ハーバーブリッジです。この橋は西郷大橋と同じ形をしてますが、色は黒、大きさは片道3車線あってしかも列車まで通行できるようになってますから、車がようやくすれ違える赤の西郷大橋と大きさ、色が違います。一番高いところに旗がたってますが、あそこを観光地で登って行って結婚式を挙げる方もいます。
到着は朝で船はハーバーブリッジのそばのヒルトンホテル前に接岸しました。このハーバーブリッジは1930年台に完成してるのですが、祖父は完成前にこの橋を見てます。なにしろ、完成前の写真が残っていますから。祖父が訪れてから何年経過するかしりませんが、孫が再びこの橋を見てるのです。
祖父は何回もオーストラリアを訪れていて、らの持っている切手帳の一番最初のページがオーストラリアです。ちなみに一番最後のページは日本になってます。
シドニーは2000年に高橋尚子さんがマラソンで金メダルを取ったところで、あの格好良くサングラスを投げたレースでした。
←水族館に泳いでいたサメです。画質が悪くて申し訳ありません。
↓中央部付近にネットがわずかに見えると思いますが、サメ除けのネットだそうです。海水浴場をこうしてネットを張らないと危険だそうです。
タロンガ動物園です。この動物園も祖父が訪問した記録が残ってます。ここにはコアラがいました。コアラと言うのは、現地の言葉で水を飲まない動物だというらしいのですが、コアラはユーカリの木で寝てました。1日のほとんどを寝てるそうです。
海は遊泳禁止になっていたのですが、泳いでいる人はたくさんいました。ウィンドサーフィンを楽しむ人達ですから、波がないと面白くないでしょ。南半球は北半球と違ってサメが出没しやしくアフリカ、南米、ここオーストラリアとサメにやられる人は多いです。サメ対策としては見張り人がいてこの人が発見した場合はすぐ上がらないとダメです。そうしないと食べられます。
↑オペラ座とかいう建物だそうです。奇抜な設計で作るのにかなりの日数と経費がかかったそうです。ハーバーブリッジの反対側にありました。つまりこの建物とハーバーブリッジの間に船が接岸したのです。オペラ座はかなり新しい建物で祖父の頃はなかったと思います。
←水族館に展示してあった鯨の缶詰です。オーストラリアの人も鯨を食べたいのでしょう。らが小学校1年生のとき津戸の岩場に鯨が上陸して見に行った事があります。凄く大きかったです。
さらば、ハーバーブリッジ!祖父が訪れた頃建設されて、孫が再び訪れました。らがもうこの橋を見る事はないと思います。母を訪ねて3千里という言葉がありますが、幼い頃居なくなった祖父を捜して約6万キロ。らが生まれた頃は祖父が生きていたのですが、あまりにも幼い頃亡くなったので祖父をほとんど覚えていません。父方の祖父はらが生まれる前に死んでいますから、祖父のいない人生なのです。だから、祖父を捜してアルゼンチンまで船で行ったのですが、オーストラリアまで捜しても結局祖父には会えませんでした。さようなら、ハーバーブリッジ!