「東京フィオリーネ通信」は、東京で活動する少女サッカーの交流を応援するページです
「東京フィオリーネ」の名前の由来は、小さなツボミから大きな花を咲かせようとの思いから、東京の花「東京フィオリーネ」と命名しました
 少女サッカーを心から応援してくださる多くの方々と共に、少女選手たちの頑張りを伝えたいと思います
 
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東京都における少女サッカーの歴史は「少女さわやか杯」が開催された時から数えること
37年という歴史を重ねています。
また、東京都選抜チーム「東京フィオリーネ」は、1996年から2002年まで開催された
「JFA全日本女子ジュニア選手権大会」では、全国優勝2回、準優勝1回、第3位1回
という成績を残しています。

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 ■ フィオリーネ通信欄

新しい年を迎えました(2018年1月記)

 新年を迎えると「一年の計は元旦にあり」という言葉をよく耳にします。これは、「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり、十年の計は樹を
 植えるにあり、百年の計は子を教えるにあり」という、この四句の二行目の句です。
 その言わんとする究極は、人として一生を通して成すべき大事は「子を教え育てることに尽きる」ということのようです。
 「第26回全日本高校女子選手権」で岡山県の作陽高校女子サッカー部が準優勝しました。作陽高校の池田浩子監督は、1998年東京フィオリーネ
 の3期生として活躍し、福島県Jヴィレッジで行われた「第3回全日本女子U-12大会」で第3位の成績を残しています。現在はこの作陽高校の
 監督として選手を育てています。東京フィオリーネのツボミが花開いています。益々の活躍を期待します。



梅雨が明けると本格的な夏到来、熱中症にならないために。(2107年7月記)
 梅雨明け前に猛暑となり、身体の準備ができていないところで、熱中症で救急搬送される方が増えています。
 誰もが水分補給をこまめに…と理解しているでしょうが、熱中症の初期症状を自分自身で感じ取ることがアスリートとして重要な
 ことです。いつもとチョット違うなとか、以下の症状を感じたら我慢せず、指導者や周囲の人に話して、早く処置をしましょう。
  ・目まい ・立ちくらみ ・ノドが渇く ・筋肉のけいれんやピクピクする ・お腹が痛い ・手足がしびれる など


新年度も1ヶ月が過ぎました。新学年での生活にも慣れてきたことと思います。(2017年5月記)
 さて昨今、様々なスポーツにおいて日本のアスリートが世界で活躍しています。 インタビューでも堂々としたコメントに感心
 するしだいです。 皆さんも小さなツボミから大きな花を咲かせ、バランスのよいアスリートになることを願っています。


原田洋安さまご逝去(2017年1月記)
 1月8日原田洋安先生がご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りします。
 原田洋安先生は、東京都少女サッカーが1991年(平成3年)東京都サッカー協会第5種委員会に少女の部として組織化された時
 初代少女部長として活躍され、「ニーニャス大会」や「きさらぎ杯」そして「東京都少女選抜・東京フィオリーネ」など多くの
 事業を立ち上げました。 その後女子サッカーは、1995年(平成7年)日本協会の名称変更に伴い女子委員会と名称が変わり、
 1997年(平成9年)に女子委員長に就任され、女子サッカーの底辺の少女から一般・レディースまでを統括する長として、また
 関東女子委員会委員長も歴任され、東京都、関東圏の女子サッカーの発展に寄与されました。
 また、お仕事では小金井市の小学校校長を数校勤められ、校長室には授業に出られない子供たちが本を読んだりしているところで
 執務されていました。74歳で逝去されたこと誠に残念に思います。安らかにおやすみ下さい。



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(公財) 東京都サッカー協会のホームページ


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