中世史をあざやかに塗りかえた、日本社会
史の牽引者、網野善彦先生が、大学定年を
前に、研究の蓄積を下敷きにかきあげた、
旧石器時代から江戸時代前半までの、日本
列島の「通史」。
為政者の動きも追いつつ、歴史の流れを
社会(人々)の側から見た。
“弱い立場の人びとへも目配りした”などと
いうものではない。日本列島の津々浦々、山
や谷、平野に、様々な生業をもって暮らす人
びとの多様な集まり、活発な交流と、なんとか
「王権」をたてて「国家」をつくろうとする側と
の、両方の動きを同時に見ていくことで、な
んとまあ、教科書で習った「○○制」や「○
○の改革」、「○○の変」が、立体的にもりあ
がってみえることか。
最初の章のトビラには、南北を逆さにした
東アジアの地図。朝鮮半島、対馬、九州、
反り返った本州の背、北海道、サハリンに囲
まれて、東シナ海(日本海)が、池のようにみ
える。
まさに日本列島の歴史は、この領域の中
でダイナミックにはぐくまれたものなのだ、と
いうことが脈々と伝わってくる。
この「環日本海」領域の北側(日本列島)
の各地で暮らす人々は、そもそもは、誰も自
分が「日本人」だとは思っていなかったとい
う。最初は「日本」なんてなかったんだし。
各地にたくさんある小国の中で、勢力を
拡大し始めたヤマト王権が、「日本」を名乗
るのが、7世紀の浄御原令(きょみはられい)
からだという。
で、それですぐ、今の「日本国」の領域が
自動的に「日本」になったわけじゃない。ま、
そりゃ、そうだよね考えてみれば。
それぞれの場所で集団をつくって、それ
ぞれ近隣の他グループ(それが朝鮮半島や
中国、サハリンだったりも、当然する)と交流
して暮らしてるわけだから、遠い関西の都か
ら、「今から俺たちが王だかんね、命令に従
ってもらうよ〜」と、いわれてもねえ。
だから最初は、北海道や琉球はもちろん
関東や東北、南九州は当然、自分たちを日
本とは思ってなくて、この状態が16世紀頃ま
で続いていたとしてもおかしくないだろうと、
自然に納得がいく。
坂東を自分の王国として「新王」を名乗っ
た平将門が、同時期に東丹国が渤海国を
滅ぼした例を引いて、自分の王としての正当
性を、平安王朝に向かって主張した、という
のに驚いた。昔の日本列島人は国際人なの
だ。
将門の王国が3カ月。
100年後に乱を起こした平忠常の房総王
国が3年。
東国には、ヒーローさえ現れれば、自立し
たい気運が息づいていたらしい。
さらに150年後に、源氏の生き残りの頼朝
がやってくる。“鎌倉幕府は京の王朝とは別
個の「王権」だ”という「二つの王権」説が自
然に導かれる。
平安王朝のもとで、安定に向かうかに見え
た「日本」政権が、13世紀、鎌倉王権が混乱
し始めるのと同時に、様々な勢力が入り乱れ
て衝突し合う。この時代の動きを、「農本主
義」と「重商主義」の対立、という概念で説明
しているのも興味深かった。
「重商主義」は、平和的な秩序に収まらず
「儲け」を求めてたくましく生きる指向のこと、
といえばいいだろうか。各地の海上交通を握
り、交易や略奪行為をして勢力を張っていた
「海賊」「悪党」たちなどがこれにあたる。また
寺院・神社を拠点とする僧たちも、酒屋商売
や金融業、荘園・公領の徴税業務の担い手
として活躍する。
驚いた。僧は哲学者でも思想家でもなか
ったのか。ぼう然。
で、網野先生は、こういう暴力や“はしっこ
さ”でのし上がって行く人たちをホメタタエル
人なのかと思って、うんざりしていたのだが、
本書を読む限り、そういうことではないようで
ほっとした。
実を言うと、「網野本は眉にツバして読む
べし」と思っていたのだ。
なぜかというと、『中世の非人と遊女』という
ご著書で、
《『御伽草子』の「物くさ太郎」では、「男も
つれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき」
を「女捕」ることは、「天下の御ゆるしにて有
なり」とまでいわれているのである。とすれば、
女性自身、一人で旅をするときには、そうし
たことの起こりうるのを覚悟の上であったと考
えることもできる。》p21
などとおっしゃっているのを見て、「げー。な
にいってんの! 拉致されていいと思ってる
女性なんかいるわけないでしょ、冗談じゃな
いわよ」と思ったのだ。
なにしろこれらの論文の初出は、80年代。
「セクハラ」という言葉もない時代のことだ。あ
のころは、「強姦神話」なんてものが、平気で
まかり通っていたのだ。だからしょせん網野
先生も、「平和」とか「平等」とか「民衆史」と
かいっても、それは男性だけのことだと当然
暗黙のうちに考えている、よくいる先生の一
人なんだろうなとあきらめていたのだ。そうい
う流れで、略奪とか皆殺しとかをする「海賊」
や「悪党」を、「民衆のパワー」とかいってほ
めちゃうんだろうな、と。
でも、この本には、女性の地位、彼女たち
の仕事が生き生きと描かれていて、力づよい
気持ちになった。
養蚕、製紙、織布そして商売を担った女
性たちの姿もあざやかだったが、(中)巻の
こんな箇所が、とてもよかった。
・・・平安時代、女性は政治の表舞台から
切り離されていった。けれど、後宮の女性た
ちは、決して独自な立場を失ってはいなかっ
た。その中から、紫式部や清少納言などが
生まれる。
《宮廷という狭い世界ではあれ、自らの自
由な目を失わず、人間の関係を批判的に見
通し、それを女性独自の文字、平仮名によ
って文学として形象化する力量をこれらの女
性たちがもっていたことを物語っており、お
そらくこれは、人類社会の歴史のなかでもま
れにみる現象といえるであろう。》p30
網野先生の「二つの王権」説や、「近世の
日本が華夷柵封体制に組み入れられてい
た」、「百姓イコール農民ではない」という見
方には、反論、異説もたくさんあるようだ。
それでも、網野史観のパンチ力はぬきん
でていて、おいそれと他の追随を許していな
いと、少なくとも、私のような「ただの歴史好
き」には思える。
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