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 ずれずれ草 15年03月

 今月の内容 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         
 →ラス・カサス(染田秀藤訳)『インディアスの破壊についての簡潔な報告』【ざるあたま74】
 →網野善彦『日本社会の歴史』上中下【ざるあたま75】
  映画
 →「太陽を盗んだ男」(監督:長谷川和彦/主演:沢田研二)
 →「ジャッキー・ブラウン」(監督:クエンティン・タランティーノ/主演:パム・グリア)

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2015年03月14日
 ざるあたま自習室(74

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・津野田リストNo.75
 
 ラス・カサス(染田秀藤・訳)
 『インディアスの破壊についての
               
 簡潔な報告』
  岩波文庫
  第1刷発行:1976年6月、第41刷発行:2012年4月




  ラス・カサスは、スペイン人の聖職者。
  「大航海時代」、中南米に布教にゆき、今
 のメキシコ、キューバ、グアテマラ、ペルーで
 同じスペイン人の征服者たちが、現地の人た
 ちに、どんなひどいことをしているか、その有
 様を本国の国王に報告したのが、本書だ。

   本を開くのがいやだった。
  中身の残酷さは噂に聞いて知っていたし、
 中学生のとき、イリン・セガール『人間の歴
 史』で、ヨーロッパ人が中南米の人たちにど
 んなことをしたか知って、怒りとくやしさで発
 狂しそうになったから。
  それに、同胞の極悪非道を書き記さずに
 はいられなかったラス・カサスその人が、ま
 た気の毒だった。
  彼が、真実を記したがために裁判に引っ
 張り出されて教会から非難を受けた、という
 こともジョン・ワインガーズ(伊従直子訳)『女
 性はなぜ司祭になれないのか』(明石書店)
 という本で読んでいたから。

  串刺し、火あぶり、猛犬に襲わせて喰い
 殺させ、耳や鼻をそぐ。女性も子供も老人も
 かまわず殺す。
  ことに、私がやりきれなさではち切れそう
 になるのは、やってきた異邦の人たちを親
 切に歓待し、食べ物をわけ、金をプレゼント
 した人たちが、その「返礼」に、このような仕
 打ちを受けたことだ。

  ほとんど裸のような服装で武器も持たず、
 真心で迎えてくれた異文化の人びとを、この
 ヨーロッパ人たちがどんなに思いあがった目
 で見下していたかと思うと、怒りで火だるまに
 なりそうだ。
   

  でも、やっぱりちゃんと読んで良かった。
  ラス・カサスの、エネルギッシュな人となり
 に触れて、「気の毒」という思いはふきとんだ
 から。
  それに彼は、一人ぼっちじゃなかった。
 多くのヨーロッパ人修道士や司祭が、同じよ
 うに心を痛め、どうにかしなきゃと思っていた
 のだ。修道士たちは、それぞれの場所で、
 植民者たちに掛け合ったり、報告書を書い
 たりしていた。その代表者がラス・カサスだっ
 たのだ。現地の実態を見ながら、スペイン王
 に報告するのに42年間もかかったのは、
 様ざまな努力のはてにようやくそこにたどり
 着いたからなのだろう。
  裁判も、私が思っていたような「引きずり出
 された」という感じではないようだ。
 「アリストテレス、イエス、パウロも奴隷は必要
 だといっている」と主張する教会の奴隷容認
 派の司祭に対して、堂々とインディオの自由
 の擁護を主張した姿が浮かんでくる。
 
  しかし、勇敢なラス・カサスの報告は、植
 民地主義への反省に繋がるのではなく、ラ
 ス・カサスのような「良いヨーロッパ人」と、ピ
 サロやコルテスのような「悪どいスペイン人」
 がいた、という言い方にすり替えられ、イギリ
 スやオランダなど後発のヨーロッパ各国が、
 「横暴なスペイン」を攻撃するのに使われて、
 本来の意味を見失われていたそうだ。
 
  植民地主義に反省を促すとき、ラス・カサ
 スもまた、裁かれなければならないのかも知
 れない。彼も、インディオたちをキリスト教徒
 に改宗させて「魂を救済してやりたい」という
 ヨーロッパ流「大きなお世話」の人だった。
 植民者たちの蛮行をやめさせようと思ったの
 は、それが布教のじゃまになるからだった。

