【空軍大戦略】
製作年 1969年、英
監督  ガイ・ハミルトン
出演  ローレンス・オリビエ ロバート・ショー クリストファー・プラマー
【あらすじ】
 1940年夏、ダンケルクから撤退したイギリスはヒトラーからの和平案を拒絶し戦い続けることを宣言。そういう中、英戦闘航空軍ダウディング大将(ローレンス・オリビエ)は、本土防衛のためこれ以上戦闘機をフランスに出撃させないよう上層部に進言した。ドイツはドーバー海峡沿いの港に上陸作戦用の艀を集結させ、爆撃機による制空権の確保を開始する。スツーカ急降下爆撃機によるレーダーへの爆撃は成功するが、迎撃に来た英戦闘機には歯が立たずことごとく撃墜された。しかし、ハインケル爆撃機によって基地は爆撃を受け、駐機していた戦闘機は破壊された。日増しにドイツによる空爆は激しさを増してくるが、ある日誤ってロンドンに爆弾を落としてしまった。イギリスは報復のためベルリンを空襲するが、ヒトラーは激怒しロンドンへの徹底的な空襲を命ずる。ロンドンの至る所で火の手が上がり市民が逃げまどうが、基地が空爆されなくなったので英戦闘機隊は復活する。パイロット不足のため英語が不自由なポーランド人も戦闘に参加するが、彼らの活躍はめざましいものがあった。妻が婦人予備空軍に所属するハーベイ大尉(クリストファー・プラマー)も果敢に戦っていたが被弾して機が火に包まれかろうじて脱出した。9月15日、ドイツ軍の大編隊が侵入してきた。迎え撃つ英戦闘機隊は死力を尽くして戦いドイツ側に大損害を与えた。翌日、パイロットたちは待機所で出撃を待っていたが静かだった。激戦を生き抜いたスキッパー少佐(ロバート・ショー)も不思議そうに空を見上げた。ヒトラーは上陸作戦を無期延期とし、事実上断念したのだった。
【解説】 
 製作のハリー・サルツマンは007シリーズのプロデューサーで、007シリーズで稼いだ金を全て本作品のためにつぎ込んだと豪語していた。そういうつながりで、監督には「007/ゴールドフィンガー」を始めシリーズ4本の監督を手掛けたガイ・ハミルトンが起用されている。イギリスを代表する映画人が多数出演しているが、その中でもローレンス・オリヴィエは20世紀イギリス映画界最高の名優と賞され、俳優として初めて男爵位(世襲制でナイト位より上)を叙勲されている。ハリウッドで「嵐が丘」(39年)の撮影中、恋人だったヴィヴィアン・リーが追いかけてきて「風と共に去りぬ」(39年)のスカーレット・オハラ役に抜擢された話は有名である。
 ローレンス・オリヴィエが演じたヒュー・ダウディング大将は、史上名高いバトル・オブ・ブリテンの開始前にレーダーによる早期警戒システムを構築し鉄壁の防空網を完成させていた。1938年にチェンバレン首相がミュンヘン協定でヒトラーに妥協したのは、まだこの防空体勢が整っていなかったからだとも言われている。英独の戦力比は1対5と圧倒的に不利であったが、ドイツ側の戦術的な誤りもあり勝利することが出来た。ダウディング大将もこの功績でオリヴィエと同じ男爵位を得ている。この映画ではエース(撃墜王)パイロットとなったかつての部下たちとともにコンサルトとして参加している。イギリスの救世主と讃えられたスーパーマリン・スピットファイア戦闘機は、同時期の戦闘機にはあまり見られない楕円翼をしていた。速度競技大会シュナイダー・カップで実績を積んだミッチェル技師が設計した機体とロールスロイス・マーリンエンジンの組み合わせは絶妙で、関係者の予想を上回る戦闘機が完成した。7.7o機銃を8挺も搭載しており一発の威力は弱いものの、初心者でも敵機に命中させられるという利点があった。この小口径多銃の思想は連合軍機に共通してみられる。大戦後期にはパワーアップしたグリフォンエンジン搭載機がV1ミサイルの迎撃に活躍した。一方、スピットファイアと共にバトル・オブ・ブリテンを戦い抜いたホーカー・ハリケーン戦闘機は、スピットファイアより速度と運動性で劣っていたため主に爆撃機の迎撃に使われた。
 対するメッサーシュミットBf109の生産機数は史上最高の3万機で、好敵手スピットファイアより1万機も上回っていた。性能面ではスピットファイアと遜色なかったが、航続距離が短かったためバトル・オブ・ブリテンではイギリス上空で活動できる時間が限られており、しばしばハインケルHe111爆撃機は単独飛行を強いられた。また、脚間隔が短いため離着陸時の事故が多いのが欠点だった。しかし、ドイツが崩壊するまで主力機を務め100種類近くものバリエーションが誕生し、戦後もスペインやチェコで生産されていた。本作品の撮影にもジェット化で不要になったスペイン空軍所属のメッサーシュミットが使われている。
 勝利が確定した9月15日は、現在もバトル・オブ・ブリテンの日と呼ばれている。