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なぜ、地球一周の旅に出かけたか?

1905年、竹島が五箇村に編入されました。従って竹島は五箇村の領土です。また、この年に日露戦争が起こってます。日露戦争と、らは何も関係ないように見えるかも知れませんが、実はあるんです。日露戦争は、日本が勝利に終わった戦争ですが、日本海大戦に敗れたロシア人兵士が実は隠岐に流れついているんです。しかも、その兵士は当然死んでいるのですが、隠岐では老人達が兵士を手厚く葬っているんです。しかも、らの墓のそばに。

らの墓には、祖父が眠ってます。
祖父は、妹が赤ちゃんのときに亡くなっていますので、らも幼くてほとんど祖父の事は覚えてません。ただ、らの記憶だとお婆さんの家に遊びに行ったときに階段付近に男の人がいて、それが祖父じゃなかったかなと今でも思ってます。

祖父は、船長でした。ただの船長ではなくて外国航路の船長です。従ってあちこちに旅していて、らの持っている資料では、オーストラリア、米国、カナダ、デンマーク、ドイツ、ベルギー、オランダ、フランス、イタリア、キューバ、チリ、南アフリカ、東アフリカ、ペルー、香港、マレーシアe.t.c.

それらの国のうち、アルゼンチンに急に行ってみたくなったのです。なぜアルゼンチンかと言うと、実家の床の間にが置いてあったのです。これが何を意味するか、幼いらは知らなかったのですが、当時の橋本宮助町長が、この石を欲しがった関係か何かでこれは祖父がアルゼンチンから持って帰った鉄鉱石であることを知ったのです。
石の大きさは、小包サイズくらいあってピカピカ光るその辺にはない石です。町長はこれを当時の値段で10万円で譲ってくれと言ったそうです。橋本町長は、お婆さんの家の近所に住んでいたのと祖父と年齢が近いのでこの石の存在を知っていたのでしょう。橋本町長は現隠岐高野球部監督のパパにあたります。

まっ、そういう訳で、らはカネもないのに急にアルゼンチンに行きたくなって第60回地球一周の旅に出る事になりました。

これ以外の理由として年金問題もあります。

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