしは?」
「ベロだ。(手で小判ほどの空間を作ってみせて)ベロを、干すんだ。それをダシにしてたんだ。」
「ベロ?ベロってなに?」
「ベロは、ベロだ」
「・・・・」
それで会話は終わってしまった。のちに知ったのだが、ベロというのは、舌平目のこどものことみたいだ。舌平目??高級食材だ。わたしは再現するのをすぐに諦めた。
この夏、実家に里帰りした際、糖尿の末期で両足切断したという、浜ばあちゃんの入院する病院を訪れた。ちょうど、透析を受けている最中だった。もう、ほとんど口もきけない状態だった。(私は毛布に隠された、その足をもちろん見ていない。子供のころ、よく祖母の足の爪を切ってあげたものだった。)私ははじめて透析というものを見たが、真っ赤な血が長いぐるぐる巻きのストローのようなもので巡回し、機械を通してきれいにして、体内に戻すのだそうだ。とても見ていられなかった。それでも、私が祖母のもとを見舞ったのは、どうしても、あの味噌汁のことを聞いて、
「あんなにおいしかったものはなかった」
と伝えたかったからだ。とうとう私は何も言うことができなかった。
そして私は、いつか訪れるだろう母の死を意識した。
「一人死ねば涙を落とし、また一人死ねば老憊の胸を痛める」っか。先生が書く詩は、真実ゆえの残酷さを兼ね備える。
大隈商店街をすこし抜けたところに、「こけし屋」という甘味喫茶がある。学生のときは知らなかった店だ。先日図書館で調べものがあり、その帰り道で、ふと目にとまった。
『こんなところに、甘味喫茶があったか・・・・。あんみつでも食べて帰るか・・・。』
がらっと引き戸を開けると、おかみさんの、
「いらっしゃいませ」という声とともに、巨大なすっぽんのような亀が出迎えた。出迎えたといっても、入り口のすぐ左り前に巨大な水槽が二段に重なっており、扉に向かってひらひら泳いでいるといった具合だ。下の水槽にも同じような巨大亀がゆったりと泳いでいる。身の丈50センチはあるようだ。
入り口をはいったとたんまず、驚いた。
「うわっ。驚いた。(怖ーっ。)」
私は思わず声を上げていた。
なんとなく、女将さんはむっとしたようだった。歴史を感じさせるこじんまりとした店で、古いながら清潔感がある。わたしは手書きで書かれたメニュー表を見上げ、「白玉あんみつ」を注文した。
客は私一人だけだ。店内は、すっぽんのようなものが、ぴちゃぴちゃ音を立てる音、天井にくくりつけられたテレビの小さな音のみだ。しばらくして、大きくてもっちりとした、手づくりの白玉が、3つほどのったあんみつが出された。おいしい。
白髪の上品そうな老婆が入ってきた。彼女は、慣れた様子で山菜ピラフセットを頼んだ。とても、いい匂いが漂ってきた。
『いい店だな。ピラフなんかも出してるんだ。まさか、すっぽん料理も出してるわけじゃ・・・??』
女将さんはおばあさんにピラフを出すと、仕事が一段落したようだった。
「あのー。これって、(わたしはうしろを振り向き、水槽を指差した)すっぽんですよね。亀ですか?」
女将さんの顔が一瞬にして明るくなった。
「ああ、『すっぽんもどき』っていうの。南米の方の生き物でね。水槽を年中温かくしとかなくちゃいけないから、大変なのよ」
「食用じゃないですよね」
「まさか。ペットよ。ペット」
女将さんは愛情深げに水槽を見つめた。もう、13年飼っており、最初は、手のひらにのるほどの大きさだったそうだ。
「お腹が空いてるときなんて、大変なのよ。ばしゃばしゃ暴れちゃって。そこらじゅう水浸しにしちゃうんだから・・・。ねえ、レナちゃん。ばしゃばしゃしてごらん」
と、女将さんは言って、水槽のガラスをパシパシ叩いた。
『まさか、うそだろ。すっぽん(亀?)に人間の言葉が通じるわけないだろが・・・』と思ったとたん、レナちゃんは水面まで上がると、バシャバシャっと、水しぶきをあげた。
「うっそーーー!!」と私は声をあげ、山菜ピラフを食べていたおばあさんも、思わず声をあげて笑った。
「ほら、下のレナちゃんも・・・・」
下の水槽にいるすっぽんもどきも、同じようなアクションを起こした。すっぽんと、人間が交流できるなんて。。。
「水槽のすぐ前の席に座ったお客さんは、じっと見られてるようで、落ちついて食べれないなんて言うのよ」
なるほど、2匹とも、進行方向を変えて、水槽の側面から、じっとこちらを見ている。どうも、この2匹は人間が大好きなようだ。そばで見てみると、とっても可愛い顔をしている。とくに、下のレナちゃんは、目が、くりっとしていて、愛嬌がある。水槽をかすかに叩くと、さっきより遠慮した勢いで、ピチャピチャと応えた。
店の入り口の扉を開けたとき、上のレナちゃんがこちらに向かってくるように泳いでいたのは、どうもすっぽん(もどき)なりに、『いっらっしゃいませ』という気持ちを表していたのだろう。上のレナちゃんのほうが、頭がいいようだ。
また早稲田に行くことがあったら、レナちゃんたちに会いに「こけし屋」を訪れ、その時は、山菜ピラフを食べてみよう。(05.8)
わたしは、結構ラジオが好きだ。台所仕事をするとき、掃除をするとき、ラジオをかけながらだと仕事がはかどる。ラジオをかけながらお風呂掃除をしていたときのことだ。
『♪・・・・いやー。本当に当たるんですね。ビックカメラの100人にひとりタダ! というの。当たりました。ずっと欲しかった4万円のデジカメなんですが、・・・・・♪』
耳に飛び込んできた。
TVコマーシャルを観たときは、「うそぉだぁろうーー」なんて勝手に思っていたので、
「へぇー。ラッキーな人もいるもんだ」なんてひとりごちた。
数日後、私は前から欲しいと思っていた、MP3をとうとう買いに行った。出不精のわたしだが、なぜか、足は池袋にあるビックカメラに。。。ラジオでの話が頭に残っていたからだ。電化製品を買うときは、価格.comで製品の底値をチェックして、ネットで買うのが常だが、なんとなくすぐ手にしたい気分だった。
MP3といっても、使い方はわからないし、どのメーカーを買ったらいいかわからない。店員さんは忙しそうだ。声をかけてくれない。わたしは、20,30分商品の前に佇んでいた。とその時、直下型の意外と大きな地震。こんな都会のど真ん中で、しかもこんな狭いビルの4階で・・・。怖っ! いつもは、こんなとこに来ないのに。ついてない。。。でも地震はどうにかおさまった。それからわたしは、店員さんをやっとつかまえ、いろいろな話を聞いて、手ごろな値段の使いやすそうな商品を見つけ、レジに立った。
レジ店員に、クレジットカードを渡したあと、(ビックカメラの会員になると、10パーセントオフになるというので)書類に記入していていた時、遠慮がちな鈴鐸の音が、一回だけ「カラン」と鳴った。「なんだ?」地震の影響で、どっかの非常ベルでも鳴ったか?? 私は、あたりを少しだけ見渡して、また記入に戻った。なんとなく、周りが自分を見ているような気がする。
「(もしや、誰か)当たったんですか?」
と私は店員に聞いた。
「はい」
それきり、何も言わない。そして、横の店員に、「あの、クレジットカードのときは、・・・・・ですよね・・・・・」なんて、ごそごそしゃべってる。わたしは記入が終わり、
「あの・・・。もしかして、わたしじゃないですよね・・・」
横に立っていた客から、笑いが洩れた。
「・・・あなたなんですけど・・・・」
「・・・・・・・・・・(やったー! うっそー! 信じられない。もっと派手に。なんか、あるだろー。『おめでとうございます! 大当たりです!』のバンザイとか、『カラン、カラン、カラン。当たりました! 出ました! バンザーイ!』とか、やってくれよー。これじゃ地味すぎるだろーー)」
と思いながらも、わたしは真っ赤になり、
「あの、ラジオで聞いて・・・・。ラジオで当たった人の話をやってて・・・それで、わたし・・・・」
「ここに、サインしてください。クレジットカードで通してますので、これ、現金です」
「・・・・。ありがとうございます!」
ともあれ、くじ運など縁がないと思っていたわたしだが、1%の確率で、念願だったMP3をタダで手にいれた。麻雀なんかもそうだが、本当に無欲の極致に精神状態が至ったとき、このような僥倖が舞い降りてくる。わたしは、お守りとしてこのMP3を大切に使おうと心に決めて、池袋を後にした。
先日、とってもいい評論にめぐり合った。憲法学で著名な長谷部恭男先生が、ミラン・クンデラ著「小説の精神」と、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を紹介する「ドン・キホーテの夢」という評論だ。最近、漠然と考えていたことを、明確な、逃げのない言葉で表現してくれた文章にわたしはカタルシスを憶え、そして救われたのだ。
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まず、長谷部氏は、「小説の精神」から次の箇所を引用した。
「かつての神は高い地位から宇宙とその価値を統(す)べ、善と悪とを区別し、ものにはそれぞれ一つの意味を与えていましたが、この位地からいまや神は徐々に立ち去ってゆこうとしていました。ドン・キホーテが自分の家を後にしたのはこのときでしたが、彼にはもう世界を認識することはできませんでした。至高の「審判者」不在のなかで、世界は突然おそるべき両義性のなかに姿をあらわしました。神の唯一の「真理」はおびただしく数の相対的真理を共有することになりました。こうして近代世界が誕生し、と同時に、近代世界の像(イマージュ)でもあればモデルでもある小説が誕生したのでした」
そして、長谷部氏は次のように語った。
<人は、『遠山の金さん』に描かれるような、「真理」が何か、「善」と「悪」が何かが、一義的に定まった分かりやすい世界を望む。それにもかかわらず、真理や正義の多元性を事実として受け入れざるをえないところに、近代人の苦悩がある。それを直視する精神にとって可能なのは、小説である。
・・・・ドン・キホーテは、いつも自信満々である。その場その場でとるべき行動に迷いはない。ただ、それらの言動がはたしてそれとして前後首尾一貫しているか、また、周囲の人々の「常識的」視点と一致しているか否かに疑いがあるだけである。・・・・・・
死に至るまで遍歴の騎士としての夢から覚めることのない(覚めていない振りをする)ドン・キホーテは、「自己実現」を求める多くの近代人にとっての理想の生き方であろう。たとえ、それがどんなに成果に乏しく、かつ、はた迷惑なものであろうとも。あれほど迷惑がっていたサンチョ・パンサも、死の床のアロンソ・キハーノに、再びドン・キホーテとして遍歴の旅に出るように懇請している。彼も、ドン・キホーテに、そしてドン・キホーテに仕える彼自身の役柄に没入していた。