  でも、人間は、その時代の限界の中で学
 び、考え、生きるしかない。その中で自分の
 考える最良のことをする人生が、いちばん立
 派なら、まちがいなくラス・カサスは、立派な
 人だと思う。


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2015年03月14日
 先週の映画

 「太陽を盗んだ男」

 原案:レナード・シュレーダー
 脚本:レナード・シュレーダー、長谷川和彦
 監督:長谷川和彦
 出演:沢田研二、菅原文太、伊藤雄之助、
    
 池上季実子

  鬱屈したエネルギーのやり場のない、中
 学校の理科教師(沢田研二)。
  警官から奪った銃で原発に侵入してプル
 トニウムを盗み、アパートで原爆を作る。
  政府に脅迫電話をかけて、さしあたり、プ
 ロ野球のナイター中継を延長しろと要求。
  お次は生放送中のDJに電話するけど、さ
 て、いったい何を要求したものか。
  騒ぎだけがでかくなり、後半はなんだか西
 部警察みたいになって、文太さんの警部が
 ヘリコプターにぶら下がって追いかけてきた
 り、車がバクハツしたり、いったい何に共感し
 たんだか、道連れになった女性DJ(池上季
 実子)がカーチェイスの果てに死んじゃった
 り。けっきょく男子向けどんぱちアクション作
 品になっていました。
  なんて広い新宿の空。35年前の東京の風
 景が興味深いです。


 *

  しかしまあ、なんてのんきなんでしょう。
 人を殺傷して原爆を作ってまで、何も要求す
 ることがないなんて。
  映画ができたのは1979年。そういう時代で
 した。60年安保、70年安保、つぎは80年かと
 いわれたのに何も起きなかった。
  管理教育の足音は確実に忍び寄ってい
 て、映画の中でも、生徒たちは校門で服装
 チェックを受けている。真綿で首を絞められ
 るような息苦しさは漂うのに、まだ周囲は牧
 歌的でみんな気づかない。ジュリー先生の
 ような長髪で遅刻してきて風船ガムを噛ん
 で、授業で「原爆のつくりかた」なんてやって
 も、文句つける人はいない。
  この時代があって、そして今の、露骨な管
 理と搾取と弾圧の時代がきたわけで。
  要求すること、今ならたくさんありますね。
  「生きさせろ」「搾取するな」「君が代や日
 の丸を強制するな」「免許更新制をやめろ」
 「貧乏でも進学できるようにしろ」

  映画のラストには、このドッチラケ時代がよ
 く現れていました。何発も撃たれて血まみれ
 の文太さんは、ジュリーを道づれにビルから
 飛び降りるんですが、ジュリーは切れた電線
 にぶら下がって「あ〜ああ〜」とターザンみた
 いに木にぶつかって助かってしまう。責任感
 の強い熱血男は死に、意欲も目標もない方
 が偶然でだらだら生きてしまう。


  50年代60年代の映画でおなじみの怪優、
 伊藤雄之助を、初めてカラー映像で見た!
  なんだか不思議。その不思議さが「陛下に
 会わせてくれ、息子を返してほしいんだ」と
 国民服を着て銃を構えバスに乗り込んでき
 た犯人にぴったりでした。

  心配になってしまったのは、プルトニウム
 を舐めて死んじゃうニャロメちゃん。
  迫真の演技でしたが、まさか、本当に殺し
 ちゃったんじゃ・・・・。
  ウィキペディアを見たらマタタビを使った
 と書いてあったので安心したけど、マタタビ
 であんなベロ出して横倒しに倒れるかな。


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2015年03月14日
 今週の映画

 「ジャッキー・ブラウン」

 原作:エルモア・レナート『ラム・パンチ』
 脚本・監督:クエンティン・タランティーノ
 cast:パム・グリアー asジャッキー・ブラウン
   ロバート・フォスターasマックス・チェリー
  
 サミュエル・L・ジャクソンas密売人オデール
  ロバート・デ・ニーロ、as元銀行強盗ルイス
  ブリジット・フォンダasオデールの情婦メラニー
  マイケル・キートンas火器局の刑事レイ
  マイケル・ボーウェンasLA市警刑事、
  クリス・タッカーasオデールの手下ボーマン
  LISA GAY HAMILTON as 情婦シャロンダ
 
