【タッカー】
製作年 1988年、米
監督  フランシス・フォード・コッポラ
出演  ジェフ・ブリッジス マーチン・ランドー マコ
【あらすじ】
 第二次世界大戦終了間近の1945年春。デトロイト郊外の小さな町に、これから大きな夢を実現しようとするプレストン・タッカー(ジェフ・ブリッジス)がいた。元銀行家のエイブ(マーチン・ランドー)が資金調達に奔走する一方、タッカーはマスメディアを使って夢の新車を大いに宣伝し全米中から反響が寄せられた。政府から巨大な軍需工場を払い下げてもらうと早速技術者のエディやジミー(マコ)らと共に試作車の製造に取りかかった。しかし、当時アメリカを牛耳っていた巨大な自動車産業のビッグスリーや、ファーガソン上院議員ら保守的な政・財界は、密かに暗躍してタッカーをあらゆる面から攻撃し、その事業を叩き潰そうとした。新車の発表会は華々しく開かれたが、その舞台裏では試作車の不具合を直すべく技術者たちが懸命に働いていてなんとか間に合わせることが出来た。
 業界の嫌がらせで製造に必要な鉄鋼が手に入らなかったが、航空業界で同様な立場にいたハワード・ヒューズの援助でどうにか新車の製造も軌道に乗り始める。しかし、タッカーは詐欺の容疑で裁判に掛けられてしまう。エイブはかつて横領で服役していた過去をタッカーに告白し、裁判に不利になるからと言って去ろうとする。疑惑を晴らすため1年以内に50台製造するというノルマを達成するため、タッカーの息子や技術者たちは最終弁論の日まで懸命に作業し完成させた。タッカーは陪審員席に向かって自分の夢と信念を切々と訴えて見事に無罪を勝ち取った。しかし、工場が政府によって閉鎖されたため事業の存続は断念しなければならなかった。
【解説】
 監督のフランシス・フォード・コッポラは、「パリは燃えているか」(66年)や「パットン大戦車軍団」(70年)などの戦争映画の脚本を手掛けた後、「ゴッドファーザー」(72年)「ゴッドファーザーPartU」(74年)がアカデミー作品賞など多くの賞に輝くと共に世界中で大ヒットし一躍時の人となった。しかし、次作の「地獄の黙示録」(79年)と「ワン・フロム・ザ・ハート」(82年)が興行的に失敗し、83年に破産を申告するはめになる。苦境に陥りながらも映画は撮り続け「コットン・クラブ」(84年)「ドラキュラ」(92年)などを監督し、最近は製作者として多くの作品に名を連ねている。地獄を見たコッポラと「スター・ウォーズ」シリーズや「インディ・ジョーンズ」シリーズで絶好調のルーカスが、本作品では「アメリカン・グラフィティ」と立場が逆になっているのも興味深い。コッポラの父でコッポラ作品の音楽も手掛けていたカーマインは、タッカーに出資していた1人で、コッポラも貴重なタッカー車を2台所有していた。
 登場するタッカー・トーペードのトーペードとは魚雷を意味し、実際流線形のボディは魚雷形とも呼ばれていた。エンジンはリアに置かれ、当初は空冷エンジンが考えられていたがヘリコプター用の水平対向6気筒水冷エンジンを搭載することになった。アメリカ初の4輪懸架やまだ一般的でなかったディスクブレーキ、ハンドルと連動する真ん中のヘッドライトなど新技術が採用されているが、最も重視されているのが安全性で、強化ガラスや緩衝パッドのダッシュボードなど後に他社も追従する先駆的な技術やアイデアが生かされていた。
 プロトタイプを含め51台しか作られなかったが、本作品ではその内の21台が登場している。タッカー・トーペードの開発が頓挫したのには、マコ演ずる日系人技術者ジミー・サクヤマ氏の過労死が大きく影響したとも言われている。
【米ビッグスリー以外・その2】
 第二次世界大戦後、タッカーのように自動車業界に身を投じたヘンリー・カイザーは、フーバーダムの建設や、大戦中にリバティ輸送艦やカサブランカ級軽空母を建造した事で知られる有名実業家だった。アメリカ初のフラッシュサイド・ボディの車を登場させ、販売も好調だったがすぐに他社も同様な車を登場させたため古くさい車となり売り上げも落ち込んだ。アメリカでの販売をあきらめたカイザーはアルゼンチンに設備を移し当地の需要に応えた後、会社は消滅した。
 戦前からの老舗パッカードは、歴代大統領の公用車に使われるなど高級車のメーカーとして君臨してきたが、ビッグスリーの頻繁なモデルチェンジの前に品質で対抗したものの売り上げは落ち込む一方で、54年にスチュードベーカーと合併した。そのスチュードベーカーも戦前から続く名門で、本書でたびたび取り上げている工業デザイナーのレイモンド・ローウィーをデザインコンサルタントとして招いて個性的な車を製造していたが、売り上げが伸びず、パッカードと合併後1966年に自動車製造業から撤退した。