【戦艦バウンティ】
製作年 1962年、米
監督  ルイス・マイルストン 
出演  マーロン・ブランド トレバー・ハワード リチャード・ハリス
【あらすじ】
 1787年12月、英ポーツマス港から戦艦バウンティ号が出港した。目的地はタヒチで、パンの木を西インド諸島に移植するのが任務だった。ブライ艦長(トレバー・ハワード)は、近道するためホーン岬を廻ろうとするが暴風雨のため断念。喜望峰回りに変更するが、遅れを取り戻すため船員たちをこき使う。ようやくタヒチに到着すると、大勢の島民が歓迎してくれた。
 副艦長クリスチャン(マーロン・ブランド)はたちまち王女と恋に落ちるが、厳格なブライも島の習慣には逆らえず黙認する。パンの木が休眠期に入っていたため長期の滞在になったが、バウンティ号は西インド諸島に向け出発した。ブライはパンの木が枯れ始めたため水の使用を制限し、船員たちの不満は極限に達する。クリスチャンは衰弱した船員に水を与えようとしたが、ブライが妨害し、クリスチャンは反乱を決起する。クリスチャンはブライと反乱に組みしない船員をランチに移し追放した。ブライはランチをイギリスへの直行便がある3600マイル先のティモール諸島に向かわせた。九死に一生を得てイギリスに無事到着したブライは、軍法会議では無罪となるが、裁判長からは個人的に叱責を受けた。
 一方、バウンティ号はタヒチで原地の男女を乗り込ませると、海図からはずれている絶海の孤島ピトケアンに上陸した。調査してここでの生活が可能なことがわかると反乱者たちは喜んだが、クリスチャンは帰国をほのめかす。帰国したら絞首刑になるのは分かり切っているミルズ(リチャード・ハリス)らによってバウンティ号は放火され、消火中の事故でクリスチャンは命を落としてしまう。
【解説】
 監督のルイス・マイルストンは、戦争映画に才能を発揮した人でアカデミー作品賞を受賞した「西部戦線異状なし」(30年)、日本軍と熾烈な激戦を繰り広げる海兵隊を描いた「地獄の戦場」(50年)、朝鮮戦争を舞台にしたグレゴリー・ペック主演「勝利なき戦い」(59年)などの作品がある。
 マーロン・ブランドは、舞台でも当たり役となった「欲望という名の電車」(51年)で注目を集め、「波止場」(54年)ではアカデミー主演男優賞を受賞している。「ゴッドファーザー」(72年)でも主演男優賞に選ばれたが辞退している。反体制的な性格はハリウッドでも有名で、本作品での役どころはうってつけといえよう。ブランドはロケで訪れたタヒチに魅了されたらしく、タヒチ島にほど近いテティアロア島を購入している。また、本作品で王女役を演じた女性と実際にも結婚し2児をもうけているが、クリスチャンと命名した長男(母親は別)は後に殺人事件を起こしている。
 バウンティ号は、戦艦と銘打ってあるが実際は石炭運搬船を改造した小型の帆船である。ブライ艦長がかつて航海長をつとめたこともあるキャプテン・クックのエンデバー号やレゾリューション号も、元は石炭運搬船だった。平底で多くの貨物を積めるこのような船の方が、砂浜や環礁の多い南海への航海には便利だった。撮影に使われた帆船は本作品のためにカナダで製作され、タヒチまで自力で航海したが、当時はなかったパナマ運河経由だったので映画と違い楽な旅だったそうだ。
 ウィリアム・ブライ艦長は、年配のように思われるがこの事件の時まだ33歳だった。この反乱の後、再び同じ任務に就き、今度は無事パンの木を西インド諸島に届けている。冷厳な性格は終生直らなかったようで、何度か反乱に遭っている。しかし、海軍でのキャリアに傷がつくことはなく、海軍中将にまで昇りつめている。ちなみに、”Bounty”には寛大という意味があるがブライ艦長にとっては当て付けがましい艦名である。
 ピトケアン島に渡ったのは9人の反乱者とタヒチ島の男女18名だったが、1809年米捕鯨船に発見されたときには反乱者は1人しか生き残っておらず、後は女性と子供だけだった。クリスチャンの最後は不明のままである。1825年には英調査隊が国王の恩赦を携えてこの島を訪れ、以後イギリス領になっている。人口が増えて生活が困難になったため反乱者の子孫の多くはオーストラリア領のノーフォーク島に移住したが、今でも港のない不便なピトケアン島に数十人の人々が住み続けている。
 この事件は英米豪では「忠臣蔵」のように有名で、多数の出版物が書かれ、何度か映画化されている。クラーク・ゲーブルがクリスチャンを演じた「南海征服/戦艦バウンティ号の叛乱」(35年)は第8回アカデミー作品賞に輝いている。「バウンティ/愛と反乱の航海」(84年)は名優ローレンス・オリビエとメル・ギブソン、アンソニー・ホプキンス、リーアム・ニーソン、ダニエル・デイ・ルイスらが共演しており顔ぶれが実に豪華である。