裏週言                 
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 都会での運転のむずかしさ。そして、生活の逼迫もあり、とうとうわたしは愛車を手放した。しかし、そうなってしまってから不思議なもので遠出をしたくなるものだ。
 高速バスにのって、山梨にある山中湖にハイキングに出かけた。お弁当を作り早朝から出かけたが、あいにく曇っていた。楽しみにしていた富士山の姿も、行きのバスの中からうっすら見える程度。2時間ほどで、山中湖に到着した。富士山の見えない山中湖は、さみしい。
 行きのバスで一緒だったらしい外人の一行は、バスを降りるやいなや、

"It's like dreary."(なんか、陰気なところね!)

"Yes,isn't it."(そうだね)

 そんな事を遠慮もなく話し合っている。わたしは連れと一緒に思わす苦笑したが、思えばこれは、これから始まる惨劇への序曲であった。
 観光案内所でもらったハイキング地図に載っていた数社のタクシー会社を適当に選び、電話をしてコースの入り口まで連れてってもらう。

「三国山を越えるコースですか。まあ、簡単なコースだから、そうだな、一時間半もあれば、大丈夫でしょう。出口の東電寮入口のところで、電話をしてください。」

 といって、タクシーチケットをくれた。
 初心者向けだというハイキングコースの入口(籠坂峠)は墓地だった。私たちのほか誰もいない。山に入る小道の入口にチェーンのようなものが張ってあり、そこに
「熊出没。注意!目撃情報あり」
 雨風にさらされて薄くなった赤字で掲示してある。
(ちょっと、ちょっと。。。大丈夫かな・・・)と思ったものの、せっかくきたのだから、行きたかった。
 数十メートル歩いて、早くもわたしは怖くなった。もっと軽いコースだと思っていたが、歩幅はやっとひとり歩ける程度の本当の山道。木の間から、急に熊が現れてもおかしなかった。風で揺れる木の葉がこすれる音が、熊の気配に感じてしまう。

「ねえ、大丈夫かな。熊が出るって入り口に書いてあったよ」

「うそっ!でも大丈夫でしょ。怖がりだなー」

「そうかな。戻ろうか・・・」

 逡巡していると、後ろから、大学生らしい男女6名ほどが、なにやらがやがややってきた。

「よかった。だれか後ろから来た。大丈夫みたいだから、やっぱり行こうか」

 こうして、意を決して出発した。
 もくもくと一時間ほど山道を登っていく。アザミ平まできた。立ててある地図上の現在地には、ボールペンでバツがうってあり、「本当はココ」と、矢印を書いてくれている。確かにその現在地は間違っていた。アザミの花は枯れていた。晴れていれば、山中湖と富士山が一望できたはずだ。曇り空以外何も見えない。
 そして、そこから大洞山(1336メートル)までが辛かった。上る、下る。上る下る。ちょっと気を抜くと木の根に引っかかって転びそうになる。何も考えられなかった。後ろに見えていた学生たちも、もういない。
 とにかく三国山を目指すしかない。なぜなら夕方の高速バスに間に合わなくなるからだ。途中、赤い顔の野生のサルが一匹、鋭い形相でこちらを見ていた。怖かった。。。わたしは見てみぬふりをして通り過ぎた。
 三国山を越えたパノラマ台で昼食をとる予定だったが、まだ、コースの半分も来ていない。
 1時になり、適当なところにゴザを敷いて、昼食をとっていると、大学生たちがやってきた。なんとなく安心して軽くあいさつを交わした。
 10分ほどの休憩だったが、体が冷え切った。あるだけのものを着込み、軍手もして、また出発した。
 
 (これが初心者コースなら本当の登山は一体どんなに過酷なんだ!)

