【ファイヤーフォックス】
製作年 1982年、米
監督  クリント・イーストウッド
出演  クリント・イーストウッド
【あらすじ】
 かつて対ソ戦略のために結成された飛行部隊にいたガント(クリント・イーストウッド)は予備役となりアラスカで隠棲生活を送っていた。その彼にソ連の最新鋭機ファイヤーフォックスを盗み出すという大胆不敵な任務が課せられた。彼はベトナム後遺症で苦しんでいたが、軍上層部はソ連機に慣熟しているガントに白羽の矢をたてたのだ。早速、別人になりすましモスクワ空港に降り立つと協力者と密かに接触を持った。しかし、KGBの追跡は厳しく止む終えず相手を殺してしまう。翌朝、トラック運転手を装ったガントらは、偽造した通行証を手に目的地へ向かう。途中でトラックを飛び降りたガントは、ファイヤーフォックス設計の中心的科学者で今回の作戦の協力者でもあるセミロフスキーと、ピョートル・バラノビッチ博士と夫人のナタリアに会う。しかし、都合の悪いことにソ連書記長が視察に来るため警備が一層厳しくなった。それでもガントは操縦士になりすまして潜入すると、セミロフスキーが仕掛けた爆弾が爆発して格納庫は騒然となった。しかし、以前から疑いをもたれていたため博士たちは警備兵に射殺されてしまう。
 騒動の中をガントはファイヤーフォックスに乗り込むとエンジンを始動させ離陸した。偽装のためいったん南下すると北上し北極海に向かった。携帯ラジオを装った電波受信機で燃料補給ポイントを突き止め氷原に降り立つと潜水艦が待ち受けていた。燃料が補給され離陸すると、追撃してきたもう1機のファイヤーフォックスが攻撃してきた。激しいドッグファイトが繰り広げられ、ガントは思考誘導兵器装置で相手を撃墜し、奪取に成功した。
【解説】
 監督・主演のクリント・イーストウッドは、TVシリーズ「ローハイド」が世界30ヶ国で放映されたため一躍世界中にファンを獲得したが、本国の映画界からは声がかからなかったため渡欧し、マカロニ・ウェスタン「荒野の用心棒」(64年)に主演した。黒澤明監督の「用心棒」(61年)を西部劇に置き換えたセルジオ・レオーネ監督の代表作で、続く「夕陽のガンマン」(66年)「続・夕陽のガンマン」(67年)にもイーストウッドは起用された。マカロニ・ウェスタンではあるが西部劇スターとしての顔が定着し後々自ら監督・主演する「ペイルライダー」(85年)「許されざる者」(92年)などを製作する原点ともなった。アメリカでの評価はなかなか上向かなかったが彼が演じていた西部劇ヒーローを現在に蘇らせたような「ダーティハリー」(71年)が大ヒットし、続編が5作品も製作される彼の代表作となった。同じ年、初監督作品の「恐怖のメロディー」(71年)では一転して女ストーカーを扱ったサスペンスタッチの作風で監督としての力量をも評価された。監督業に乗り出す俳優は数多いが、イーストウッドは最も成功した一人と言える。年をとっても製作意欲は衰えず、監督・主演した「スペース・カーボーイ」(2000年)のような年寄りががんばるヒーロー・アクションを手掛け気勢を上げている。
 撮影はまだ冷戦時代だったため当然ソ連ではロケできるはずはなく、モスクワのシーンはウィーンで撮影され、登場する地下鉄もウィーン市営のUバーンが使われている。
 登場するミグ31・ファイヤーフォックスは架空の戦闘機だが、その機体形状はロッキードSR−71ブラックバードそのものである。開発にあたったのはP80シューティングスター、F104スターファイター、U−2偵察機など数々の傑作機を世に送り出した天才設計者ケリー・ジョンソン率いる”スカンク・ワークス”と呼ばれるプロジェクトチームである。この戦略偵察機が生まれた背景には、高々度を滑空飛行していたU−2偵察機がソ連の地対空ミサイルで撃墜されるいわゆるU2事件が発生し対立が深まったため、高々度を超音速で飛行すればこのような事態を招かないとの発想で開発がスタートした。SR−71はマッハ3での連続飛行が可能で、音の壁の先にある熱の壁を越えるため機体の大半が耐熱性のチタン合金で出来ている。外板にはレーダーを透過するプラスチックが使われており、このチームがこの先手掛けるステルス戦闘機F117にもつながる技術の萌芽がみられる。機体の大半は燃料タンクで、燃料も超高空を飛行するために特殊なものが必要で専用の給油機が存在する。初飛行以来数々の速度記録、高度記録を樹立してきたが、運用するために経費がかかり過ぎるのと、偵察衛星の解像度が向上したのとで1989年に退役した。
 ファイヤーフォックスはマッハ6が出せるという設定だが、実際にマッハ6を記録したのは「ライトスタッフ」にも登場するX−1から続くX計画の実験機ノースアメリカンX−15で、1961年のことである。