この世には、何ごとにも判断がつかず、自分の迷いの中に引きこもって、たまに噴出する場当たり的な言動で人を傷つけて回るハムレットや、何ごとにも自信満々でいながら、少しカメラを引いた視線からみると、変テコリンではた迷惑な言動の遍歴しかみえないドン・キホーテに満ちあふれている。唯一の真理がおびただしい数の多様な真理に分解し、互いに比較不能な真理として対峙する近代世界の迷路の中で主役を演じるのは、こういた人々である。彼らの言動を冷ややかに観察し、ときには迷惑がってみせるホレイショやサンチョ・パンサではない。>
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私は、5,6年前に岩波からでた新訳「ドン・キホーテ」(ハードカバー上下2巻本)を入手してはいるが、まだ読了していない。内容が濃くて比喩的表現も多く、どの一行も見逃せないすごい本だ。でも、これを一度は全部目を通してみたい。たぶん、わたしの頭では、一度の読了では半分もセルバンテスの意図や苦悩を読み取れないだろう。そんな気がする。
ドン・キホーテであれ、その対極の行動をとっていたハムレットであれ、一つの「真理」を信じ、めざして向けられたベクトルは同じだ。近代社会の思想的自由という安全な傘の下で、多義的なそれぞれの真理をそれぞれ肯定し、また肯定され、批判されることも、心からの同調もなされないまま、それぞれの真理は、それぞれの自身の中で完結していく。自己実現のための唯一の真理にむかったベクトルがないからだ。自己実現のためには、正しいものとは何か? を求める苦悩や葛藤が必要条件だとわたしは信じている。そして、前回、わたしは、数の勝利の概念を用いて、こういった人々こそ幸福な主役で、真理(おいしいもの)を求めようとする輩こそが脇役である、と同義のことをいったが、長谷部氏の言は逆に「唯一の真理がおびただしい数の多様な真理に分解し、互いに比較不能な真理として対峙する近代世界の迷路の中で主役を演じるのは、こういた(唯一の真理を求める)人々である」と、純粋に述べていたから、素晴らしいと思ったのだ。
むりやりに旅の同行をせさられ、従士にさせられた農夫サンチョ・パンサは、ドン・キホーテの(外面上)めちゃくちゃな言動をひややかに観察し、迷惑がっていたが、ドン・キホーテの死後、サンチョ・パンサ自身が、ドン・キホーテとして遍歴の旅に出ることを決める。脇役が、世界の主役(中心)に転じたわけだ。主役というのは、この場合、まわりより目立つと言う意味ではない。心のベクトルの問題なのだ。
川田氏は、「誘惑」だったと思うが、次のように書いている。
「ぼくは、世界に属している」と。漠然としていたものが、なんとなく明るくなったような気がしてきた。
わたしもいつの日か、サンチョ・パンサになれる日がくるのだろうか・・・。
太宰治を語るのは、クラッシック通の間でショパンやラフマニノフを語るのを恥ずかしがるように、読書家の間では、気恥ずかしい要素があるようだ。太宰は、個々人のある時期に、(密かに)熱狂的に支持されるが、大人になるにしたがって見捨てられる。そして、太宰に入れ込んでいたことを隠したくなる。太宰は不思議な作家だ。本当に太宰文学は、青春の文学なのだろうか。わたしは、正直なところ疑問だ。
太宰は「桜桃」のなかで自分の作品を「おいしい奉仕」と言っている。
そして、「如是我聞」の中の異色な文章を、私は忘れることができない。
『人生とは、ただ、人と争うことであって、その暇暇に私たちは、何かおいしいものを食べなければならないのである。ためになる。それがなんなんだ、おいしいものを所謂「ために」ならなくても、味わはなければ、何処に私たちの生きている証拠があるのだろう。おいしいものは、味わわなければいけない。味わうべきである。しかし、いままでの所謂「老大家」の差し出す料理を、何一つ私はおいしいと感じなかった。何がおいしくて、何がおいしくない、ということを知らぬ人種は悲惨である。おいしさ。舌が荒れていると、味わいがわからなくて、ただ量、或いは、歯ごたえ、それだけが問題になる。せっかく苦労して、悪い材料を捨て、本当においしいところだけを選んで、差し出上げているのに、ペロリと一のみにして、これは腹の足しにはならぬ。もっとみになるものがないか、いわば食欲に於ける淫乱である。わたしには付き合いきれない』
そして、驚くべきことに、ニーチェも「人間的、あまりにも人間的」のなかで、同じようなことを言っている。
『芸術的天才は人々を喜ばそうと思うが、彼がはなはだ高い段階に立っているならば享受者を失いがちである。彼はご馳走を出すが、人々はそれを欲しないのである。このことは事情によっては滑稽で感動的なパトスを彼に与える。なぜなら、畢竟彼には人間たちを強いて楽しませる権利がないからである。彼の笛は鳴っているが、誰も踊り出そうとしない、これが悲劇的でありえようか。おそらくありえよう。―
結局のところ、彼は不足の賠償として、他の人間たちがあらゆる他の種類の活動に際して持つ以上の満足を創作の際に持つのである。彼の嘆きは高く、彼の口が多弁であるがために、人々は彼の苦悩を誇張して感じる』
フローベルは、芸術的真理を国家が決めてくれたらよいのにと、ぼやいた。価値の多様化が叫ばれる現代、その多様性ゆえ、独自の価値判断を吐露する人は少ない。おいしいも、おいしくないもない。どんなものにもそれなりに価値があるのだという無気力で無難な意見を批判する誠実な人も少ない。「何がおいしくて、何がおいしくないか、ということを知らぬ人種は悲惨である。」と太宰は言い切っているが、現代の大衆社会における、数の勝利から言えば、何がおいしくて、何がおいしくないかということを知らぬ人種は、幸福なのかもしれない。
一念発起して、子供のころに習っていたピアノを習い始めてから早や1年半が経った。キャーキャーさわぐ子供のことを気にして、ピアノの先生はいつも私に謝るのだが、無邪気な小学生たちに混じって待合室にいるとなんだか落ち着く。
大学の頃から、ショパンが好きだった。特に、ノクターンの最初の曲、op.1no.1が好きで、いつも聴いていた。夜想曲とはよく言ったもので、夜中のショパンは最高だ。雨の日のショパンもいい。いや、よく晴れた夏の日も。とにかくいつ聴いてもいいってことか。。。そして、とうとう、自分で弾いてみたくてたまらなくなった。何年かかるかわからないが、この曲が私の最終目標だ。その時のために楽譜も購入した。
そしてそんな気持ちに追い討ちをかけた映画は、シャーリー・マックレーンの「マダム・スザーツカ」。私のピアノの先生は、スザーツカほど厳しくないが、風貌はよく似ている。そして、どんな曲を弾かせても素晴らしい。先生だから当たり前かもしれないが、この人は特に、何かの不幸で、または何かの事情があって、プロのピアニストにならなかった人なんじゃないかなと思わせるほど、ピアノのタッチに才能を感じる。どんなに簡単な曲も侮らない。その指さばきは、まるでたこが鍵盤に吸い付くようだ。滑らかで、手と鍵盤が一体化しているのだ。
年は、50を越えているかもしれない。飾り気がなく、いつもノーメイクだ。そして、いつもピアノの上に置かれている黒のエナメルのパック。どう高く見積もっても5000円しないだろう。私はそんな先生が大好きだ。。。芸術を愛するこころが、自然と彼女の顔を引き締め、優雅なたたずまいを作り上げてしまっている。そんな人に、念入りの化粧や、おしゃれな洋服や、高価なパックは必要ない。真の自信とはそういうものかもしれない。そして、これこそ芸術を志す人の本当の姿だ。
旅というのは意外と滑稽なものだ。住んでいるところから遠く離れれば離れるほど、旅行者はなにかロマンティックな期待をしがちだが、このご時世、どこに行ってもたいてい街の喧騒は同じようだし、その土地の名物は大しておいしくない。だから私は旅が嫌いだ。しかし、そんな私にも、思い出深い旅のひとコマがある。
運転免許を取ったばかりのころ、新車も手にいれ、日帰りで那須高原に出かけたことがある。お目当ての温泉は日曜日ということもありイモ洗い状態。私は10分ほどで上がってしまい、連れは、混んでいるのを嫌がって入らなかった。せっかくなので、おいしいご飯でも食べて帰ろうということになった。那須高原からイメージするランチ。。。ちょっと洒落た店でフレンチかイタリアンを漠然とイメージしていた。そして搾りたての牛乳なんかを飲んでと・・・。しばらく車を走らせたが一向にそれらしい店はない。仕方なく、車が停めやすい広い駐車場の蕎麦屋に入った。
なんとなく薄暗く、陰気くさい店だった。「いらっしゃいませ」の一言もない。座敷に上がり、メニューが来るのを待つ。窓は埃で薄よごれている。10分ほどたってやっと水が出された。なんなんだ。ここは。私たちより先にいた4,5組の客はあくびをしたり、あらぬ所をみたりと、待ちくたびれている様子だ。怖い形相で、厨房あたりを睨み付けているおじさんまでいる。私は、トイレに立ち、厨房を覗くと、40,50代の割烹着に三角巾姿のおばさんが、3人ほどで立ち働いていた。一般家庭の台所みたいだった。
それから、待たされること、さらに30分。出された水もすっかり空になったころ、
「お待たせしました!」と一斉に出された。
私たちは天ぷらうどんだった。しろうと臭い小さめのどんぶりに盛られた、なんの変哲もない天ぷらうどん。どちらかと言えばまずそうだった。しかし、つゆを飲んだ瞬間、「おいしんぼ」さながらの閃光が走った! かつおと昆布だしの何ともいえないやさしい味。
「おっ、おいしい・・・・」
めんは細めんの明らかに手打ち! 切り方はまばらだが、ほどよい固さだった。のせられた天ぷらは、たまねぎとごぼうと人参だけの、野菜天ぷらだったが、脂っこくもなく、焦げすぎてもいない。
『やるな。おばさんたち・・・。ただものじゃない』
それは、本当にやさしい味というのが、ぴったりの、心のこもったうどんだった。完食、そして、汁は一滴も残さず、完飲。大満足だった。
まわりも、しーんと水を打ったような静けさで、一心不乱に食べていた。そして、どんぶりを空にしていた。怖い形相だったおじさんも、帰る頃には、ニコニコ顔で
「ごっつおさーん」と機嫌よく帰っていった。
お見事!
