TOPAZ号での説明がリオデジャネーロは世界三大美港であったので、よっぽどきれいな港だと思って航行してたら、何と汚い港だった。海上には船舶から流されたと思えるし尿が漂っていて見ない方が良かった。

写真は、山に立っていてキリスト像なのですが、この日は霧雨で地上からはこの像は全く見えず、山に登ってすぐそばで撮影しないとダメでした。
猿等の動物が住んでいるかなり鋭い山で箱根登山鉄道じゃないけど、電車じゃないときつくて登れない山です。

この国は日系移民がたくさん住んでいて、そちらを訪問しました。
日系移民は100年くらい達つのですが、かなり苦労されたようです。
写真は日系移民がご馳走してくれた焼きバナナです。バナナを焼きそばの屋台(なぜか、日本の焼きそばの屋台設備がここにはあった。)で皮ごと黒くなるまで焼いて皮をはいでアイスクリームを添えて食べるそうです。
「生では食べないのですか?」と質問したのですが、実は生でも食べるそうで、日本人が来たから珍しいだろうという感覚で出したみたいです。味はバナナですが、焼いた影響で少しトロッとしてます。
簡単に出来ますのでお楽しみあれ!

日系移民はかなり苦労されたようで、バスガイドしてくれたおじいさんは父親が早い段階で亡くなって末っ子で食う物にも困るありさまで、結局親戚の家族となって1ヶ月くらい同じ料理(バナナだったかな?)ばかり食べさせられたとか言ってました。
南米という地域は、なぜか言葉はスペイン語とかポルトガル語とかいうようにヨーロッパの言葉を話します。これは中世にヨーロッパの人が移住して住みついたからなのですが、それより前の時代に住んでいた現地住民は追い出されたそうです。現地住民とはインディアンなんかみたいです。言葉がヨーロッパの言葉ですから、英語なんて通じない事が多いです。

リオデジャネーロ

リオデジャネーロは坂の多い街で、日本だと長崎のような地形でした。香港も坂が多かったですね。
日系移民は二世くらいまでは日本語が話せますが、三世、四世になるとほとんど外国人に見え、ライスなんかもフォークとスプーンで上手に食べます。
リオの人はサンバというか激しい踊りを踊ります。らも参加させられたのですが、とても激しくてついていけない体力です。
二世の若い人でも日本で言う後期高齢者の世代ですから、日本は遠くなりました。
写真は、港近くの風景で船からの撮影です。
ブラジルに明治館(隠岐の写真屋)の親戚が写真屋をやっていると聞いていたので現地の人に聞いてみたのですが、残念ながらわかりませんでした。
帰ってから明治館に聞いたらリオじゃなくてサンパウロだそうです。