 HATTIE WINTONas 56歳のコソ泥女シモーン

  3流航空会社に安月給で長年勤めてきた
 スチュワーデスのジャッキー、44歳。
  収入の足しにと、武器密輸商オデールに
 雇われて現金の運び屋をやっていた。
  けれどある日、ジャッキーは刑事に現金を
 抑えられる。拘留が長引いて次のフライトに
 間に合わなかったら失業するし、逮捕された
 うえは、オデールは証拠隠滅のために自分
 を殺すだろう。
  ジャッキーは頭をめぐらし、このピンチに
 人生の大逆転作戦に打って出る。
  ジャッキーの作戦は? はらはらドキドキ
 のコンゲームが展開する。


  タランティーノの映画を見るのは初めて。
  この監督の面白い顔と、すごい早口で話
 すのは、テレビで見たことがあったから、「お
 かしい」映画なのだと思ってたら、別にそうじ
 ゃなくて、普通のギャング映画のように血も
 涙もない密売人は恐ろしいし、やたらと銃が
 炸裂して、有名俳優演じる登場人物がばん
 ばん死んでしまう。展開は面白かったけど、
 ギャング映画に詳しくないので、何が特別な
 のかわからなかった。

  でも、ジャッキーが頭良くて度胸があってか
 っこいい。悪い男に使われ、こづき回されて
 生きてる中年の女が逆転するのでスカッとす
 る。
  美人でグラマーだけど、44歳だし太って
 るから、“オバサン”扱いされてる女に描かれ
 てるんだろうと思ったら、作中でも「いい女」
 として描かれていたので、気分が良かった。

  私も44歳になったら、こんなふうになりた
 い。生まれ変わって、もう一度44歳になった
 らね。

  パム・グリアーの他の映画も見たくなる。


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2015年03月28日  春がずんずん・・・・・・

 スモモの花も咲き、
 春は速度を増して・・・・・・・
 わたしはいよいよあせるばかり・・・・・・

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2015年03月28日
 (2012年5月読了)
 ざるあたま自習室(75

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・津野田リストNo.76
 
  
網野善彦
  『日本社会の歴史』(上・中・下)

   岩波新書、第一刷発行:1998年

  中世史をあざやかに塗りかえた、日本社会
 史の牽引者、網野善彦先生が、大学定年を
 前に、研究の蓄積を下敷きにかきあげた、
 旧石器時代から江戸時代前半までの、日本
 列島の「通史」。
  為政者の動きも追いつつ、歴史の流れを
 社会(人々)の側から見た。
  “弱い立場の人びとへも目配りした”などと
 いうものではない。日本列島の津々浦々、山
 や谷、平野に、様々な生業をもって暮らす人
 びとの多様な集まり、活発な交流と、なんとか
 「王権」をたてて「国家」をつくろうとする側と
 の、両方の動きを同時に見ていくことで、な
 んとまあ、教科書で習った「○○制」や「○
 ○の改革」、「○○の変」が、立体的にもりあ
 がってみえることか。

  最初の章のトビラには、南北を逆さにした
 東アジアの地図。朝鮮半島、対馬、九州、
 反り返った本州の背、北海道、サハリンに囲
 まれて、東シナ海(日本海)が、池のようにみ
 える。
  まさに日本列島の歴史は、この領域の中
 でダイナミックにはぐくまれたものなのだ、と
 いうことが脈々と伝わってくる。
  この「環日本海」領域の北側(日本列島)
 の各地で暮らす人々は、そもそもは、誰も自
 分が「日本人」だとは思っていなかったとい
 う。最初は「日本」なんてなかったんだし。

  各地にたくさんある小国の中で、勢力を
 拡大し始めたヤマト王権が、「日本」を名乗
 るのが、7世紀の浄御原令(きょみはられい)
 からだという。
  で、それですぐ、今の「日本国」の領域が
 自動的に「日本」になったわけじゃない。ま、
 そりゃ、そうだよね考えてみれば。
  それぞれの場所で集団をつくって、それ
 ぞれ近隣の他グループ(それが朝鮮半島や
 中国、サハリンだったりも、当然する)と交流
 して暮らしてるわけだから、遠い関西の都か
 ら、「今から俺たちが王だかんね、命令に従
 ってもらうよ〜」と、いわれてもねえ。
  だから最初は、北海道や琉球はもちろん
 関東や東北、南九州は当然、自分たちを日
 本とは思ってなくて、この状態が16世紀頃ま
 で続いていたとしてもおかしくないだろうと、
 自然に納得がいく。