この出来事は、数年たった今でも、連れとの語り草になっている。
私がこの世で一番怖いと思っているもの。それは、ゴキブリだ(この文字を見るだけで正直、鳥肌が立っている)。この世で、こんなに気持ち悪く、そして頭のいい虫はいない。水の中で泳ぐことさえできるのだそうだ。そして、彼らは湿気があり、なま温かい梅雨が大好きだ。だから、この時期になると私は、ちょっとした影が動くだけで、悲鳴を上げながら料理をしたり、食器を洗わなければならない。これがどんなにストレスか・・・。ゴギブリ嫌いの方はおわかりだろう。これは、深刻な話なのである。。。彼らがいかにすごいか、恐ろしいか。彼らの伝説をお話しよう。
私は上京して初めて、ゴキブリ(以下ゴキとする)というものを見た。大学に入学し、上京したばかりの私は、あまりにも無防備だった。築30年以上経つ古い家の離れの1階に暮らしていた。大学から帰って、楽しく一人でうきうきと、(コンビニのお弁当の)夕食を食べようとしたしたその時だった!古い畳の隙間から、真っ黒い身の丈6センチほどのゴキが、体を薄っぺらにしてバサッっと現れたのである!これが最初の出会いだ。
この世のものとは思えないほどの素早い動き。そして移動。
「ギャー!」
と私は、渾身の力をふりしぼって声を上げていた。すると、廊下へ続く部屋の入り口近くの、かまちでゴキはピタッと動かなくなってしまった。そのかまちは古い黒茶けた木でできており、その色に自分を同化させたつもりなのだろう。これでは、部屋を出ることもできないではないか。。。それから数分たったが、まったく動く気配がない。私は懸命に考え、そのゴキを見つめることをやめた。全くいないかのように、あらぬ所へ数分顔を向けていることにした。すると、案の定、数分後、そのゴキはいなくなっていた。
「よかった。これで、部屋を出れる」
と一安心し、戸のほうへゆっくり向かうと、な、な、なんと、ゴキが、戸と廊下のわずかな段差(2センチほど)のところで、垂直に体を横にして隠れているではないか。これでは、跨げない。。私は、仕方がないので、裸足で窓から外に出、庭から大家さんの玄関へ行って助けを求めた。お風呂に入っていた大家さんを待って、一緒に私の部屋に入ってみると、もうどこを探しても見当たらなくなっていた。それから、ゴキブリほいほいや、コンバットといったあらゆるものを試したが、一匹としてそんな罠にひっかかるようなヤワなゴキはいなかった。
大学を卒業し、就職した私は、すこし広い部屋に引越ししたものの、築年数の新しいマンションには引っ越せなかった。私はやはり貧乏生活だった(T_T)。たまにゴキが出現するたびに、大声をあげながら、部屋を飛び出し、しばらく家には帰らないか、台所には決して入らないようなネガティブな夏の生活が続いた。
その日はたまたま、人が家に遊びに来ていた。天井近くの壁、床から2メートルぐらいところのに、またしても巨大な真っ黒いゴキが張り付いているのを発見。悲鳴をあげながら、その友人に助けを求めた。友人は笑いながら、
「大丈夫、大丈夫」
と言って、そばにあったママレモンを手にすると、そのゴキ目掛けて発射! その人もゴキが嫌いなのか、到底届かない距離からの、へっぴり腰の姿勢だった。プスっという、空気が抜けたさびしい音が漏れただけだった。しかし、しかしである。な、な、なんと、絶妙のタイミングで、ゴキが、壁から剥がれ落ち、食器棚の影に落ちたのである。まさに死んだふり。寒気が全身を駆け巡った。
それからしばらく、そのゴキは出てこなかった。あれは夢だったのかと思っていた頃、ゴキは姿をあらわした。ちゃんとこの家で生きていたのだ! 冷蔵庫の下からおもむろに、いや、すばやく現れた。私がめちゃくちゃな悲鳴を上げると、またまた遊びに来ていた(今度はゴキジェットを買ってきた)友人が、すばやくゴキジェットを手にし、噴射した。『ゴキブリはイチコロです』という広告宣伝むなしく、なんとそのゴキは、逆ギレ!! 友人目がけてまっしぐらに飛んでいった。(この世のものとは思えないほどの、それは恐ろしい、恐ろしい光景だった)友人は、とっさにゴキジェットを振り捨てると、すばやく駆け逃げて、ガラスの戸をガラッと閉めた。閉めたのと同時、ゴキはガラス戸に激突!! ゴキジェットの毒ではなく、自分がガラスにぶつかった衝撃で、即死したのだった。
これが、私が体験した、スーパーゴキブリ(人間世界で進化した毒の効かないゴキのことをそう呼ぶのだそうだ)の伝説である。それから、懸命に調べた末、ゴキが、ハーブやラベンダーの匂いが大嫌いだということがわかり、この時期になると私は部屋中に、アロマオイルの原液を至る所に振りかけている。その甲斐あってか、昨年からゴキは一向に姿を現さない。
最近、15歳が引き起こした怖い事件が続発しているようで、雑誌やラジオ等で「15歳」をキーワードにいろいろな角度からクローズアップされているらしい。しかぁし、川田作品愛読者の訪問者はもう、お気づきですよね。遅いんですよ。「15歳」に注目するのが・・・。と私はあえて言いたい!