 40分ほどで、三国山山頂に来た!三国山頂は、山梨・静岡・神奈川の3県にまたがっており、本来なら、丹沢、相模湾を望むことができたはずだ。しかし今日は、なにも見えない。
 そしてこの山頂で問題は起こった。
 道が2股に分かれている。矢印もわかりずらく、地図を見たがどちらに行ったらいいかわからない。私たちは右の道を選んだ。とにかく急な下りで、30度くらいあったかもしれない。何度か転びそうになった。途中、ポケットに入れていたハイキング地図と軍手片方を落とした。しばらくして山林の先にほのかに明かりが見えた。
「やった!パノラマ台だ」
 吐き出されるように山を出るとそこは、何もないアスファルトに道だった。
 なんだ?
 道なりに下っていくとアスファルト道がずっと続くだけで、何もない。山中湖も見えない。山に囲まれた道。いつまで行っても道。あいにく携帯電話を持っていなかった。地図もない。

「だから、あっちの道だっていったじゃない。ああ、左の道をいってればなあ」

「いまさら、そんなことをいってもしょうがない」

 それでも、なにかあるだろうと、40分ほど歩いたがひたすら道だけだ。時計は3時を回っていた。これでは4時のバスに間に合わない。それどころか、今日中に東京に帰れないかもしれないという、不吉な気持ちがよぎった。水筒のお茶も尽きていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 とうとう、連れが時々通る車に手を上げてくれた。でも、なかなか止まってくれない。しばらくして、対向車線から上ってきた一台のパイクがユータウンするような形で止まってくれた。続いて2台バイク止まった。どうも、3人でツーリングしていたようだ。練馬ナンバーだった。

「登山してて迷いまして・・・(ハイキングとは言えなかった)。あの、ここ、どこですか?」

「静岡県ですよ」

「え? このまま歩いて下ると駅まで、何時間ぐらいかかりますか?」

「そうですね。4,5時間あるいても、民家があるかないかだと思いますけど・・・」

 私たちは、携帯を借りてタクシーを呼ぶことにした。
 ハイキング地図を落としたから番号が分からないと思った瞬間、タクシーチケットを偶然もらったことに気がついた。バイクマンたちに借りた地図を頼りにどうにか、現在地を伝える事ができた。でも。正しいのか自信がなかった。最初は電話口のタクシーの人は行くかどうか迷っているようだったが、とにかくこちらに向かってくれるという。
 バイクマンたちにお礼をいって、タクシーを待った。本当に来てくれるのか。10分ほどたったがなかな来ない。時間が長く感じられた。あきらめかけたその時、タクシーの姿が見えた。わたしは、思わず立ち上がり、両手で大きく手を振りながら、泣きそうだった。

「助かりました。本当にありがとうございます」

 タクシーが走り出して、後ろを何気なく振り向くと、さっきのツーリングのお兄さんたちが、バイクを止めて、見送ってくれていた。おそらく、道の先でタクシーとすれ違い、ちゃんと乗れたか確認してしようとしたのだろう。
 私たちは懸命に手を振った。一瞬だったが、3人の一人は、タバコをふかしながら、豪快に笑い、一人が手をわたしたちに手を上げかけたのが見えた。感動した。

「地図を途中で落としてしまって。行きのタクシーの人もいい方で、偶然、タクシーチケットをもらいまして、それで電話をかける事ができたんです」

「それは、わたしです」

「ええーっ!」

「いえね、電話の声でピーンときたんですよ。行きに乗せた方かなと思いまして・・・。・・・しかし、このコースで迷ってタクシーを呼ばれたのは、2組目ですよ」

 私たちは感激で声も出なかった。それで来てくれたんだ。いい偶然が重なってくれた。

「あの、このコース、熊は出ませんよね」

「出ますよ。でも富士山の方が出るんじゃないかな・・・。鈴をつけるといいんですよ」

「・・・・・・・・。」

 それから、わたしたちは散々お礼を言ってタクシーを降りた。4時のバスにもどうにか間に合い、奇跡的(?)に予定通り帰ってくることができたのだった。

 曇った日の山中湖は、たしかに、Drearyだったが、山の厳しさを知り、そしてなによりつくづく人の温かさというものに触れることができた、人間信頼を回復させてくれた大切な、生涯忘れられない日となった。