  坂東を自分の王国として「新王」を名乗っ
 た平将門が、同時期に東丹国が渤海国を
 滅ぼした例を引いて、自分の王としての正当
 性を、平安王朝に向かって主張した、という
 のに驚いた。昔の日本列島人は国際人なの
 だ。

  将門の王国が3カ月。
  100年後に乱を起こした平忠常の房総王
 国が3年。
  東国には、ヒーローさえ現れれば、自立し
 たい気運が息づいていたらしい。
  さらに150年後に、源氏の生き残りの頼朝
 がやってくる。“鎌倉幕府は京の王朝とは別
 個の「王権」だ”という「二つの王権」説が自
 然に導かれる。

  平安王朝のもとで、安定に向かうかに見え
 た「日本」政権が、13世紀、鎌倉王権が混乱
 し始めるのと同時に、様々な勢力が入り乱れ
 て衝突し合う。この時代の動きを、「農本主
 義」と「重商主義」の対立、という概念で説明
 しているのも興味深かった。
  「重商主義」は、平和的な秩序に収まらず
 「儲け」を求めてたくましく生きる指向のこと、
 といえばいいだろうか。各地の海上交通を握
 り、交易や略奪行為をして勢力を張っていた
 「海賊」「悪党」たちなどがこれにあたる。また
 寺院・神社を拠点とする僧たちも、酒屋商売
 や金融業、荘園・公領の徴税業務の担い手
 として活躍する。
  驚いた。僧は哲学者でも思想家でもなか
 ったのか。ぼう然。

  で、網野先生は、こういう暴力や“はしっこ
 さ”でのし上がって行く人たちをホメタタエル
 人なのかと思って、うんざりしていたのだが、
 本書を読む限り、そういうことではないようで
 ほっとした。

  実を言うと、「網野本は眉にツバして読む
 べし」と思っていたのだ。
  なぜかというと、『中世の非人と遊女』という
 ご著書で、
  《『御伽草子』の「物くさ太郎」では、「男も
 つれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき」
 を「女捕」ることは、「天下の御ゆるしにて有
 なり」とまでいわれているのである。とすれば、
 女性自身、一人で旅をするときには、そうし
 たことの起こりうるのを覚悟の上であったと考
 えることもできる。》p21
 などとおっしゃっているのを見て、「げー。な
 にいってんの! 拉致されていいと思ってる
 女性なんかいるわけないでしょ、冗談じゃな
 いわよ」と思ったのだ。
  なにしろこれらの論文の初出は、80年代。
 「セクハラ」という言葉もない時代のことだ。あ
 のころは、「強姦神話」なんてものが、平気で
 まかり通っていたのだ。だからしょせん網野
 先生も、「平和」とか「平等」とか「民衆史」と
 かいっても、それは男性だけのことだと当然
 暗黙のうちに考えている、よくいる先生の一
 人なんだろうなとあきらめていたのだ。そうい
 う流れで、略奪とか皆殺しとかをする「海賊」
 や「悪党」を、「民衆のパワー」とかいってほ
 めちゃうんだろうな、と。
 
  でも、この本には、女性の地位、彼女たち
 の仕事が生き生きと描かれていて、力づよい
 気持ちになった。
  養蚕、製紙、織布そして商売を担った女
 性たちの姿もあざやかだったが、(中)巻の
 こんな箇所が、とてもよかった。
  ・・・平安時代、女性は政治の表舞台から
 切り離されていった。けれど、後宮の女性た
 ちは、決して独自な立場を失ってはいなかっ
 た。その中から、紫式部や清少納言などが
 生まれる。
  《宮廷という狭い世界ではあれ、自らの自
 由な目を失わず、人間の関係を批判的に見
 通し、それを女性独自の文字、平仮名によ
 って文学として形象化する力量をこれらの女
 性たちがもっていたことを物語っており、お
 そらくこれは、人類社会の歴史のなかでもま
 れにみる現象といえるであろう。》p30

 

  網野先生の「二つの王権」説や、「近世の
 日本が華夷柵封体制に組み入れられてい
 た」、「百姓イコール農民ではない」という見
 方には、反論、異説もたくさんあるようだ。
  それでも、網野史観のパンチ力はぬきん
 でていて、おいそれと他の追随を許していな
 いと、少なくとも、私のような「ただの歴史好
 き」には思える。


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