「牛巻坂」上梓から早12年。川田氏はやはり早かった。12年前のその当時は、この作品について「早熟、早熟」とやたら言われてたんですから。
「牛巻」の主人公、純一やヤスオを中心に描かれる「15歳」の世界。
親友の寺田ヤスオは、
『金はな、好きなやつのために、いますぐ使ってはじめて金や』
と言い、猥らな写真を取り出し、
『バカヤロが。みんなこうやってうまれてくるのによ。かっこつけてんじゃねえよ』
とひとり憤ったりする。そして純一は、やくざとの交流、年上の女との恋愛事件。この早熟の15歳たちは、世間の「大人」が認識しているほど「子供」じゃないと言っているかのようだ。
たしかに自分が15歳の頃を思い出すと、外見こそは成長し、自分でお金を稼ぐ身分にはなりはしたが、内面的にはそれほど変わっていないのに驚く。いや、それどころか、純粋で希望に満ち、正義を信じようとしていた(裏返すとこれこそが、経験不足とか、甘いとか、言われる点かもしれないが)大人らしい精神世界を鑑みれば、年老いた自分は、妥協、妥協の生活で、逆に、ある意味では子供がえりしていると言ってもいいかも知れない。
産業革命以前、「子供」という概念はなかった。「小さな大人」と言われていた「子供」たちは、「大人」としてその体格に応じた労働を割り当てられていたという。それが、どうして産業革命をきっかけに「子供」という概念が生まれたのか、その詳細は不明だが、「金」が絡んだ労働階級の生活様式の変化が関係していることは間違いない。「子供」は、世間が「大人」だ、と認めるまでの猶予期間をいつの間にか与えられたとも言える。そして、現代、その猶予期間はますます延びつつある。
「子供」は、「大人」になるまでに、「大人」に養われながら十分遊び、勉強に没頭することが許される立場になった。そして大げさに言ってしまえば、「子供」たちは、その代償に「大人」に対する尊敬、服従を強いられる形になった。つまり、「子供」という概念が誕生したと同時に、「子供」から尊敬される、または自分とはちがう他の個人でもある「子供」に服従を強いる「大人」が誕生したとも言える。
難しいことに、この尊敬と服従は自然になされなければならない。「大人」たちは、自分を介して、将来確実に「大人」になる「子供」たちに、そのビジョンを示さなければならない。これは、物質的なことでは解決できないだろう。養われているから、という理由では不十分だ。
「金」がからんで、「子供」の概念が確立されたはずが、その「子供」から、自然に尊敬され服従の念を受けるためには、精神的要素が大きく絡むというのは、実に皮肉な末路だ。
「子供」たちが、精神的に「子供」というさなぎの殻を脱ぐ時期は個々人さまざまだが、一般的に15歳という年齢は、ちょうどその過渡期にあたる。それでもまだ「子供」として扱われる脱皮したばかりの「大人」たちは、きのうまでの従順な「子供」とは一変し、服従から逃れようとし、まわりの「大人」たちに反感を抱き始める。つい最近まで、「子供」を服従させ、無条件に尊敬されていた「大人」たちは、その特権を速やかに棄てなければならない時期を迎えることになる。
そして、「子供」たちを正当に脱皮させられるかどうかは、これまでの「子供」への下賜された愛情より先に、「子供」が脱皮するまでの「大人」たちの真剣な生き方そのものが関係してくるように思えてならない。
和田芳恵という作家をご存知だろうか。一時期、川田先生が「雪女」という作品を推薦図書として薦されていたが、私は、聞いたこともない作家だったので、なんとなく入手しようとしないままでいた。また、「雪女」という題名から、昔ばなしのリメイクなのだろうと思い、興味が惹かれなかったからでもあった。しかし、たまたま、数年前に和田芳恵の「暗い流れ」という単行本が古本屋で投げ売りされているのを見つけ、
「あれ、和田芳恵って、確か・・・」
と、なにげなく購入した。
その本は、なんていうこともない、一次大戦中の出来事や、関東大震災の出来事など、大正時代を背景にした、淡々として、静かな自伝的・私小説風作品だった。ストーリというストーリーもないな、という感じでゆっくりと読み進め、そして静かに読み終えた。
しかし、それから数年も経つのに、不思議に心に残る作品の一つになった。忘れられないのは、性描写のうまさだ。夏の真昼。主人公の少年が、知人のおばさんの家を訪ねて庭に入っていくと、縁側の障子が少しだけ空いていて、そこから、真白い足袋が見える。近づいていくと・・・。障子を透かしてみる静かな性描写。私は、不思議な恍惚感に満たされ、このイメージがこのまま、その作品のイメージとなった。いい作品だと思った。
それからしばらくして、とうとう、私は、「雪女」に出会った。講談社から最近売り出している文芸文庫の中にあった。「おまんが紅」という短編集の一部だ。数十ページのとても短い作品だ。これも時代は大正。生まれつき足が悪いため、兵隊試験に丙種不合格になった主人公は、あるお寺にはんこ職人として奉公に出る。しんしんと雪が降る中、里帰りした主人公を出迎えたのは、幼なじみの女。まだ足の付かない新鮮な雪の上に、おもむろにその女が仰向けに人型をつける。それだけの話だ。なんとも言えない不思議な高揚におそわれ、こんなすごい名作があるんだと驚いた。こういう機微は、おそらく日本人にしか感じられない感覚だろう、とも思った。調べてみるとこの作品は、和田芳恵が亡くなる数ヶ月まえに上梓され、死後一年後に第5回川端康成文学賞を受賞していた。(ちなみに初代受賞者は上林暁)。死後とは言え、このように、一見地味だが、いい作品がきちんと評価された一時期もあったということだ。
最近、こんなメールをいただいた。
「世の中という呪縛のないところで、川田氏は書き続けてきたのではないでしょうか。彼の心のありようは、時の権力や社会、時代の中で、芸術との関わりに自分を失うことなく対峙した作品を書いていくことに向かっているのではないでしょうか。彼の「生」を見据えた優しさと、それゆえの反骨に、ぼくは賛辞を送り続けます」
というものだ。『「生」を見据えた優しさ。そして、それゆえの反骨』という言葉を読んで、わたしはしばらく考えに耽った。・・・「反骨」。なつかしい厳しい言葉だ。そして、優しさと反骨。一見すると相反する言葉のようにも思われる。
川田作品は死を扱う作品が多い。「無物語」の死からの生還。死刑というかたちで、他から死を余儀なくされる「夜を渉る」。自発的に死にむかっていく「風と喧騒」。「ブルースノウ」の若い少年の死、父の成熟した死。そして「光輝あまねき」。。。この数々の死の表現で、死という闇を(作品において)昇華した読者は、潜在的に「生」を逆照射する形になり、読み手(自分)の若々しい、もしくは成熟した「生」を浮き立たせることができるのかもしれない。もっと噛み砕いて言えば、生きている自分を実感してしまう。「こう生きる、ああ生きる」、「こう生きるべき、ああ生きるべきじゃない」という教訓じみたことではなく、ただ単に、「生」の根本を見つめ直すと言ってもいいか・・・。きっと、この「根本」というところに「優しさ」ということばの真意が隠されているように思えてならない。
「生」の根本を見つめ直すこと、言い換えれば「生」の全肯定だ。もし、これが他人に向けられるとすれば、友情とか、愛といった言葉に置き換えられる。しかし、その前に、この全肯定は自分に向けられなければならない。わがままや、自分可愛さというのではない、自分の生の全肯定、これは、とてもむずかしい。「LET IT BE」ではますます違う。「LET IT BE」の概念は、愛する他に対するもので、自分に向かってしまっては、精神的怠惰というものだ。「所詮人間はこんなもの」なんていうありきたりな大人の意見だ。きっとこの葛藤が、反骨の精神に結びつくのだろう。
他に対するあるがままの全肯定、これがきっと「優しさ」なんだろう。そして、自分の「生」の根本を見つめなおそうとする甘えのない葛藤、これが厳しい「反骨」なのかもしれない。
何かの行列にならんでいる。ふと振り向くと、浜ばあちゃんだった。母方の祖母だが、海の近くに住んでいるので、子供のころからそう呼んでいた。
「はまばあちゃん!?どうしたの?」
何故か、ばあちゃんの背は私の腰ぐらいしかない。ばあちゃんは、私を認めるとニッコリ笑って何も言わなかった。そして、私を追い越してトコトコトと歩き、私が前のドアを開けてあげると、そこはトイレで、浜ばあちゃんは洋式の便器に座った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
ばあちゃんと並んで、トラックがいきよいよく行き交う幹線道路を、もくもくと歩いている。働く母の変わりに育ててくれた父方の祖母、(フミ)ばあちゃんだ。道のむこうは大きなカーブになっており、その先は秋葉原のようなビルがいくつも聳えている。どうもそこを目指しているようだ。帰りは、奮発してタクシーに乗せて上げるんだ。と決心する。
・・・・・・・・・・・・・・・・
二つの夢はそこで終わっている。どれも鮮明すぎて忘れられない。浜ばあちゃんは糖尿の末期で、最近両足を腿のあたりで切断した。いつ亡くなるかわからない状態だ。
そして(フミ)ばあちゃんは、今年の正月に病院で一人で死んでしまった。私は、里帰りしていたにもかかわらず、結局死を看取ってあげることができなかった。死別の苦しみはこんなにもつらいものか。
シュナイドマンは、死は終わりを意味するが、残されたものには始まりを意味する。と言ったそうだが、この哀しみは、わたしにとって、何かの始まりを意味しているのだろうか。わたしは、どうしてもそんな吹っ切れた気分にはなれない。
「さいはての駅に降り立ち 雪あかり さびしきまちに 歩みいりにき」
― 石川 啄木 ―
