【戦艦シュペー号の最後】
製作年 1956年、英
監督  マイケル・パウエル エメリック・プレスバーガー
出演  ピーター・フィンチ アンソニー・クエイル
【あらすじ】
 第二次世界大戦が勃発してまもなくの1939年11月15日ドイツ戦艦シュペー号は、モザンビーク海峡で英貨物船アフリカ・シェルを撃沈した。捕虜となったアフリカ・シェルの船長をシュペー号のラングスドルフ艦長(ピーター・フィンチ)は丁重にもてなした。シュペー号は補給艦アルトマルクから補給を受けると、これまで撃沈した商船の上級船員も移乗させたのでアフリカ・シェルの船長だけだった船室は満員になった。
 一方、追撃中の英巡洋艦隊を率いるハーウッド提督(アンソニー・クエイル)は、部下の艦長たちを集めると、シュペー号は南米のラプラタ河沖に向かうと予想し待ち伏せすることを決議する。三隻の巡洋艦(エクセター号、エイジャックス号、アキリーズ号)が待ちかまえる中、夜が明けるがシュペー号は現れない。警戒を解くが、その直後遠方にシュペー号らしき船が出現する。シュペー号との間で砲戦が開始されると、集中的に攻撃された重巡エクセター号は煙幕を張って戦線離脱する。シュペー号はとどめを刺そうと追撃するが、他の2隻の奮闘でシュペー号も傷つき、ウルグアイのモンテビデオ港に逃げ込む。捕らわれていた商船の船員は全員解放され、アフリカ・シェルの船長はラングスドルフ艦長に感謝の言葉を述べる。艦長はドイツ大使とともにウルグアイ当局に赴き、艦の修理が済むまでの滞在を願うが許可されず、72時間以内に出航するよう通達される。多数の野次馬が見守る中、シュペー号は出航するが、総員退去の後大爆発を起こし沈没した。
【解説】
 共同監督のマイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガーは、2人のコンビで数々の名作の製作・監督・脚本を手掛けたことで知られている。当時としては画期的なSFXを駆使したテクニカラー大作「バグダッドの盗賊」(40年)で共同監督したのを手始めに、撮影監督に「戦争プロフェッショナル」のジャック・カーディフを迎えたデボラ・カー主演「黒水仙」(46年)では、鮮烈なカラーで揺れる尼僧の心理描写を描いて高い評価を得ている。アンデルセンの童話をもとに芸術至上主義の犠牲となる踊り子を描いた「赤い靴」(48年)は、日本で公開されると熱狂的なバレエ・ブームが起き、全国のあちこちにバレエスクールが出来たといわれている。
 ラングスドルフ艦長役のピーター・フィンチは、イギリス出身で地味な役柄が多かったが「ネットワーク」(76年)で演じたTV局のアンカーマン役でアカデミー主演男優賞を受賞したものの、すでに他界した後で、史上初の故人への演技賞授与となりオスカーは夫人に手渡された。
 ポケット戦艦とも呼ばれるアドミラル・グラーフ・シュペーは、ドイッチュラント級の3番艦として1936年に竣工した。ドイツは第一次世界大戦で敗戦国となり、ヴェルサイユ条約により排水量1万トン以上の艦船の保有を禁じられた。1万トンというと重巡洋艦クラスなのだが、ドイツ海軍設計局は装甲を犠牲にして、戦艦クラスの主砲を搭載した戦闘艦を建造することにした。相手が重巡クラスなら砲戦では圧倒でき、相手が戦艦クラスなら主機に採用したディーゼル機関の速力で交戦を回避するというアイデアだった。第二次世界大戦が始まると、主に南大西洋で通商破壊戦に従事し、合計9隻の英貨物船を撃沈した。
 この「ラプラタ沖海戦」で損傷した英重巡エクセターは改修された後、インド洋方面に派遣され、1942年3月1日スラバヤ沖海戦で日本の水雷戦隊により撃沈されている。
 映画ではシュペー号の役を米重巡洋艦セイレムが演じている。アメリカ最後で最大の重巡洋艦となったデ・モイン級の2番艦として1949年に建造されたものだが、巡洋艦などの制限を決めたロンドン条約が失効した後に計画されただけに、基準排水量は一昔前の戦艦に匹敵する1万7千トンもあった。英側の巡洋艦として重巡ジャマイカ、軽巡シェフィールドがそれぞれエクセター号、エイジャクス号を演じているが、重巡カンバーランドと軽巡アキリーズ(戦後インドに譲渡されデリーと改名)は本物が登場している。
 ラングスドルフ艦長は戦時国際法を厳守し、捕虜を一人も殺さなかったため敵国のチャーチル首相まで褒めそやしている。なお、映画では描かれていないが、ラングスドルフ艦長は艦を自沈させた責任をとりシュペー号の後を追うようにピストルで自決している。それはあたかも艦名の由来となった、第一次世界大戦で東洋艦隊を率い降伏を拒絶して戦死したマクシミリアン・グラーフ・フォン・シュペー提督の運命と重なり合うかのようである。