【ケイン号の叛乱】
製作年 1954年、米
監督  エドワード・ドミトリク
出演  ハンフリー・ボガード ホセ・ファーラー
【あらすじ】
 海軍士官学校を卒業したウィリー・キースが配属されたのは、期待に反して旧式の掃海艇だった。乗員の規律もだらけておりウィリーは失望するが、母親が画策した転属命令は意地で拒絶する。そのうち、艦長が交代しクィーグ少佐(ハンフリー・ボガード)が赴任してくる。
 新しい艦長は規律に厳しく、ウィリーは歓迎する。しかし、標的を曳航中に乗員がシャツをはだけていたことを厳しく咎め、その間回頭していた艦が標的の綱を切断してしまう事故が起きた。艦長は報告をごまかすよう命令するが、士官たちからの信頼を急激に失ってしまう。
 上陸作戦に参加したケイン号は上陸用舟艇の護送任務に就く。しかし、艦長は染料標識を予定のはるか手前に投げ込ませると艦を回頭させた。艦長を見下した士官たちとの亀裂は決定的となり、その後も艦長は難癖を付けて映画の上映を禁止したり休暇を取り消したりし、挙げ句の果てにデザートの苺の盗み食いの犯人を捜すため艦内の鍵を全て調べさせる。艦長はパラノイアだと決めつけているキーファー通信長はマリク副長を促し、ハルゼー提督へ上訴しにいくが直前で尻込みしてしまう。
 猛烈な台風がケイン号を襲うが艦長はまともに操船できず、とうとう副長から解任されてしまう。反乱罪で軍法会議にかけられた副長は、グリーンワルド弁護官(ホセ・ファーラー)の尽力で無罪になるが、弁護官は副長に海軍での将来はなくなったと冷徹に告げ、けしかけたキーファーをなじった。
 ウィリーはケイン号に復帰するが、新たに赴任してきた艦長はなんと最初の艦長だった。
【解説】
 ハーマン・ウォークのピューリッツァ賞受賞の同名小説を映画化。歴戦の勇士でありながら無能で異常性格という難役をハンフリー・ボガードが熱演している。「この役をこなせるのは俺しかいない」と言って映画会社に売り込みをかけて得た役だが、足元を見られてギャラを値切られ憤慨していたと妻のローレン・バコールは後に手記の中で述べている。”ボギー”の愛称で現在でも根強い人気があるハンフリー・ボガードだが、デビュー当時は端役か敵役が多かった。「マルタの鷹」(41年)でスターダムにのし上がったが、なんと言っても人気を不動のものにしたのは映画史に残る傑作「カサブランカ」(43年)でのリック役である。「君の瞳に乾杯!」といった名台詞や挿入曲「時の過ぎゆくままに」などは時代を超えて多くの人々を魅了し続けているが、撮影と平行で脚本も作られていたので現場は大変な混乱状態だったという。「脱出」(45年)で共演した”ザ・ルック”ことローレン・バコールと4度目の結婚をするが、年の差は25歳もあった。
 監督のエドワード・ドミトリクは”赤狩り”の犠牲になった人で、聴聞会での証言を拒否したいわゆる”ハリウッド・テン”の一人で、そのため議会侮辱罪に問われ入獄している。出獄したのちに転向し、本作品の大ヒット(54年の全米興行収益第2位)でみごと復活を果たすことができた。以後もスペンサー・トレイシー主演の「山」(56年)、エリザベス・テイラー主演の「愛情の花咲く樹」(57年)など大ロケーションの高予算映画を製作している。
 この映画の中でケイン号の艦種記号番号がDMS−18と出てくるが、これは平甲板型駆逐艦を高速掃海艇に改造したものでドーゼイ級と呼ばれていた。ちなみにDMS−18の掃海艇は実在し、ハミルトン号と名付けられている。撮影に使われているのは、リバモア級駆逐艦を改造したエリソン級である。また、艦種のDは駆逐艦(デストロイヤー)、MSは機雷掃海艇(マインスイーパー)を表している。第二次世界大戦中はアメリカ以外でも艦隊型掃海艇には駆逐艦を転用するケースが多かったが、映画にも出てくるように機雷の除去以外にも、標的を曳航したり、艦隊の護衛をしたりといろいろな雑役もこなしている。機雷の中には船の磁気に感応するものもあるため、海上自衛隊の機雷掃海艇などは木造船体になっている。ハルゼー提督の乗艦としてエセックス級空母キアサージが登場しているが、この後、飛行甲板はジェット機運用に対応するためアングルド・デッキ(ななめ甲板)に改装されベトナム戦争にも参加している。
 ケイン号が台風に巻き込まれるシーンが出てくるが、米艦隊への台風来襲は実際にも起きている。1944年12月フィリピンの東方に給油のため集結しようとしていたハルゼー提督の第3艦隊が、気象予報の誤りで台風のまっただ中に突っ込み、駆逐艦3隻沈没、航空機流失146機、死者行方不明790名を出す大惨事に見舞われ、ハルゼー提督は危うく軍法会議に召喚されそうになった。