川田先生は、故遠藤周作氏の推薦でペンクラブ会員になったと聞いていたが、現存する作家でもっとも文章がうまいとおっしゃていたというのは、初耳だった。早速、先生に伺ってみたところ、以前、ペンクラブのパーティーに一度だけ出席した際、遠藤氏のほかに、推薦してくれた早乙女貢氏が、遠藤氏にそのように言われたと教えてくれたそうだ。そして早乙女氏は、
「あなたは、なみいる作家たちの間で、ひときわ筆が立つ」
と絶賛してくれたそうだ。さす氏の掲示板・書き込みをきっかけに、川田先生にお聞きするまで、HP作成者の私も知らなかった。。。そうだろうな。先生の文体は独特で美しいといつも感じる。文章にひときわ個性が表れている。読み込んだせいもあるかもしれないが、先生の文章はどこを切り抜いても川田氏の文章だとわかる。詩をお書きになっていた経緯もあるだろうと思う。
例えば、先生の独特の表現に「顎を向ける」とか「顎を振り上げる」とかという使い方がある。先生の作品の中には、「顎」を使った表現が多く出くる。ふつう、「顔を向ける」とか、「顎をしゃくる」なんかはよく聞いたり、目にするが、「顎を向ける」という使い方は、あまり聞かない。でも、その言葉を読んだ直後にスパンと映像のように頭に入ってくる。多分、先生は近眼で、目が悪いので、そういう表現が素直に浮かんでくるのだろうと思った。10冊の著作の作中、そういった表現が随所に出てくる。なにげなく読み飛ばしてしまいそうだが、ゆっくり、文章に着目すると独特と思われる言葉のつながりを持っているのを感じる。
他に、「草の上を風が転がる」これは、牛巻坂に出でくる表現だが、これも好きだ。形のない風を球体のように「転がる」と、表現してしまっている。「声を投げ上げる」というものもある。声をという実態のないものを、もののように「投げ上げる」といってしまった文は見たことがなかった。
私は、以前、遠藤周作氏のファンだった。遠藤氏は純文学のほかに、中間小説といわれる軽めの小説や、コミカルな随筆も多くお書きなっているので、全部とはいわないが、主要な著作を読んでいると思う。そういった遠藤氏の独特だと思われる表現を思い出すことができる。「針をばらまいたような海」これは、「沈黙」に出てくる表現だ。読んでから、もう十数年経つが、強く印象に残っている。
いい文章とは何か、素人の私はわからない。しかし、こういった言葉のつながりを読むことによる、読者の潜在的効果や、あるいはクラッシック音楽のように、作品の感動点や中心部でこういった表現が使われることにより、読者は著しいカタルシス(満足感)を起こすのかもしれない。いずれにしても、いい表現でも、使い方を間違えれば、いやらしい、恥ずかしい表現になりかねない。
いつか「三田文学」で、ある評論家が「いかにも、私の文章、上手いでしょう?どうだ!みたいな文章はだめだ」とおっしゃっていた。これは、私はとてもよくわかるが、誤解を招きやすい、危険な言葉だと思った。「うまい」「下手」というのは、客観的要素が強く、とてもデリケートな言葉だ。普通の読者は判断できないというか、しない。現に、ある人が私に、いい言葉だよね、と言ってきた言葉を、ダサーと思うことは、しばしばある。こういったダサー(ダサイ)という、読者の感想を恐れて、現代、「表現」無視の文章が目立ってきているのではないかと思う。だから危険なのだ。ダサくても何でも、表現しようとするのは、世間的に名の知れた大作家ばかりだ。大作家には、ダサイと否定できないものがある。映画の「コレクター」ではないが、ピカソは有名なピカソなのだ。
無名の川田氏の文章を「うまい」といった人を私はあまり聞かない。そして、その思い切った言葉を今は亡き、遠藤周作氏が他人に口に出して言ってくれたことを心からうれしく思う。そして、遠藤氏が言っていたという事実を韜晦せず、本人に伝えた(時代小説で第一線で活躍なさっている作家である)早乙女氏の誠実さを感じる。そして、ご本人の自恃と誇りがなければ、なかなかできることではないと痛感する。(05.6)
私が、初めて本らしい本を読んだのは、小学4年のときだったと思う。灰谷健次郎の「兎の目」という長編小説だ。
都心の私立小学校に通っていた私は、学校帰りに、近くにある母の会社に立ち寄り、夜遅くまで母の仕事が終わるまで待って、電車で一緒に帰るか、学校から一時間に一本のバスに乗るかしていた。ただ、バス通いを始めた頃は、バスの時刻表がよく理解できず、パス停でひたすら自分のバスを待つことが多く、とてもつらかったのを覚えている。小学4年くらいになるとなんとなく、バスのやってくる時間を把握できるようになっていた。その時刻がくるまで、私は学校で一体何をしていたのか覚えていない。ただ、覚えているのは、だれもいなくなった真っ赤な教室。その中で、担任だった男澤先生はよく本を読んでいた。当時先生は30代前半くらいだっただろうか、さらさらで茶色がかった長い前髪、すこしロンパリのすらっとした美人だった。夕焼けを背中にうけて、教壇横にある木の机でひとり本に向かっている姿。その姿があまりにも美しくて私は、声をかけられなかった。
後日、休み時間に思い切って聞いてみた。
「先生、いま何の本を読んでいるのですか?」
「これよ」
と、先生は一冊の真っ白い本をかばんから出した。それが、「兎の目」だった。
「わたしにも読めますか?」
「そうね、まだむずかしいんじゃないかしら。大人の読むご本だから」
といって笑った。
私は図書室でその本を探した。そして約1ヶ月ほどかけてゆっくりその本を読んだ。漢字が難しくて読めない字も多かったが、読了した時の喜びは今でも覚えている。その本は、ゴミの中で暮らす少年と、若い女教師との心のふれあいを描いた作品で、自分と男澤先生との関係がなんとなくだぶった。先生は、私がその本を読み了えたことを聞くと大いに褒めてくれ、いろいろな本のことを教えてくれるようになった。
「向田邦子が死んじゃったわね」
「向田邦子?」
「もう、彼女の作品、読めなくなるのね・・・」
先生は、その当時そんなことを言っていた。向田邦子という流行作家が若くして飛行機事故で亡くなったことを、それからずっと後に知った。私が初めて目にした白黒写真に写る彼女は、女優のようにきれいな人だった。先生の姿と重なった。それから、本屋で向田邦子の本を見かけるたび、私は、若くて美しかった男澤先生のことを思い出す。 (05.6)
今回の週言は、奇跡的な大学合格を遂げた歴代の予備校生たちが挙げられていた。とくに『たけちゃんマン』のくだりは、思わず声をあげて笑ってしまったが、そんな文章を読んでいるとき、昔観た映画を思い出した。観たときはたいしていい映画だとも思わなかったが、年を重ねていくにつれ、ふとした時に胸に迫って思い出される。
「いとこ同士」、1959年のフランス映画だ。クロード・シャブロル監督。フランス映画革新運動、いわゆるヌーベルバーグの名作として知られている。勉強家でうぶな青年シャルルが、(たしか)司法試験のために、田舎から従兄弟を頼って上都する。従兄弟のポールは、シャルルとは対照的に、女、酒、カードと遊び上手な典型的なパリッ子だった。そんなポールも弁護士を目指しているが、毎晩のように行われる酒盛り、女遊び・・・。シャルルはその騒音に悩まされながらも懸命に勉強する。シャルルの美しい女友達に恋心を抱くが、胸に秘めながらとにかく懸命に勉強する。しかし、試験の結果は意外な結果に終わった。遊び三昧のポールが合格して、シャルルが落ちてしまったのだ。恋に破れ、試験に失敗したその青年は、落胆のあまり銃で自らの命を絶つという悲劇的な物語だ。
成功する人がいれば、必ず失敗する人がいる。そして、その成功が名誉あるものであればあるほど、その影で失敗している数の方が多い。
今回の「光輝あまねき」の中で、先生自作の詩のほかに、ヴェルレーヌの『地下の市』と言う詩が登場します。私が持っている堀口大学訳のヴェルレーヌ詩集を開いてみると、もっと長い詩であることがわかりました。それに、先生はすこし語尾を変えて書かれていることがわかりました。横書きなのが残念ですが、以下に挙げました。以前、中原中也の日記のなかで、自分の詩の改行位置を違えて掲載した出版社に悪態をついている文を読んだことがありますが、ヴェルレーヌは外国人だし、私も出版社じゃないので許してくれるでしょう。
・・・・・・・・・・・・
ヴェルレーヌは、醜男だったと言われている。その醜さはまるでオラウータンだと言われ、道行く女たちも目を逸らしたという。しかし、晩年の彼の写真をみると、孤独と苦痛にみちたその容貌は怪異で、醜男という概念をとおりこした魅力を秘めているようも見える。16歳の若い妻との破局、若く美しい17歳の少年詩人・ランポーに魅せられ、二人だけの放浪生活の末、悲劇的な決別(ヴェルレーヌは、拒むランボーに2発の銃弾を発射して負傷させた)。独房生活のあと、離婚した妻の元で生活している一人息子・ジョルジュに対するのと同じように熱愛したレチノア少年との死別―。不幸で壮絶な人生を送ったヴェルレーヌは、無一文で貧しい生活のなか、孤独のまま、51歳の寂しい死を遂げた。

「地下の市」
Paul Verlaine
凍りつきそうな光のもと
秋風すさぶ
墓地にいちい。
身にしむ鈍い音を立てて
新墓(しんぼ)の上の十字架は
不気味なまでにうなりを立てる。
大河のように黙りこみ、
川波ほども涙は滂沱(ぼうだ)、
息子や母親、やもめたち、
わびしい柵を遠まわり
行列はのろのろと
跡切(とぎれ)がちな啜り泣きのリズムが歩調。
踏む土は滑って軋む。
気ちがいじみて千切れ飛ぶ
空いっぱいのねじれ雲。
後悔ほどにささり込む
きつい寒気がおりて来る、
死者の地下へも滲み込もう、
死者たちはいつも孤独で可哀いそう
泣いて惜しんでもらおうと、忘れっぱなしでおかりょうと
絶えずがたがたふるえてる!
「春」よ、早目に来ておあげ
明るい日ざしの愛撫を伴(つ)れて
囀るやさしい小鳥を伴れて!
きびしい冬のとりことなって
悲嘆にくれる花々よ
よみがえれ!
そして朝から日ぐれまで
金いろの大空に君らの眠りは守らせたい
お香と歌をふりまかせ、
おお、なつかしの死者たちよ!
数年前PC嫌いな私が、一念発起して立ち上げたこの応援サイト。このサイトを中心に、無名作家・川田拓矢の応援ネットワークがささやかながら広がっている。人の悪口や噂話の溜まり場になりがちなBBSは、実際に書き込んでくれる人は少ないものの、下衆な集まりにならず誠実な人たちが入ってきてくれるのがうれしい。実際、読書家というのは、PCに一種の抵抗感みたいなものを感じるのかもしれない。意外に思われるかもしれないが、先生のお宅に集まる元予備校生、大学生、先生のご友人たちは、このサイトの存在を知らない人が多い。そういう人に、BBSに読書感想を書くように頼んでも、大抵断られる。「絶対にいやだ!」とまで言った先輩までいた。PCという一過性が強いものに、川田作品の感想など書けるか、という心の声が聞こえてきそうだ。しかし、川田先生は「予備校の生徒たちや、予備校に遊びにきた元生徒の大学生たちの口から、このサイトの話題がよくのぼるのだ」と言う。以前も、今春早稲田を卒業し、社会人になった生徒が、『こうやって、先生の作品を紹介してくれるサイトがあるのはいいことだ。誰が見てるかわからないのだから、管理者に頑張るように言って下さい』と激励してくれたのだそうだ。これは、正直うれしかった。そう言って励ましてくれた、(たぶん)彼も応援ネットワークの一人だ。
しかし、書き込みこそ少ないが、一時は停滞していたアクセス数が最近、急に増え始めた。「光輝あまねき」発刊の影響だろうか・・・。そして、そんなささやかな応援ネットワークのなかに青森在住の方がいらっしゃる。以前、先生の「週言」にも登場した人物だが、実はその方のお力で青森市の大きなふたつの書店に、川田コーナーを設置していただくことになったのだ。仲買いの力が大きいとされる本屋でそういうことがどうして可能になったのかはわからない。「牛巻坂」を偶然に図書館で発見して、このサイトを見つけて頂いたのがきっかけになったのだ。そして、先生の本に惚れ込んだその方の情熱が成せる技であることは間違いない。こんなちっぽけなサイトを遠く、青森の方が見つけてくれる。。。インターネットならでは利点だ。その方は、青高(青森高校)出身者だが、青高を舞台にした小説「ブルー・スノウ」を同窓会で40冊も売ってしまっというツワモノだ。 「40冊しか売れませんでした。ごめんなさい」というメールをその時に頂いたが、私は正直、驚愕した。
数日前に、やっと「光輝あまねき」が書店に届き、先生のメッセージ付で平積みされたとの報告を受けた。そして、今日、その平積みが「よしのや書店」で、1冊だけになり、「成田本店」では、残り少なくなっているというのだ。またまた驚いた。先生にはまだ報告をしていないが、青森をこよなく愛す先生にとってもうれしい知らせだろう。
「光輝あまねき」が、早大(文キャン)生協から一括注文を受けたと聞き、どうやって陳列されているのか気になった私は、びさびさに戸山キャンパスを訪れた。
なつかしかった。。私の母校だからだ。
『♪集まり、散じてーーー。人は変われどーー。仰ぐは同じきー。理想の光ぃーー♪』頭の中で、早稲田校歌がこだまする。早稲田大学に来るとなぜが、気持ちが高揚してしまう。この高揚は、あこがれに近い。入学を果たし卒業した今でも、正直、憧れの気持ちが抜けないのだ。情けない・・・。
同じ会社に、早稲田政治出身の先輩がいる。仕事で、大隈講堂を通りかかったときのことだ。大隈講堂をまぶしそうに見上げて先輩は私にこう言った。
「・・・・。『課長・島耕作』っていうマンガ知ってる? 主人公が、仕事で失敗して落ち込んだときに、耕作が夜中に大隈講堂に来て、ひとり泣くっていう場面があるんだ。俺、その気持ち、すんごくよくわかるんだよなぁー。」
私は、内心苦笑した。しかし、その時は、自分自身を偽り、冷笑的な気分を抱いたが、実は、本当は私もこの気持ちが痛いほどよくわかる・・・。
なぜ私は、この気持ちを自分自身にさえ正直に吐露できなかったのか? それは、とても危うい意識、もっとはっきり言えば、下劣な意識があったからだ。できれば隠しておきたかったのだ、と私は最近気付いた。
早大出身者にとって、キャンパス構内、特に大隈講堂と、大隈さん(像)は、青春の象徴だ。と言えば、美しい。しかし、ごく一部の優秀ピッカピッカの早大生を除いて、合格するまでどろどろに勉強してきたはずだ。もちろん、大学に入れば、そんなことはおくびにも出さない。生まれたときからここに属すことが決まっていたような顔をしている。でも実際は懸命に勉強して、勝ち取った合格なのだ。とくに私のような鈍才にはなおさらだ。暗い受験生が急に成功者として扱われる。そして、4、5年は、その雰囲気に浸れる。しかし、卒業すればそうはいかない。社会に放り出され、役人だとか、一流企業の企業面接は別かも知れないが、学歴は仕事とはほとんど関係ないのだ。自分が持っていたちっぽけなプライドなど、ことごとく打ち砕かれる。そして島耕作になるのだ。
大学など出なくとも、すごい人はたくさんいる。偏差値の低い大学を出ても、すごい人はすごいのだ。学歴のない人の方がかえって、頭が良かったりもする。むずかしい漢字が当然のように書けたり、読めたり、自分の知らない歴史上の人物に明るかったりする。記憶力抜群だったりもする。そんな場面に境遇してしまったとき、「いやいや、私・・・。だって早稲田だし・・・。あなたより偏差値高い大学なんです」
なんて、通用しないのだ。そして、こんなとき一流校に合格したまぐれが、自分の隠れた誇りであるとすれば、本当に恥ずかしいことだ。だから、下劣な意識なのだ。
私のような一流大学出の劣等性は、こういった下劣な意識を青春という言葉を盾に韜晦してしまう。そして、今だに出身校へのあこがれの気持ちから抜けだせないのは、この下劣な優越感から抜け出せず、学問を究めようとしなかった自分への後悔の念があるからだろう。(05.6)
とうとう、見つけた。ずっとほしいと思っていた「クロイツェルソナタ」のDVD。以前に、「この本、凄い!」にも書いたレフ・トルストイ作の「クロツェルソナタ」だが、一度だけ、CS放送で見かけたのが、ざっと5,6年前。画面の雰囲気で「クロイツェルソナタ」だと、すぐにわかった。それから、なかなか入手することができなかったのだ。いつも行くCDショップの2階。お目当てのCDをまたまた見つけることができなかった私は、何気なく、その2階に上がった。ずらっと並ぶDVD・・・。
「むかし、ここは確か、レコードとか、LDなんか陳列してあったのになぁ。時代だよな」
と思っていると、他のミーハー店とは違うただならぬ雰囲気(ジャンル別題名あいうえお陳列!)を察し、「クロイツェルソナタ」のことを思い出した。
やはり、あった。。感動。。そしてそれは、以前CSでみたものと同じロシア映画だった。ということは・・・。私は、もう一作品探して、棚に目を走らせていた。やはりあった! 先生を中心に映画好きの仲間で何年も語り草になっているまぼろしの名作!! 「モス泣く」こと、「モスクワは涙を信じない」がDVDになってるではないか! ロシアで大きな賞をとっているものの、日本では全く知られていない名画だ。20年ほど前に一度、NHKのBSで放映され、先生がそれを録画していたというのを観せてもらって知った。その時は、LDになったことがあるらしいことがわかったが、絶版になっていた。それから、もう一度だけBS放映され、3,4年前にビデオ化されたとの情報をえていたが、まさかDVDにもなっていたなんて。しかし、こんなに多くのDVDの中から、これほどのカルト作品を手に取る人の数は少ないだろう。と少し寂しい気持ちにもなった。
以前、映画は、映画館でしか観ることができなかった。だから、ビデオデッキがまだ普及してなかったころ、映画館で絶対観ることのできない古い映画をテレビの「名画劇場」で流していた。家庭で好きな映画を気軽に、いつでも観れる時代がくるなんて、ほんの30年ほど前には予想もつかなかったかもしれない。そして、ベータ―、VHS、LD、と経て、現在、DVDにまでコンパクト化された。テレビでなくとも、PCでも観れるし、DVDが無くても、詳しい人なら、どこからか情報だけをインストールすることまでできるみたいだ。
つまり、空間が無くとも、どんどん情報を蓄積するができるということだ。音楽も同じだ。何千曲も録音できるi-Podというものがあるらしい。さすがに活字となるとそうはいかない。だって、人間が活字を読むスピードは、2,3時間の映画をみるとか、十数分の音楽を聴くといった受動的な鑑賞とは違う。読むというのは一種能動的な要素を多分に含むからだ。数年前、伊達公子がコマーシャルしていたデジタルブックというものは、数々の論争(紙媒体の本は消滅するのか?!云々)を巻き起こしたが、結局廃れた。長時間の読書には、紙媒体の活字が一番都合がいいということだ。
そんな楽観をも脅かす代物を、わたしは最近知ってしまった。「オンデマンド書籍」というものだ。絶版になり、市場では入手できない本を発注した人に本の形で提供できるというものだ。何十冊単位? と思いきや、一冊でもOKだという。もちろん、これは、すごい事だ。いまは、ある専門分野の世界の話のようだが、これから先、もっと情報というソースの蓄積が発達すれば、これは一般の本でも手軽にできてしまうことになるだろう。一見、すばらしい発展と思われるが、私は正直怖くなった。。。
もし、そんな時代が来たら。。。たしかにそんな時代でも本屋はなくなってないだろう。しかし、紙媒体として陳列される本は、今よりももっと、種類は減り、同じ本がうず高く積まれているだろう。そして力のある出版社は、もっともっと力を持って、これから多く買われるだろう本を見込んで(有名人たちが書いた絶賛の言葉を帯にして)、陳列され、そしてそれらの本は確実に買われていくだろう。本屋の片隅には、PCかなんかが多く置かれ、ソースはあるが、紙媒体にはなっていない天文学的な数の作品を検索し、一冊の本にするための手続きがなされるだろう。しかし、前知識がなければ、不可能な作業だ。あるいは、もっと科学が発展を遂げ、本のソースが自宅において、一発でインストールできる時代が来るかもしれない。例えば、それを活字にもできる、音声にもできるということが可能になるとする。いつでも、好きな作品を、お金さえ出せば、膨大な情報からピックアップし、自宅のPCで、いろいろな媒体で鑑賞できる。そんな時代だ。
しかし、この情報の宇宙は、無となりかねない。いつでも入手できる安心感から、ついには、実体が読まれなくなるだろうという危惧だ。文学は紙媒体の活字で読むのが一番疲れない。読書は長時間にわたるからだ。そして、一番疲れない方法をとっても、能動的な要素が要求される。情報の宇宙から検索された、一冊の本に値する膨大なソースをPCにインストールするスピードを体感した人間が、果たして、活字を読むスピードに満足できるだろうか?
情報の蓄積が空間(実体)がなくてもなされるというのは、すばらしい発展だ。でも、情報が保存されているという安心感は、今読まなくともいつでも読めるという安心感と同意だ。そしてこのネットの世界のように、糞ミソいっしょ。一緒くた。ということになりかねない。
「ネットの世界では、一秒に7000ページ消える。だから、文化、芸術は紙媒体で継承しなければならない」
と、あるフランスの哲学者が言っていたのをテレビで見たことがある。情報が膨大に増え続け、蓄積されている現在、本でも映画でも、音楽でも、何を未来に継承していくのか、それを決めるのは、マスコミでも、出版社でもない。この過渡期に生きる私たちだ。そして、われわれ一個人が真剣に、芸術を感受し、勇気をもって判断をくださなければならないのだ。(05.6)
「光輝あまねき」の売れ行きが好調との連絡が入った。高田馬場「芳林堂」で、追加注文の申し出とのこと。まだ、出版されて10日ほどしかたってないのに・・・。無名純文学作家とは思えない快挙である。これも一重に、このページに訪問してくれるみんなが、心の底から応援し、クチコミで紹介してくれているからだろう。
純文学は売れないと言われて久しい。純文学は大衆のものではないのだろうか? ドストエフスキーの「罪と罰」はロシアでは大衆向け週刊誌に掲載されていたという話を聞いたことがある。それは、そういう時代だったのだと言い切れるだろうか?
純文学というと、とても難しい近寄りがたいもの、または読みにくいもの、気軽に読めないものという印象をもってしまいがちだ。しかし、人間の存在意義や本質に迫ろうとするいわゆる「純文学」は、みずみずしい精神をもった若者の読み物であると同時に、日々食べていくために、または、よりいい服を着て、いい住まいを持つために営利追求を怠らない「大人」のための癒しという遊び道具であるとも言える。そして本当に純文学を求めているのは、老いも、金の工面も、人の裏切りも知らない青春まっさかりの若い世代の人間ではなく、青春期を終え、生活に追われている「大人」のような気がしてならない。しかし、純粋で素直な若い人たちは、これから待ち受ける荒波に負けない独自の思考力を川田作品で培えることだろうと思う。
小林秀雄は「若者に青春はない」と言ったそうだ。私は、学生時代いつもこの言葉が頭から離れなかった。いまだこの小林秀雄の言葉の真意は分からないが、社会に出るまでのモラトリアムの時期に、苦しいくらい、ものを考え、自己を確立してほしいというメッセージのような気もする。そのためには読書は不可欠なものだ。「エロ本から哲学書まで」。川田氏がよくいう言葉だが、奇しくも、早大入学式時に総長も同じことを言った。エロ本とまでは言わなかったが、「漫画本から哲学書まで、何から何まで学生時代に読み尽くしてくれ」と。(05.6)
とうとう、川田文学の新作「光輝あまねき」を読み終えた。もったいなくてちびちび読んでいたのだが、がまんしきれなくて中盤から一気読みの形となった。とくに二十九章あたりから、読みながらめまいがするような感覚に陥った。そして決心した。感想は書くまいと。感想など書く必要もないと。書こうと思えば書けると思うが、どう吟味した文章でも、どうしても読んだあとの気持ちを昇華できないという予感がある。書評はプロの人に任せる。そしてもう一つ決めたことがある。自分が死ぬ間際、この本を読もうと決めた。
私は文学界ではまだ無名の川田氏と、その読者のために、ファンページを管理している。もちろん、ひとりでも多く先生の本を読んでほしいをいう気持ちからでもある。そして、先生の作品を他人はどう読んだか? 世間的に認められなくとも、読破した読者の心にどのように響いているのか、とても興味があった。しかし、そんなことはどうでもよくなった。今何人の人に読まれようが、支持されようが、支持されまいがそんなことはどうでもいい。突き詰めると他人に読まれなくてもいい。そんな気持ちにもなっている。私は読んだのだから。そして私は隠さない。この作品で号泣したことを。(05.5)
ポストにチラシが入っていた。△□ミシン8800円(メーカー希望価格)!
昔、私が子供だったころは、ミシンは何十万円もしたものだ。今のように洋服も安くは買えなかった。セーターも手編みする人が多く、セーターのための「編み機」というものも人気だった。
その時代、ミシンは嫁入り道具の一つだった。そのため、わずかばかりのお金を少しずつ積み立てをしている若い女性は多かった。貧しかった母は、まだ赤ん坊の私を背負い、積み立てのセールスのために一軒一軒家々をまわっていた。母はセールスの天才だった。母の売上実績は常に社内トップ。全国一の成績を収めたこともある。背中におぶられた赤ちゃんだった私も一役買っていたという。絶妙のタイミングで、
「○×ミシン!100円、月賦でもいいですよ」
たどたどしい言葉で言うと、必ず笑いが起こり契約につながるのだそうだ。言葉もわからないころから、「月賦」とか「現金」とか、大人たちの会話を寝物語に聴いて育った。新製品の名前までそらんじていたという。
当時○×ミシンという会社は絶頂期だったのだと思う。大人たちが、女も男も大きなビルの中にひしめき合い、活気があった。2段ベット付の寮部屋まであって、よくそこへ忍び込んだものだ。女性販売員の、私のような子供たちも何人かいた。大人たちに怒鳴られ、邪魔にならないようにひっそりと気を使いながら夜になり母親と家路につくのを待った。おしゃべりで生意気だった私は、よく大人たちに疎まれた。
「おまえも大きくなったら、この会社に入るか!」
『絶対入らない!私は大学に行って、もっと立派になる』
「そうか、はははっ・・・」
こんな会話をしたことを思い出す。わたしは家から離れた都会の私立学校に通っていたため、そんな環境に中学ごろまで出入りしていた。そして頑張り屋の母を見習い、時には軽蔑し、母を待ちながら会社の片隅の机でもよく勉強したものだ。大人たちの遠慮のない諍い、騙し合い、競争を子供の冷めた心で目にした。突然母の机だけが撤去され、これ見よがしに地べたに這いつくばって書き物をする気の強い母の姿も見た。「金」を中心に馬鹿になっていく大人たちの姿を子供心に愚かしく感じた。
次第にその環境は勢いを失い、いまも会社は残っているが、時代の流れとともに縮小した。何年かして母もその会社を辞め、転職した。その時の大人たちと同じくらいの年代になった私は大学には行ったが、大して立派にはなっていない。そして彼らが今、どうなっているかも知らない。(05.5)
私は最寄の駅で、ものすごい光景を目にしたことがある。高校1年生ぐらいであろうか、黒髪をゴムで一本でしばった、飾り気のない女子高生が、駅構内で酔って寝転がっている浮浪者を立たせようとしているのである。周りの人たちは、足早に通り過ぎていく。
「大丈夫ですか、大丈夫ですか」
と声かけながら、起こそうとする。60をゆうに越したおそろしく汚い服装をした、どこから見ても浮浪者だとわかる男で、近づかなくともアルコールのにおいがしてきそうだった。よくみると、社会の窓まで空いている。そして私がさらに驚いたのは、その男が、まるで本当に具合が悪くて寝転んでいたかのように、とっさに立ち上がろうとしたことだった。それを彼女は疑いもしないようだった。しかし、とうとう彼は立ち上がることはできなかった。世間知らずの彼女の純粋さと、それにとっさに答えようとする男の心に、私は胸をえぐられた。それから、彼らがどうなったかは知らない。きっと男は、今も別の場所で転がっているだろう。そして、あの頃の少女は、成人して、この出来事を幼い頃の笑い話として人に話したりしているかもしれない。(05.5)
早大生協で予約注文が多いため、一括注文! の朗報を受けて、ホントかよー。HP作成者としては気になって仕方がなかったので、行ってきました。早大生協に。ありました。文キャン生協に平積みになっていました。先生のメッセージ付ということもあり、ひときわ輝いて見えました。早大生じゃないから、メッセージが読めない! という方のためにメモしてきました。「光輝あまねき」ページに公開してありますので、ご安心ください。早速、読んでますが、本当に面白いですねー。ネタばれなしで、感想を書きますので、是非読んでください。また、もう読んだという方の感想もお待ちしておりますので、お気軽に書き込みしてください。(05.5)
先生ご自身に寄稿して頂く「週言」は、幸い好評のようで、低迷していたアクセス数も、急に増えた。HP用に片手間に書いてほしいと依頼したが、先生は真剣に書いてくださっているのが、文章を拝読するとよくわかる。時には、先生の周辺の人たちの実名まで登場する。匿名性が強いネット上においては、逆に実名というのが、非常に浮き立つようだ。必ず何らかのレスポンスがある。先生ご自身も自分自身を神秘化することなく、赤裸々にご自分のことを教えてくださることがある。
「HPに載せちゃってもいいんですか?」
と私が聞くと、先生は笑って、
「どうしていけないの?」とおっしゃる。
『・・・・。そうだ、そうじゃなきゃいけないんだ。』
と、逆に納得してしまうことがしばしばある。
この4月に、個人情報保護法なるものが、施行されて作成者の周辺では、過度と思われる程、個人情報を保護する動きが目立つ。学歴、学校の成績など、時と場合によっては、人より優れていることも、自身の申告がなければ、知ることができない時代になりつつある。(05.4)
このHPで、じみーっな応援活動を繰り広げていますが、絶版になっていた「全き詩集」と「高く青く・・・」の再版決定との嬉しいニュースが飛び込んできました。特に「全き詩集」は、作成者自身、ほとんどの詩を自然と憶えてしまい、「川田作品の白眉」と勝手に自負していたものの、絶版という憂き目をみていました。しかし、出版社への問い合わせが多かったのか、出版社が作品の質の高さを評価しているのか、この春、再版という運びになりました。
どちらにしても損得勘定抜きの決断であったことは間違いないっ!!
私はとくに『野辺地』が好きで、川田氏にこの詩の詳しいところを聞いてみたことがあります。この作品は、「全き詩集」の中で一番古い作品で、大学時代に、早稲田(法)の浜田教授が、
「緊張の糸がピーンと張って、才質を感じます」
と評価してくれた作品だという事です。再版の情報を聞いてさっそく「全き詩集」紹介ページの『野辺地』を削除。再版の際にも掲載しないという『野辺地反歌』はそのまま残しました。詩集を入手したら、またすでに入手していたら、このページをプリントアウトして、『野辺地』の後ろに貼り付けて、2作いっぺんに読んでみてください。14歳の時に書いたと云われる『野辺地』と、約40年経ったのちに作られた『野辺地反歌』が同じリズムのスタンザで構成されていることにお気づきになるでしょう。
輝かしい未来が待ち受けているはずの若い作者と、晩年を迎えた作者が同じ感性でいる事への驚き。やはりこの2つの詩に共通して流れているものは、静かな「諦念」でしょう。そして読み手は、この作者の諦念に浸るうちに、なぜか吹っ切れたような楽観が湧いてくるのを感じる。どんな風に生きても死はやってくるし、失敗もやってくるだろう。それなら、そこまで自分がやりたいことをやってやろうというような精力まで湧いてくるような気がしてくる。
―行くがよい、休みを知らぬ浮浪者よ、深淵と砂利原越えてどこまも 呪われた不吉の影をひきずって天国から見はなされ!
昂然と彼らに眉を上げさせる 誇りに満ちた幽愁を 罰してくりょうと「自然」まで 人間どもに加担して、
君らの激しい大望を涜神と見て復讐し 呪われた君らの額に傷つける 手荒な自然の暴力で。
年々の六月は、君らの骨の髄まで焼き、十二月めは凍らせる、高熱は芦の葉にさえ血を流す 君らの五体を苦しめる。
あらゆるものが君らを拒否し、あらゆるものに君らは傷つく、やがて彼らの死が来る日 骨と皮、冷たい君らの遺骸には
狼さえが寄りつくまい。
― ヴェルレーヌ 『グロテスクな人たち』より ―
「われわれは誰しも、いろいろな個人的目的、目標、希望、見込などを眼目に思い浮かべて、そういうもののために高度の努力や活動へと駆りたてられられようもしようが、しかし私たちを取り巻く非個人的なもの、つまり時代そのものが、外見上ははなはだ活気に富んでいても、その実、内面的には希望も見込みも全然欠いているというような場合には、つまり時代が希望も見込みも持たずに困りきっているという実情が暗々裡に認識できて、私たちが意識的または無意識的になんらかの形で提出する質問、すなわちいっさいの努力や活動の究極の、超個人的な、絶望的な意味に関する質問に対して、時代が空しく沈黙しつづけるというような場合には、そういう状況は必然的に、普通以上に誠実な人間にある種の麻痺作用を及ぼさずにはおくまいと思う。しかもこの作用は、個人に精神的、道徳的な面から、さらに肉体的、有機的な面にまで拡がっていくかもしれない。『何のために』と言う質問に対して、時代が納得のいく返事をしてくれないというのに、現在与えられているものの力量を上回るほどの著しい業績を挙げようと言う気持ちになるのは、ごくまれな、あの英雄的な性格を持った精神孤独と直截さか、あるいは恐るべき生命力が必要であろう」
― トーマス・マン 『魔の山』より ―
久しぶりに「牛巻坂」を読み返してみました。川田作品の処女作、十年前の作品ですが、何度読み返してみても古くならない作品です。主人公の会津純一は読者の成熟や老いと関係ないところで生き続けていました。今回の読み返しで、テーマは「愛と友情」などとは片付けられないものだということを再認識させられました。
「感動の根源は何か?」
私はこの本を読んでいるときの心の動揺を突き詰めてみたくなりました。そして私個人の中に出た結論は、人間の情熱の刹那ではないかということでした。
愛や友情という心の高揚と冷却、それはともに意識下に起きる現象で、いや、現象とも覚束ない「幻」かもしれませんが、この「幻」がなければ人間は存在価値を失ってしまうかもしれない。太宰は「トカトントン」でコミカルに人の情熱が些細なことで醒めてしまう様をえがいていましたが、「牛巻坂」ではそれを喜劇にしなかった。主人公の瞬時に起こった心の情熱と、他人の情熱とを信じ続けようとした、つまり悲劇に創りあげました。作為のない悲劇だけが真実の芸術だと確信しました。
そして、無知な「熱」にあふれる主人公を取り巻く大人たちの毒を徹底的・客観的に分析していくのは、一種のタブーの様相を呈するかもしれません。
「・・・しかしだれも、その偉大さの行きつく果てについては説明してくれなかった。秘密をかたく守って口外しないのだ」(牛巻坂第4章より)
天気のよい日に、不思議に気持ちがわくわくしている自分に最近ハッとすることがあります。子供の頃は季節の移り変わりなんて関係なかったのに、いつから気候に関心がいくようになったのか・・・。外部刺激に感情揺さぶられない不動の心持を維持したいなあ、なんて考えながら、盛春にすがすがしい気持ちで何が悪いんだ! それでいいじゃん! という気持ちと戦いながら、川田氏のインタビューに訪れてきました。
川田氏はやっぱり、季節なんて関係ないんですね。
「先生、いい季節になりましたね」といったら、
「あれ、やっと冬に向かっていると今一瞬思ってしまった。僕って馬鹿だよね・・・。」
とおっしゃっていました。恐るべし。。。。
近況インタビュー、更新中です。お時間のある方是非読んでください!
「みたいな・・・」
「って言う感じ」
「なんか・・・」
あいまいなことばって楽だなぁ。
「それで何なの?」
なんて問いただす人間はまずいない。
「んん、わかる、わかる・・・」
この後、意味不明なのだが一応笑っておく・・・。もしくは笑いかけてくれる。これで立派にコミュニケーションが成立する。むしろ、曖昧だからこそ成立すると言っても過言ではないだろう。
『あいまいな日本人』なんて言葉が数年前に流行ったが、日本人だけだろうか? 外国に行くと、アメリカ人もなんかよくわからないが笑いかけてくる。笑えば場が和むことを知っているからだろうか・・・。私は長く社会生活を渉っていくための知恵としてこの「ニヤニヤ」を体得してしまったように感じる。もちろん笑顔というのは美しいものだ。むっつりされるよりも明るい顔のほうに好感がもてるし、またその逆もしかりである。しかし、真剣さに欠けてしまうのも確かかもしれない。
川田文学の魅力とは一体なにか?
川田文学にはこの「曖昧さ」がない。実は私はよくこのような「なんか」語をよく使う。しかし、こんな私にとっても、その「曖昧さがない」というところに魅力を感じるのだ。そして川田文学には「ニヤニヤ」がない。とにかく「誤魔化して笑ってしまおう!」がない。ここも好きだ。文章に妥協がない。
川田文学を読むとき、私は笑わない。そして妥協のない文章に妥協しない。難解な文をとことんまで読み込み、考える。そして自分なりに消化していく。「読書百遍」そんな言い回しがピッタリな本たちだ。何度読んでも読み尽くした感がない。新しい感覚の発見がある。私は「意おのずから顕(あら)わる」と感じるまで幾度も読み返すだろう。そして多くの主人公たちのように、あいまいな感情や情緒を限りなく客観視することで、自分にとって何が一番本当に大切なのかをほんの少し垣間見るまで。。